>x15しかし一方で
投稿者: zionisatou2 投稿日時: 2005/01/14 00:33 投稿番号: [61793 / 118550]
ずいぶん前の論争ですが、私に用事があり一方的に打ち切ってしまいました。
別のことで、別トピで書いたのですが、
なぜ私が、"national"という言葉の使用に異議を唱えるのか、
「民族自決権」に異議を唱えるのか。
少しずれるかもしれませんが、そのことと関係していますので、ここに再掲しておきます。
これで私なりに、エトさんとの論争の一応の到達点にしておきます。
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飛び入りというか、少し関係しているので。
たいした勉強はしてませんが、今のところの私なりの民族問題に対する感想。
「民族論争」といっても、「民族」とか「国家」という日本の漢字で考えていると、実際には普通の日本人には、何のことか、何を問題にしているのか、よくわからないというのが実感だと思います。
私も前はそうだった。
私の経験からすると、「民族」というのを英語にすると「nation」となり、「nation」について少し勉強してみて問題の発端がはっきりしてきたということがあり、少し書いてみます。
「nation」というのは、もともとラテン語にさかのぼり、"to be born"などという意味だといわれてますから、生まれる、同じ母から生まれるというような意味でしょうか。
それも、”genius”"kind"などの言葉とも、起源を同じくする、同源語らしいです。
やはり「生まれ」というのが共通する意味です。
ともかく「民族」というのは、日本語ではそれほど強烈には感じませんが、欧米の言葉で「nation」と言うと、同じ血を分けた仲間たちという意味合いが強いと思います。(もっともどこで同じ母かどうかについて線を引くかという問題も残りますが、それは置いておいて。)
それに対して「国家」・「国民」といっても、"state""people"となるとそこまでの強烈な意味はない。
”nationalism"となると、同じ母から生まれた同じ血が流れる兄弟たちの団結に基づく、鉄の絆というような意味になるのでしょうか?
昔は、部落差別があったり、徳川だ・外様だとかいう封建的な地域性をめぐって争っていた時代がありました。
だから、なんといっても『同じ大和「民族」じゃないか』という和解の言葉は、それはそれなりに意味があった。
同じ「天皇の赤子」ということで、みんな平等になってしまった(天皇以外は)。
このような意味で、過去においては積極的な意味を持った時代があった。
しかし現在ではどうか?
「民族自決権」といえば、すべてが許されるのか?
ベトナムだって単一民族ではない。
イラクなどは、もっと同じ民族でない。
しょせん、誰かが地図を見て線引きをした国境に囲まれた地域の中に、偶然居合わせたに過ぎない多民族の集合にすぎない。
問題は多すぎると思いますよね。
強引な結論かも知れませんが、イラクにおけるテロを、民族自決権の行使と言うことで正当化することは、とてもできない相談ですよね。
別のことで、別トピで書いたのですが、
なぜ私が、"national"という言葉の使用に異議を唱えるのか、
「民族自決権」に異議を唱えるのか。
少しずれるかもしれませんが、そのことと関係していますので、ここに再掲しておきます。
これで私なりに、エトさんとの論争の一応の到達点にしておきます。
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飛び入りというか、少し関係しているので。
たいした勉強はしてませんが、今のところの私なりの民族問題に対する感想。
「民族論争」といっても、「民族」とか「国家」という日本の漢字で考えていると、実際には普通の日本人には、何のことか、何を問題にしているのか、よくわからないというのが実感だと思います。
私も前はそうだった。
私の経験からすると、「民族」というのを英語にすると「nation」となり、「nation」について少し勉強してみて問題の発端がはっきりしてきたということがあり、少し書いてみます。
「nation」というのは、もともとラテン語にさかのぼり、"to be born"などという意味だといわれてますから、生まれる、同じ母から生まれるというような意味でしょうか。
それも、”genius”"kind"などの言葉とも、起源を同じくする、同源語らしいです。
やはり「生まれ」というのが共通する意味です。
ともかく「民族」というのは、日本語ではそれほど強烈には感じませんが、欧米の言葉で「nation」と言うと、同じ血を分けた仲間たちという意味合いが強いと思います。(もっともどこで同じ母かどうかについて線を引くかという問題も残りますが、それは置いておいて。)
それに対して「国家」・「国民」といっても、"state""people"となるとそこまでの強烈な意味はない。
”nationalism"となると、同じ母から生まれた同じ血が流れる兄弟たちの団結に基づく、鉄の絆というような意味になるのでしょうか?
昔は、部落差別があったり、徳川だ・外様だとかいう封建的な地域性をめぐって争っていた時代がありました。
だから、なんといっても『同じ大和「民族」じゃないか』という和解の言葉は、それはそれなりに意味があった。
同じ「天皇の赤子」ということで、みんな平等になってしまった(天皇以外は)。
このような意味で、過去においては積極的な意味を持った時代があった。
しかし現在ではどうか?
「民族自決権」といえば、すべてが許されるのか?
ベトナムだって単一民族ではない。
イラクなどは、もっと同じ民族でない。
しょせん、誰かが地図を見て線引きをした国境に囲まれた地域の中に、偶然居合わせたに過ぎない多民族の集合にすぎない。
問題は多すぎると思いますよね。
強引な結論かも知れませんが、イラクにおけるテロを、民族自決権の行使と言うことで正当化することは、とてもできない相談ですよね。
これは メッセージ 61437 (zionisatou2 さん)への返信です.
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