2004年秋、フセイン■再考察(3)
投稿者: silverlining551 投稿日時: 2004/10/03 16:06 投稿番号: [54929 / 118550]
③民主化のイメージを強調するフセイン
フセインが自らの権力基盤を確立する際、頻繁に口にしたのが「民主化」と「能力主義」。
1979年に大統領の座につくわけだけれど、フセインは自分の権力の基盤が磐石ではないことをよく分かっていた。
で、やったことは経済面でのばらまき政策による政府に対する国民の不満の封じ込めと、「民主化」のイメージの刷り込み。
クルド人自治区に立法評議会と行政委員会を設置したりもした。
けれど、フセインの言う「民主化」は、議員、官僚、国民一般の政権に対する忠誠心をテストするためのもの。
ここが、彼の独裁がただの独裁とは一線を画していた点だとも思う。
ただの独裁だったら、国民は何も文句は言わず、だまって独裁者についていけばいいだけになる。
けれど、フセインの統治下では、民主化によって、なまじ自由な発言が国民に与えられている体裁が整ってしまっていた。
で、その自由な発言が保障されている中で、どれだけフセイン政権に対し、忠誠心と愛国心を示すことができるかどうか
――ということが試されることになる。
忠誠心の競争社会とも言えるね。
で、その競争に失敗した者は、容赦なく弾圧されるということになる。
で、フセインが形式的に与えた「自由な発言」の権利の中に、
どれだけフセイン政権への忠誠心が表現されているかどうかをチェックしていたのが、
イラク全土に張り巡らされていた諜報監視網。
秘密警察なんてのは、二重三重に日常生活の中に組み込まれていて、
物理的暴力以上に、心理的な強制力が脅威となる仕組みを作り上げていたと言える。
しかも、諜報監視網にはイラクの一般市民も取り込まれている。
一般市民に協力を求める形を取っていたので…。
ヘタをすると友人同士の世間話が密告として扱われかねない。
うっかりすると自分の息子や娘が家族の内情をリークする存在になりかねない。
――そんな恐怖があったのがフセイン統治下のイラクだったわけだ。
で、こうした諜報体制がフセイン政権存続を支える重要な柱であったわけだから、
当然の帰結として、フセインは親族を重要役職に登用し続けることになる。
④「持たざる人々」の積極登用
一方で、フセインの親族だけで、治安や諜報に関わる要員を補えるわけではない。
フセインの地縁や同属はそれほど大きな組織じゃないので。
では、特に地域の末端部分にどうやって、治安や諜報に関わる要員を配置したのかが疑問として考えられる。
実際、イラク南部なんかの貧困地域から、イラクの国民議会に立候補する人は、元警察官って略歴の人たちが多い。
党にも参加できず、教育も遅れている貧困地域で政治的にステップアップするための近道は、
治安や諜報部門に職を求めるということだったかららしい。
しかも、能力も人脈も資金も持たない若者にとっては、政府が雇用主である治安・諜報要員は、かなり魅力的でもあったし。
で、こうした「持たざる人々」を積極的に登用するというやり方も、フセイン政権の人事に特徴的な部分。
フセインは、「持てる人々」から排除された「持たざる人々」こそ、動員しやすいということをよく知っていた人物だった。
イラン・イラク戦争では、兵員不足が生じた際、イラク西部の砂漠地域の部族の若者を駆り集め、「精鋭部隊」に仕立て上げたりした。
バース党はそもそも、血縁や地縁を前近代的なものとして忌み嫌ってきた。
が、フセインは、エリートコースから外れた部族民を動員するため、バース党が忌避していた部分を重視し、
全ての部族の部族長のような振る舞いをとった。
身寄りのない者や忠誠が見込まれて登用された者が、フセインに重用され続けるには、
いかに自分がフセインにとって有意義であるかということを示す以外に道はない。
彼らにとっては、フセインの庇護を失うことが、全てを失うことを意味していたのだから。
この危機感こそが、フセインに登用された「持たざる人々」をイエスマン以上のものに仕立て上げたと言ってよいと思う。
