遅レス:ヒューマニズムの死>アサラーム氏
投稿者: GivingTree 投稿日時: 2004/12/24 10:55 投稿番号: [60328 / 118550]
アサラームさん、ご無沙汰です。
クリスマスという“非戦の日”の前夜を迎える今日にふさわしいテーマと思い、遅れ馳せながらこの問いかけにレスさせてもらいます。
>まあしかし、国内の小泉発言の人を喰ったバカにした行為を見ても、アメリカのブッシュ政権の傍若無人ぶりを見ても、もはやこの世界での、秩序だとか、規則というものの定義する行為そのものが徒労ではないだろうか?とも思えてきます。
そうでしょうか。秩序というのものは、無秩序が蔓延る世界の中でこそ必要なものでしょう。そのためには、無秩序のアンチテーゼとして秩序とは何なのか、それを明確に定義して実践して、現状を覆すための努力を行う必要があるんじゃないでしょうか。たしかに国家権力やアメリカという強大な力によって秩序がなきものにされようとしている今では、無力感に襲われすべてを「徒労」と考えてしまうのもわかります。だが、徒労であるかどうかは、国民としての主権を発揮するまでわからないですよ。やってみなきゃ、わからないですよ。
だから、世界が激変してゆく大きな流れの中で自分がとても矮小な、大河に佇み流れに翻弄される小石のような存在に思えても、やはり小石が一箇所に隙間なく積もればそれは強力な土嚢となり、流れを堰き止める力すら持ち得るのではないでしょうか。そうした、個よりも集合としての力を発揮できる機会は、もうすぐやってくると思いますよ。小泉政権はそんなには続かないと思います。次回の総選挙で民意を示しましょう。
>規則を強要できる対象は、結局、武力的にも発言力の「弱いもの」に限られてくるわけですから、当然この不平等感は、何かの形(それがいわゆるテロという形かもしれない)で暴発せざるを得ないということになり、結局は世界秩序の劣化、崩壊に弾みを付けると言った逆効果になっていくような懸念を持っていますが、これに対して、ヱトさんはどのようにお考えでしょうか・・・?
俺はいまの現状「テロとの闘い(戦いではない)」は、秩序劣化や崩壊への弾みというより、「創造と破壊」のプロセスの中の1つの過渡期だと思っています。ですから、たとえ現状の深化により秩序が後退し平和が崩壊の一途を辿っても、俺はそれは「永続的」なプロセスではないと思っています。
これは、俺が人類に対して「人類は弱いものであるが完全に悪しき存在でもないはずだ」という、性善説でも性悪説でもないその“中間”にヒトがいるはずだという確信からくる考え方ですが、1つの勢力が一時的な台頭・衰退を繰り返す中ではもう一方の勢力もまた一時的な台頭・衰退を繰り返します。それは健全なプロセスの一環であり、俺は自然循環の1つだと思っています。
いま世界は、「ヒューマニズムの死」に直面しているのではないかと俺は思っています。これは今年新春の家族座談会で父が提唱した概念なんですが、植民地主義に続いて台頭した欧州発祥の人道主義も、いまや終焉を迎えつつあり、新たな主義が台頭しようとしているのではないかという考え方です。ただしこれは人道に限った話ではなく、人道主義がそもそも包含する民主主義的な価値観そのものの衰退が始まっているのでないか。すなわち、民主主義が見直されるときがきているのではないかということです。これはなにも、民主主義が不完全だからじゃあ社会主義に帰ろうとか、共産主義に進もうとか、そういった考え方ではありません。社会主義や共産主義というオプションがなくとも、民主主義はもう行き詰まっているのではないか安易なヒューマニズムや現実に則さない権利保護の考えでは、この政治体制そのものが維持できないのではないかと、新たなシステムを創造する必要があるのではないかと、そういう考え方です。
それがどんなものか、俺にはまだその姿すら見えていません。
ただ、何かが「死ぬ」ときヒトはそれを容易に受け入れず抗うものだと思います。
だから、俺は抗い続けていますし、これからも抗い続けます。ヒューマニズムの死は、俺には到底受け入れられる考え方じゃありません。まだ、何かできることがあるはずです。それが、国際法治の世界のはず。
諦めたら、流れに呑まれるだけだと思います。だから法治の世界が作り上げられるまで、俺は現状を悲観しません。現状は単なるプロセスの一環。そう考え、受け止めて行くつもりです。
とんでもない遅レスですみません・・・n(_ _)n
