アメリカの原理教
投稿者: oxnardnokakashi 投稿日時: 2004/09/05 09:41 投稿番号: [52818 / 118550]
バッタさん、欧米は中世いおいて、キリスト教原理教の排他主義がどれほどまちがっていたかを学んだ。しかしヨーロッパとアメリカではその解決策が対象的だ。ヨーロッパ、特に仏蘭西では宗教そのものを拒絶した。だから公共の場で宗教の印となるようなスカーフ、十字架、ヤマカなどの着用禁止などという法律がまかり通るようになった。
しかしアメリカが学んだものは、異教徒排他主義は、キリスト教原理教の教えに背くものだという解釈。つまりキリスト教の本来の姿は異教徒を差別したり虐待したりしてするものではなく、そのような行為は罪であるという考え方に落ち着いたことだ。
バッタママさんはアメリカのキリスト教原理教の考え方を誤解してると思う。わたしはキリスト教とではないが、わたしなりの解釈は下記の通り。
アメリカは宗教心の強い国だ。しかしアメリカが神に選ばれた国だからなにをしてもいいというのではない。神に選ばれた国だからこそ、神の教えに忠実に従う義務がある。異教徒を迫害し虐待することは、神の教えにそむくことであり、罪である。
アメリカが神に選ばれた国ということは、アメリカのやることがすべて神によって正当化されるという意味ではない。アメリカは常に神の教えに従って常に正しいことをしなければならないという意味だ。
だから
>結果として、神の御心のままに、悪である反キリスト(イスラム原理主義)が滅び、正義(アメリカ)が勝つと。
このような考え方はキリスト教原理教の教えに背くものである。
わたしは何度もいっているが、主役によって正義や悪義がきまるのではなく、行為によって正義や悪義がきめられるのだ。悪いことは誰がやっても悪い。アメリカがもし単にイスラム教徒が異教徒だからという理由だけで攻撃するのであれば、その行為は悪である。イラクや亜フがニスタンの石油が欲しいというだけで占領して国民を虐殺したなら、それは悪である。
思うに、宗教とは正義の基準となるガイドラインを信者に示すものだと思う。宗教とは神の名のもとに行動すればフリーパスをもらえるような甘いものではなく、自分の行動が常に正しいかどうか見極めるための、道案内のようなものだと思う。
これは メッセージ 52816 (battamother さん)への返信です.
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