■アメリカ合衆国等に関する一考察(1)
投稿者: silverlining551 投稿日時: 2004/10/04 20:56 投稿番号: [55019 / 118550]
■過激派テロリストが誘うもの
―世界観・価値観闘争の土俵―
◆「利他的な思考と利己的な思想の衝突」ということについて。
僕個人としては、テロとの戦いが、利他性と利己性の衝突になっているのかについては若干疑問符がつく印象を持っています。
過激派テロリストがしたがっていることは、世界観・価値観闘争の土俵に、米国などを乗っけることでないかと感じています。
で、もし、テロとの戦いが世界観・価値観闘争になるのであれば、宗教紛争の経験を踏まえ、欧米諸国が築き上げてきた、政治概念と宗教概念を切り離した世界秩序体系が揺らいでしまいかねない事態にもなるのではないかと懸念しています。
しかも、9・11直後、ワードポリティクス上は、世界観・価値観闘争になってしまったと感じさせるような発言も、
ブッシュ大統領の演説やメディアなどを通して、米国側から相次いで出されました。
「善と悪の闘争」「十字軍」「アメリカの聖戦」――などなど。
過激派テロリストの行動が、憎むべき犯罪であるという点は、イスラム社会の多くの人たちが同意するところだとも思います。
しかし、その憎むべき犯罪行為に対する対抗措置が、「十字軍」であるとか、「善と悪の戦い」というように規定されてしまうのであれば、話は大きく変わります。
米国が絶対的な善を体現し得るという認識を、イスラム社会の人たちは当然持っていません。
(っていうか、世界全体の人たちに共有されている認識でもありませんけどね…)
ゆえに、米国などの行動が「十字軍」と同一視されようものなら、
イスラム教徒の中には、テロリスト側になびいてしまう者も出てくるでしょう。
ビンラディンなんかは、世界観・価値観闘争にさせたがっている張本人ではないでしょうか?
実際、彼は、米国を「十字軍」と捉える発想をします。
アラブ諸国の米国批判においては、米国を「十字軍」とするビンラディンのような捉え方は主流ではなかったと思います。
むしろ、欧米の宗教団体をアラブ諸国が批判する場合、キリスト教の中のリベラル派が言うような、「異なる価値観を尊重する」みたいなソフト路線に、かえって疑念を抱いていた傾向があったと思うんです。
また、「反十字軍」の掛け声は、現実と噛み合わない虚しさがあったように思います。
いくら「反十字軍」を叫んでも、当の米国がそんなに確固とした信念や価値観を背景に行動していたわけじゃなかったから、
そんな掛け声は相手にされていなかったという感じでしょう。
僕は、米国政治の本質は、やはり冷酷なまでのプラグマティズムであると思っています。
だからこそ、世界観・価値観闘争の土俵に乗りにくい。
パパブッシュの湾岸危機への対処と多国籍軍の連合形成の進め方は、多分にプラグマティックなものでした。
ゆえに、フセイン政権の「ジハード」の宣揚も虚しく響き、簡単に退けることができた。
クリントン政権もやはりプラグマティック。
ビンラディンの犯行とされる米国大使館爆破事件への報復として行われた
スーダンの化学薬品工場爆撃は、いかにも場当たり的で、理念や価値を微塵も感じさせないものだった。
しかも、一方的な報復措置でありながら、かなり腰の引けた巡航ミサイルによる爆撃。
子ブッシュに至っては、9・11が起こるまでは、そもそも対外政策にほとんど関心を示していなかった。
先にも述べましたが9・11直後、ワードポリティクス上は、世界観・価値観闘争に乗ってしまった感を受けましたが、国際政治上の対応は、やはりプラグマティックだと感じています。
―世界観・価値観闘争の土俵―
◆「利他的な思考と利己的な思想の衝突」ということについて。
僕個人としては、テロとの戦いが、利他性と利己性の衝突になっているのかについては若干疑問符がつく印象を持っています。
過激派テロリストがしたがっていることは、世界観・価値観闘争の土俵に、米国などを乗っけることでないかと感じています。
で、もし、テロとの戦いが世界観・価値観闘争になるのであれば、宗教紛争の経験を踏まえ、欧米諸国が築き上げてきた、政治概念と宗教概念を切り離した世界秩序体系が揺らいでしまいかねない事態にもなるのではないかと懸念しています。
しかも、9・11直後、ワードポリティクス上は、世界観・価値観闘争になってしまったと感じさせるような発言も、
ブッシュ大統領の演説やメディアなどを通して、米国側から相次いで出されました。
「善と悪の闘争」「十字軍」「アメリカの聖戦」――などなど。
過激派テロリストの行動が、憎むべき犯罪であるという点は、イスラム社会の多くの人たちが同意するところだとも思います。
しかし、その憎むべき犯罪行為に対する対抗措置が、「十字軍」であるとか、「善と悪の戦い」というように規定されてしまうのであれば、話は大きく変わります。
米国が絶対的な善を体現し得るという認識を、イスラム社会の人たちは当然持っていません。
(っていうか、世界全体の人たちに共有されている認識でもありませんけどね…)
ゆえに、米国などの行動が「十字軍」と同一視されようものなら、
イスラム教徒の中には、テロリスト側になびいてしまう者も出てくるでしょう。
ビンラディンなんかは、世界観・価値観闘争にさせたがっている張本人ではないでしょうか?
実際、彼は、米国を「十字軍」と捉える発想をします。
アラブ諸国の米国批判においては、米国を「十字軍」とするビンラディンのような捉え方は主流ではなかったと思います。
むしろ、欧米の宗教団体をアラブ諸国が批判する場合、キリスト教の中のリベラル派が言うような、「異なる価値観を尊重する」みたいなソフト路線に、かえって疑念を抱いていた傾向があったと思うんです。
また、「反十字軍」の掛け声は、現実と噛み合わない虚しさがあったように思います。
いくら「反十字軍」を叫んでも、当の米国がそんなに確固とした信念や価値観を背景に行動していたわけじゃなかったから、
そんな掛け声は相手にされていなかったという感じでしょう。
僕は、米国政治の本質は、やはり冷酷なまでのプラグマティズムであると思っています。
だからこそ、世界観・価値観闘争の土俵に乗りにくい。
パパブッシュの湾岸危機への対処と多国籍軍の連合形成の進め方は、多分にプラグマティックなものでした。
ゆえに、フセイン政権の「ジハード」の宣揚も虚しく響き、簡単に退けることができた。
クリントン政権もやはりプラグマティック。
ビンラディンの犯行とされる米国大使館爆破事件への報復として行われた
スーダンの化学薬品工場爆撃は、いかにも場当たり的で、理念や価値を微塵も感じさせないものだった。
しかも、一方的な報復措置でありながら、かなり腰の引けた巡航ミサイルによる爆撃。
子ブッシュに至っては、9・11が起こるまでは、そもそも対外政策にほとんど関心を示していなかった。
先にも述べましたが9・11直後、ワードポリティクス上は、世界観・価値観闘争に乗ってしまった感を受けましたが、国際政治上の対応は、やはりプラグマティックだと感じています。
これは メッセージ 55014 (silverlining430 さん)への返信です.
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