クリスマスという“非戦の日”の前夜を迎える今日にふさわしいテーマと思い、遅れ馳せながらこの問いかけにレスさせてもらいます。
>まあしかし、国内の小泉発言の人を喰ったバカにした行為を見ても、アメリカのブッシュ政権の傍若無人ぶりを見ても、もはやこの世界での、秩序だとか、規則というものの定義する行為そのものが徒労ではないだろうか?とも思えてきます。
そうでしょうか。秩序というのものは、無秩序が蔓延る世界の中でこそ必要なものでしょう。そのためには、無秩序のアンチテーゼとして秩序とは何なのか、それを明確に定義して実践して、現状を覆すための努力を行う必要があるんじゃないでしょうか。たしかに国家権力やアメリカという強大な力によって秩序がなきものにされようとしている今では、無力感に襲われすべてを「徒労」と考えてしまうのもわかります。だが、徒労であるかどうかは、国民としての主権を発揮するまでわからないですよ。やってみなきゃ、わからないですよ。
だから、世界が激変してゆく大きな流れの中で自分がとても矮小な、大河に佇み流れに翻弄される小石のような存在に思えても、やはり小石が一箇所に隙間なく積もればそれは強力な土嚢となり、流れを堰き止める力すら持ち得るのではないでしょうか。そうした、個よりも集合としての力を発揮できる機会は、もうすぐやってくると思いますよ。小泉政権はそんなには続かないと思います。次回の総選挙で民意を示しましょう。
>規則を強要できる対象は、結局、武力的にも発言力の「弱いもの」に限られてくるわけですから、当然この不平等感は、何かの形(それがいわゆるテロという形かもしれない)で暴発せざるを得ないということになり、結局は世界秩序の劣化、崩壊に弾みを付けると言った逆効果になっていくような懸念を持っていますが、これに対して、ヱトさんはどのようにお考えでしょうか・・・?
俺はいまの現状「テロとの闘い(戦いではない)」は、秩序劣化や崩壊への弾みというより、「創造と破壊」のプロセスの中の1つの過渡期だと思っています。ですから、たとえ現状の深化により秩序が後退し平和が崩壊の一途を辿っても、俺はそれは「永続的」なプロセスではないと思っています。
これは、俺が人類に対して「人類は弱いものであるが完全に悪しき存在でもないはずだ」という、性善説でも性悪説でもないその“中間”にヒトがいるはずだという確信からくる考え方ですが、1つの勢力が一時的な台頭・衰退を繰り返す中ではもう一方の勢力もまた一時的な台頭・衰退を繰り返します。それは健全なプロセスの一環であり、俺は自然循環の1つだと思っています。
いま世界は、「ヒューマニズムの死」に直面しているのではないかと俺は思っています。これは今年新春の家族座談会で父が提唱した概念なんですが、植民地主義に続いて台頭した欧州発祥の人道主義も、いまや終焉を迎えつつあり、新たな主義が台頭しようとしているのではないかという考え方です。ただしこれは人道に限った話ではなく、人道主義がそもそも包含する民主主義的な価値観そのものの衰退が始まっているのでないか。すなわち、民主主義が見直されるときがきているのではないかということです。これはなにも、民主主義が不完全だからじゃあ社会主義に帰ろうとか、共産主義に進もうとか、そういった考え方ではありません。社会主義や共産主義というオプションがなくとも、民主主義はもう行き詰まっているのではないか安易なヒューマニズムや現実に則さない権利保護の考えでは、この政治体制そのものが維持できないのではないかと、新たなシステムを創造する必要があるのではないかと、そういう考え方です。
それがどんなものか、俺にはまだその姿すら見えていません。
ただ、何かが「死ぬ」ときヒトはそれを容易に受け入れず抗うものだと思います。
だから、俺は抗い続けていますし、これからも抗い続けます。ヒューマニズムの死は、俺には到底受け入れられる考え方じゃありません。まだ、何かできることがあるはずです。それが、国際法治の世界のはず。
諦めたら、流れに呑まれるだけだと思います。だから法治の世界が作り上げられるまで、俺は現状を悲観しません。現状は単なるプロセスの一環。そう考え、受け止めて行くつもりです。
とんでもない遅レスですみません・・・n(_ _)n
これは メッセージ 59042 (assaraamaaleicomnjp さん)への返信です.
固定リンク:https://yarchive.emmanuelc.dix.asia/552019567/bpa5a4a5ia5afipno9tbbh_1/60328.html