ファルージャの学校占拠
投稿者: spica_022 投稿日時: 2004/09/06 12:57 投稿番号: [52929 / 118550]
カカシさん、亀レスと自分の投稿の訂正、補足です。
まず訂正
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何故アメリカが学校を占拠したのかはこの記事では不明。
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カカシさんのこの文章を、なぜか「いつアメリカ軍が占拠したのか」と読み違え、さらに「2003年3月だと思う」と、これまた事実と違うことを書いてしまいました。。。恥ずかしっ^^;すみません。
調べてみたら、米軍がファルージャに侵攻したのは2003年4月でした。学校占拠も当然、侵攻以降の4月になります。
>>
戦争中に、こともあろうに学校を占拠、なんてバカなことを言ってる場合じゃないでしょうが
>>
以下、たらたらレスをつけてたんですけど、全部消しました。わたしのたらたらした文章より、益岡賢氏の「ファルージャ背景」のほうがいいです。まずはこちらをお読みください。
益岡賢氏のサイト
http://www.jca.apc.org/~kmasuoka/
「ファルージャ背景」
(益岡氏の本、買ってあげてくださいねー。「2004年6月に『ファルージャ 2004年4月』(現代企画室・1500円)が出版され、2004年4月にファルージャで起きたことが目撃証言を中心にまとめられているそうです。←ネットで引用する際はこの記述が必須だそうなので、宣伝♪)
以下一部引用
事件の経緯は、ヒューマンライツ・ウォッチの報告書に詳しい。その記述を借りて、少し整理しておこう。
米軍の大隊がファルージャに進出したのは二〇〇三年の四月二三日。四月九日から一一日にかけて、バグダッド、キルクーク、モスールといった主要都市が陥落してから、フセイン政権下のイラク軍や「フェダイーン」の一部が、ファルージャの町に来ていたという。同地区の米軍司令官アーノルド・ブレイ大佐は、「我々は、一般市民に安全に感じて貰うために」来たのであり、「住民とインフラ、そして当然ながら我々自身を守る権限を与えられている」と述べている。
米軍が侵入したとき、ファルージャでは、すでに、現地の指導者たちが文民行政委員会を設置し、行政官と市長を選出していた。これにより、ほかの都市で見られたような略奪をはじめとする諸犯罪は、ファルージャでは、かなり抑えられていた。
四月二四日、状況を憂慮したファルージャの指導者たちが米軍司令官と面会し、ファルージャは信教の篤い町であり、米軍兵士は慎重に振舞って欲しいと要望を出した。住民たちは、兵士の攻撃的なパトロールに怒りを感じている、と。ファルージャでは、米軍が暗視鏡を使って、夜間、人々のプライバシーを覗き見しているとか、子供たちにポルノ的な図柄の入った風船ガムを配っているという話が広まっていた。
アル−カイード小学校に隣接するナザル・モスクのイマーム、ムハンマド・アル−ズバーイは、次のように語っている:「米軍兵士たちは、ファルージャの住民に対して、あまり礼儀正しく振舞っていなかった。暗視機材を使って、屋根の上に人がいるかどうか監視し、周囲の家族を監視していた。人々のプライバシーが、これにより乱された。さらに、米軍は徹底的なパトロールを行なっていた」。
緊張は、こうして高まっていった。
まず訂正
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何故アメリカが学校を占拠したのかはこの記事では不明。
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カカシさんのこの文章を、なぜか「いつアメリカ軍が占拠したのか」と読み違え、さらに「2003年3月だと思う」と、これまた事実と違うことを書いてしまいました。。。恥ずかしっ^^;すみません。
調べてみたら、米軍がファルージャに侵攻したのは2003年4月でした。学校占拠も当然、侵攻以降の4月になります。
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戦争中に、こともあろうに学校を占拠、なんてバカなことを言ってる場合じゃないでしょうが
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以下、たらたらレスをつけてたんですけど、全部消しました。わたしのたらたらした文章より、益岡賢氏の「ファルージャ背景」のほうがいいです。まずはこちらをお読みください。
益岡賢氏のサイト
http://www.jca.apc.org/~kmasuoka/
「ファルージャ背景」
(益岡氏の本、買ってあげてくださいねー。「2004年6月に『ファルージャ 2004年4月』(現代企画室・1500円)が出版され、2004年4月にファルージャで起きたことが目撃証言を中心にまとめられているそうです。←ネットで引用する際はこの記述が必須だそうなので、宣伝♪)
以下一部引用
事件の経緯は、ヒューマンライツ・ウォッチの報告書に詳しい。その記述を借りて、少し整理しておこう。
米軍の大隊がファルージャに進出したのは二〇〇三年の四月二三日。四月九日から一一日にかけて、バグダッド、キルクーク、モスールといった主要都市が陥落してから、フセイン政権下のイラク軍や「フェダイーン」の一部が、ファルージャの町に来ていたという。同地区の米軍司令官アーノルド・ブレイ大佐は、「我々は、一般市民に安全に感じて貰うために」来たのであり、「住民とインフラ、そして当然ながら我々自身を守る権限を与えられている」と述べている。
米軍が侵入したとき、ファルージャでは、すでに、現地の指導者たちが文民行政委員会を設置し、行政官と市長を選出していた。これにより、ほかの都市で見られたような略奪をはじめとする諸犯罪は、ファルージャでは、かなり抑えられていた。
四月二四日、状況を憂慮したファルージャの指導者たちが米軍司令官と面会し、ファルージャは信教の篤い町であり、米軍兵士は慎重に振舞って欲しいと要望を出した。住民たちは、兵士の攻撃的なパトロールに怒りを感じている、と。ファルージャでは、米軍が暗視鏡を使って、夜間、人々のプライバシーを覗き見しているとか、子供たちにポルノ的な図柄の入った風船ガムを配っているという話が広まっていた。
アル−カイード小学校に隣接するナザル・モスクのイマーム、ムハンマド・アル−ズバーイは、次のように語っている:「米軍兵士たちは、ファルージャの住民に対して、あまり礼儀正しく振舞っていなかった。暗視機材を使って、屋根の上に人がいるかどうか監視し、周囲の家族を監視していた。人々のプライバシーが、これにより乱された。さらに、米軍は徹底的なパトロールを行なっていた」。
緊張は、こうして高まっていった。
これは メッセージ 52812 (oxnardnokakashi さん)への返信です.
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