対イラク武力行使

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ようこそさん〜私は奴隷になりたくない

投稿者: syoumenkyousi 投稿日時: 2004/12/30 08:55 投稿番号: [60939 / 118550]
どうも、welcome2thecivilizationさん(以下、ようこそさんと呼びますが・・・)。

  私は素朴な疑問に突っ込むだけなので、どの話題に対しても一家言なんて、トンデモないですよ。埴原和郎だって2冊しか読んでないのですから、議論にもならないでしょう。もっとも推定でしかない説(例えば100万人の渡来人説など)をあれこれ出し合って議論するのも酷な話ですね。

  さてあなたの一連の乱暴な議論についてちょっと述べます。人間はどうあがいても知っていることより、知らないことの方が多いと思います。ですから人がいくら万巻の書物を読んだとしても愚者に留まっている可能性の方が高いのです。そう考えると、人は未知の事象にある限りの知識を駆使して対処するのですが、その失敗の可能性を左右するのは、知識の量ではなくその引き出し方や組み立て方などによるとなります。もちろん知識以外の想像力とか倫理感とか正義感なども大切です。

  私のつっこんだ二点にあなたの返答はありませんが、それらは豊富な知識が正しい結論を導かない典型なのではないのでしょうか?

  「私は奴隷にはなりたくない」と「私は黒人にはなりたくない」と比べて、後者を結論とする文章を書けるかどうか、ちょっと考えれば分かることです。

  話は変わりますが、差別の問題に関して、中世において畏怖・畏敬から賎視への転化が起きたのではないか?という可能性も指摘されています(もちろんその逆もあったかもしれない・・・)。例えば世界のメディアに笑われた「自己責任論と人質いじめ」は、その転化の仕組みを別の観点から理解可能なものとして提示してくれました。

  私など人質三人は畏敬の対象さえなるのですが、それとはまったく逆に蔑視して、悪口の限りを尽くしてそれで溜飲を下げた人もいたのです。それは「命がけですごい奴らだ!」とまず思うのか、「“つまらんこと”に命をかけて・・・」とまず思うのとの違いだけなのでしょうか?その場合は、あの行為を“つまらんこと”と考える貧困な知識や精神だけの問題ですが・・・。

  それとも、まず嫉妬があり、心の安定を得るために羨ましいという感覚を排除し、「要するに奴らは国に家族に迷惑をかけた不届き者なのだ!」になり、「とんでもない馬鹿者」にまで転化させて、日本人は心の安定以上の喜びを得たのでしょうか?
  その場合は、「すごい奴らだ!」と最初の感覚は畏敬の場合も蔑視の場合も一緒だっということになります。

  まあ差別には近世政治起源説があり、今年の日本の珍事は、確かに差別に政治が見事に荷担した事例でもあり、色々考えさせてくれるものでした。

  最後に、私の興味のあるのは、国内の民主主義が―─たとえそれが本来のものとはほど遠いとしても―─その国の帝国主義そのものの侵略戦争と両立する不思議ですよ。まあ権力者が内部を分断して統治して、外部に敵を作って支配を強化するのはよくあることです。

  それを日本に引き寄せて一例でそれを述べれば、あなたは平気で「中国の反日教育」と書いてしまう。同様に「韓国の反日教育」とも書くのかもしれない。
  そういう想像力の貧困は、アホでマヌケなアメリカ白人と、多分重なりあうものだろうということです。

  「反日教育」ということば自体が、日本の市民の分断を図ることばだという自覚がないことと、あなたの乱暴な議論は釣り合っている。まあ私にできることは乱暴な結論にケチをつけることぐらいですが・・・。
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