フセインが自らの権力基盤を確立する際、頻繁に口にしたのが「民主化」と「能力主義」。
1979年に大統領の座につくわけだけれど、フセインは自分の権力の基盤が磐石ではないことをよく分かっていた。
で、やったことは経済面でのばらまき政策による政府に対する国民の不満の封じ込めと、「民主化」のイメージの刷り込み。
クルド人自治区に立法評議会と行政委員会を設置したりもした。
けれど、フセインの言う「民主化」は、議員、官僚、国民一般の政権に対する忠誠心をテストするためのもの。
ここが、彼の独裁がただの独裁とは一線を画していた点だとも思う。
ただの独裁だったら、国民は何も文句は言わず、だまって独裁者についていけばいいだけになる。
けれど、フセインの統治下では、民主化によって、なまじ自由な発言が国民に与えられている体裁が整ってしまっていた。
で、その自由な発言が保障されている中で、どれだけフセイン政権に対し、忠誠心と愛国心を示すことができるかどうか
――ということが試されることになる。
忠誠心の競争社会とも言えるね。
で、その競争に失敗した者は、容赦なく弾圧されるということになる。
で、フセインが形式的に与えた「自由な発言」の権利の中に、
どれだけフセイン政権への忠誠心が表現されているかどうかをチェックしていたのが、
イラク全土に張り巡らされていた諜報監視網。
秘密警察なんてのは、二重三重に日常生活の中に組み込まれていて、
物理的暴力以上に、心理的な強制力が脅威となる仕組みを作り上げていたと言える。
しかも、諜報監視網にはイラクの一般市民も取り込まれている。
一般市民に協力を求める形を取っていたので…。
ヘタをすると友人同士の世間話が密告として扱われかねない。
うっかりすると自分の息子や娘が家族の内情をリークする存在になりかねない。
――そんな恐怖があったのがフセイン統治下のイラクだったわけだ。
で、こうした諜報体制がフセイン政権存続を支える重要な柱であったわけだから、
当然の帰結として、フセインは親族を重要役職に登用し続けることになる。
④「持たざる人々」の積極登用
一方で、フセインの親族だけで、治安や諜報に関わる要員を補えるわけではない。
フセインの地縁や同属はそれほど大きな組織じゃないので。
では、特に地域の末端部分にどうやって、治安や諜報に関わる要員を配置したのかが疑問として考えられる。
実際、イラク南部なんかの貧困地域から、イラクの国民議会に立候補する人は、元警察官って略歴の人たちが多い。
党にも参加できず、教育も遅れている貧困地域で政治的にステップアップするための近道は、
治安や諜報部門に職を求めるということだったかららしい。
しかも、能力も人脈も資金も持たない若者にとっては、政府が雇用主である治安・諜報要員は、かなり魅力的でもあったし。
で、こうした「持たざる人々」を積極的に登用するというやり方も、フセイン政権の人事に特徴的な部分。
フセインは、「持てる人々」から排除された「持たざる人々」こそ、動員しやすいということをよく知っていた人物だった。
イラン・イラク戦争では、兵員不足が生じた際、イラク西部の砂漠地域の部族の若者を駆り集め、「精鋭部隊」に仕立て上げたりした。
バース党はそもそも、血縁や地縁を前近代的なものとして忌み嫌ってきた。
が、フセインは、エリートコースから外れた部族民を動員するため、バース党が忌避していた部分を重視し、
全ての部族の部族長のような振る舞いをとった。
身寄りのない者や忠誠が見込まれて登用された者が、フセインに重用され続けるには、
いかに自分がフセインにとって有意義であるかということを示す以外に道はない。
彼らにとっては、フセインの庇護を失うことが、全てを失うことを意味していたのだから。
この危機感こそが、フセインに登用された「持たざる人々」をイエスマン以上のものに仕立て上げたと言ってよいと思う。
これは メッセージ 54861 (pikaichi_kink_1000000 さん)への返信です.
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