横レス、しかも部分的ですいません
投稿者: welcome2thecivilization 投稿日時: 2004/12/25 07:34 投稿番号: [60413 / 118550]
以下の聖書ネタはトピの主旨からは、少々ずれるかも知れませんが、
battamotherさんたちが今論議されている内容に対して、
結構、いろいろと示唆するところ──固有名詞をイラク情報のものに置き換えたりするとか──があるんじゃないかと思えますので、
ちょっと書かせてください。
>磔台に乗せられたイエスキリストは、そのただ中にあって、『主よ、私の思いは成就した』って言っている。(一説には、「何故私を見捨てたのか」というのもあるが)
のことですが。
まず、「主よ、私の思いは成就した」に該当するのはヨハネ19:30と、同一の場面の描写で比較的近いのがルカ23:46の「父よ、私の霊を御手に託します」でしょうか。
新約聖書中4つある福音書は、4人の使徒の「それぞれの立場」でイエスの生涯を書いたものですが、そのうちの最後に並んでいる『ヨハネによる福音』は、他の3つの福音書(共観福音書と呼び、共通の資料を基に書かれたと云われている)とは大きくニュアンスの異なるもので、例の「始めにロゴスがあり〜」で始まることからも分かるように、かなり観念論的な色彩の濃いイエス伝ですから、上の成就うんぬんも、そう言う視点で捉えた方がいいのかもしれませんね。
一方、他の二人による同一場面の描写である「何故私を見捨てたのか」の方は、マタイ27:46とマルコ15:34が同じことを言っていますから、その分だけ信憑性──あくまでも「肉」的な意味で──が高いと言えるかも知れません。
相当する「Eli Eli lama sabachthni ?」は、直訳ではほぼ↑の訳どおりの意味なのですが、この言葉は、実はイエスのオリジナルではなくて、旧約(とクリスチャンが勝手に呼んでいる)の『詩編』22章の冒頭の引用なのです。私はヘブライ語が多少読めますのでBiblia Hebraicaで確かめました。
福音書中のイエスの説教には、実は『旧約』からの引用が、かなり多いのです。
イエスが直接教えを説いたのは言うまでもなくユダヤ人に対してですから、『旧約』から引用している場合は、聴いている側がその元ネタを知っていることを前提にして語られているいる可能性が高いのです。それを踏まえると、ただ福音書でその部分を読むのとはかなり違ったニュアンスになることも少なくありません。
特に『詩編』は、当時の「歌」を収めたものですから、上記の言葉は、イエスが言ってみれば「歌詞のイントロ部分」をくちずさんだことになります。その歌全体が、イエスのメッセージだったのではないでしょうか。22章全部をここには書けませんが、内容は磔刑に至るイエスのことを彷彿させる、すこし意味深なものです。
しかも、エリのEが大文字なのは「主(よ)」という意味だからですが、「エリ」と発音するのはヘブライ語ではなくアラム語なので、ひょっとすると更に意味合いが異なるのかも知れませんね。
ではまた。
メリークリスマス!
battamotherさんたちが今論議されている内容に対して、
結構、いろいろと示唆するところ──固有名詞をイラク情報のものに置き換えたりするとか──があるんじゃないかと思えますので、
ちょっと書かせてください。
>磔台に乗せられたイエスキリストは、そのただ中にあって、『主よ、私の思いは成就した』って言っている。(一説には、「何故私を見捨てたのか」というのもあるが)
のことですが。
まず、「主よ、私の思いは成就した」に該当するのはヨハネ19:30と、同一の場面の描写で比較的近いのがルカ23:46の「父よ、私の霊を御手に託します」でしょうか。
新約聖書中4つある福音書は、4人の使徒の「それぞれの立場」でイエスの生涯を書いたものですが、そのうちの最後に並んでいる『ヨハネによる福音』は、他の3つの福音書(共観福音書と呼び、共通の資料を基に書かれたと云われている)とは大きくニュアンスの異なるもので、例の「始めにロゴスがあり〜」で始まることからも分かるように、かなり観念論的な色彩の濃いイエス伝ですから、上の成就うんぬんも、そう言う視点で捉えた方がいいのかもしれませんね。
一方、他の二人による同一場面の描写である「何故私を見捨てたのか」の方は、マタイ27:46とマルコ15:34が同じことを言っていますから、その分だけ信憑性──あくまでも「肉」的な意味で──が高いと言えるかも知れません。
相当する「Eli Eli lama sabachthni ?」は、直訳ではほぼ↑の訳どおりの意味なのですが、この言葉は、実はイエスのオリジナルではなくて、旧約(とクリスチャンが勝手に呼んでいる)の『詩編』22章の冒頭の引用なのです。私はヘブライ語が多少読めますのでBiblia Hebraicaで確かめました。
福音書中のイエスの説教には、実は『旧約』からの引用が、かなり多いのです。
イエスが直接教えを説いたのは言うまでもなくユダヤ人に対してですから、『旧約』から引用している場合は、聴いている側がその元ネタを知っていることを前提にして語られているいる可能性が高いのです。それを踏まえると、ただ福音書でその部分を読むのとはかなり違ったニュアンスになることも少なくありません。
特に『詩編』は、当時の「歌」を収めたものですから、上記の言葉は、イエスが言ってみれば「歌詞のイントロ部分」をくちずさんだことになります。その歌全体が、イエスのメッセージだったのではないでしょうか。22章全部をここには書けませんが、内容は磔刑に至るイエスのことを彷彿させる、すこし意味深なものです。
しかも、エリのEが大文字なのは「主(よ)」という意味だからですが、「エリ」と発音するのはヘブライ語ではなくアラム語なので、ひょっとすると更に意味合いが異なるのかも知れませんね。
ではまた。
メリークリスマス!
これは メッセージ 60398 (battamother さん)への返信です.
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