善良な日本人
投稿者: assaraamaaleicomnjp 投稿日時: 2004/11/28 09:39 投稿番号: [58441 / 118550]
私が子供の頃、ある日父親が、ぶつぶつ言いながら帰ってきた。
その理由は、帰宅の途中で、警察にとめられて、スピード違反だといわれた。それで、直接千円差し出したら、見のがしてくれた・・・・。
この頃、日本の警察による冤罪事件が多数発生している。
私の記憶では、この頃から、警察内部での規律というか、徹底的な言葉は悪いが、「粛正」のようなものが行われ、公僕としての社会生活内でのあり方のようなものが、厳しく教育されはじめたのではないだろうか?これは警察内部に留まらず、ほぼ全ての公務員に共通していたと思うが、それと同時に、並行して、一般市民への啓蒙作業もテレビのお茶の間番組や、映画などによって行われて、私達が目指すべき理想像としての「日本人」が形作られていった時期だったと思う。
「木下啓介劇場」や、「七人の孫」とかはその路線だが、公務員には同時に、「灯台守り」とか、医師の倫理には「ベンケーシー」とか・・・。
これと平行して、アメリカの中産階級の紹介物語が、「名犬ラッシー」「ルーシーショー」「奥様は魔女」なんかで紹介されて、生活面での理想的な社会をアメリカを理想的典型として国家主導で意図的に形成していったわけです。
こういう意味で、日本は、全体として何十年もかけて幻想を抱かされて進んできたわけだけれども、今回の北海道警察の不祥事のことを出すまでもなく、ある時期必死で形作られ、ほぼ完成の域に達した感のあった公務員の倫理が、一般日本人の倫理が、ぼろぼろと壊れていくのを目の当たりに見るのは、非常に辛いところである。
私のいいたかったことは、日本人は、もともと善良な、人間達の集まりというわけでもなく、世界中にどこにでもある、精いっぱいその場の現実生活に四苦八苦している人間達の集まりである。特別なものなど何もない。
この「善良な日本人」というイメージづくりは、先人達の血のにじむ努力によって人工的につくり出されてきたものである。つまりこういう虚構を拠り所にして、日本人のアイデンテティを求めてみたところで、所詮は、実体のない虚像なんだから、最後は空しいのだ。
また、この虚構を拠り所にすることは、「日本人の特性として、本来持っているもの。」とすることであれば、そこには、何かを造り出すとか、作り上げていくという行為の結果的な否定を意味する。「日本人は特別の民族で、その善良な人間性は、本来持っているのであるから、努力しなくても良い」という結論を導きだすことは、そんなに難しくない。
フロムさんの考え方は、このことを思い起こさせてくれるという意味で、貴重だが、そういう思いを持つ日本人が多くなりつつあることが、いま現在の「反省を顧みない日本人」として現実社会を自分達で維持発展させていくという意味での倫理低下の大きな原因になっているのではなかろうか?とも思えてくる。
その理由は、帰宅の途中で、警察にとめられて、スピード違反だといわれた。それで、直接千円差し出したら、見のがしてくれた・・・・。
この頃、日本の警察による冤罪事件が多数発生している。
私の記憶では、この頃から、警察内部での規律というか、徹底的な言葉は悪いが、「粛正」のようなものが行われ、公僕としての社会生活内でのあり方のようなものが、厳しく教育されはじめたのではないだろうか?これは警察内部に留まらず、ほぼ全ての公務員に共通していたと思うが、それと同時に、並行して、一般市民への啓蒙作業もテレビのお茶の間番組や、映画などによって行われて、私達が目指すべき理想像としての「日本人」が形作られていった時期だったと思う。
「木下啓介劇場」や、「七人の孫」とかはその路線だが、公務員には同時に、「灯台守り」とか、医師の倫理には「ベンケーシー」とか・・・。
これと平行して、アメリカの中産階級の紹介物語が、「名犬ラッシー」「ルーシーショー」「奥様は魔女」なんかで紹介されて、生活面での理想的な社会をアメリカを理想的典型として国家主導で意図的に形成していったわけです。
こういう意味で、日本は、全体として何十年もかけて幻想を抱かされて進んできたわけだけれども、今回の北海道警察の不祥事のことを出すまでもなく、ある時期必死で形作られ、ほぼ完成の域に達した感のあった公務員の倫理が、一般日本人の倫理が、ぼろぼろと壊れていくのを目の当たりに見るのは、非常に辛いところである。
私のいいたかったことは、日本人は、もともと善良な、人間達の集まりというわけでもなく、世界中にどこにでもある、精いっぱいその場の現実生活に四苦八苦している人間達の集まりである。特別なものなど何もない。
この「善良な日本人」というイメージづくりは、先人達の血のにじむ努力によって人工的につくり出されてきたものである。つまりこういう虚構を拠り所にして、日本人のアイデンテティを求めてみたところで、所詮は、実体のない虚像なんだから、最後は空しいのだ。
また、この虚構を拠り所にすることは、「日本人の特性として、本来持っているもの。」とすることであれば、そこには、何かを造り出すとか、作り上げていくという行為の結果的な否定を意味する。「日本人は特別の民族で、その善良な人間性は、本来持っているのであるから、努力しなくても良い」という結論を導きだすことは、そんなに難しくない。
フロムさんの考え方は、このことを思い起こさせてくれるという意味で、貴重だが、そういう思いを持つ日本人が多くなりつつあることが、いま現在の「反省を顧みない日本人」として現実社会を自分達で維持発展させていくという意味での倫理低下の大きな原因になっているのではなかろうか?とも思えてくる。
これは メッセージ 1 (topics_editor さん)への返信です.
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