対イラク武力行使

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>x16(完)しかし一方で(上)

投稿者: GivingTree 投稿日時: 2005/01/14 15:13 投稿番号: [61846 / 118550]
>これで私なりに、エトさんとの論争の一応の到達点にしておきます。

了解です、ストンプさん(シオニストとは呼びたくないです・・・)。

実は俺もこれであらためて自分の主張の正当性に気付きました。それは、ダイナミックな国際政治の世界がBtB(教科書どおり;理論どおり)ではないということがあらためてわかったからです。

どのように国際政治(学)の世界で論じられていようと、それが現実に反映されているかどうか、現実の世相を反映しているかどうかはまた別問題です。またダイナミックな動きに対する学術研究は所詮後発的で先見性に乏しくまた順応性もあまり高くありません。俺が本をあまり読まないようにしている理由もここにあります。理論に囚われたくないのです。実際問題、こうした国際政治学のBtBな表現を国際会議の場などでリアルタイムに使うと逆に顰蹙を買います。そういうときは必ず「現実は教科書どおりではないのだよ(笑)」と揶揄されます。

今回の論争で俺なりに到達した結論は次の通りです。

それは、貴方が到達したような極端な結論ではなく、可能性を排除しないという考え方を固持する上での柔軟性を持った結論です。貴方の結論の極端性を示すキーワードに「すべて」という言葉があります。

例:「民族自決権」といえば、“すべて”が許されるのか?

●あらゆる可能性を排除しない考え方の擁立

俺はなにも自分の論点を、「民族自決権」を持ち出せばすべて免責されると考えている、という風には展開していません。むしろ、「民族自決権の行使」という側面として考える必要もあるのではないか、という思考の幅を広げる意味での提言という意味合いを持って主張しています。「民族」という言葉のセンシティビティについてあれこれ論じられていますが、要は国連が創立されたときの定義や国際学術論争の中で使われる定義としてではなく、「生きた」定義としてそれがどのように変容していっているかも加味しつつよりダイナミック(動的)に捉える必要があるのではないかということです。

そうして物事をスタティック(静的)でなくダイナミックに捉えると、様々な可能性を排除できなくなってくるんです。それは、思考の幅を広げすぎるというデメリットもあるかもしれませんが、思考探索(ブレインストーミング)を行うつもりで考えられるオプションを増やすことは決して非建設的なアプローチではないと思うのです。そういう意味で、「自決権の行使」という考え方もあるのではないかという風に主張していました。

●自決権に関する実践的な国際基準の制定

さて、今回の一連のBtBな論争によって俺はこの選択肢を省くことが得策ではなく、むしろより突き詰めて、では何が自決権の行使に当たるかについて明確な国際基準を定める必要があるのではないかという方向にさらに考えが発展しました。これはつまりテロの定義ということにも繋がるのですが、イラクにおけるテロがテロであって自決権の行使でないとするには、様々なファクターを加味した上で何がテロで何がそうでないかを区分けする総合的な基準が必要です。

イラクでのテロはいち組織や集団によって行われているのではなく、様々な組織・団体・集団の思惑が絡み合って一つのムーヴメントとなっています。それを一概に単なるテロであると集約するのは乱暴すぎます。中には純粋なレジスタンスとしての動きも含まれているかもしれない。これを「テロとの戦い」という名において鎮圧することが果たして民主的な行動と言えるのか。俺はそうは思いません。

仮にもイラクという近代国家を民主化するなどという大風呂敷を広げてしまったのですから、風呂敷を広げた側がどれほどの民主的価値観を持ちそれを実践しているのか、それをイラクの人々に示す意味でも、「なんでもテロ化」によるあらゆる武装組織の弾圧には俺は反対します。それは民主主義ではない。
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