21世紀の科学と精神性
投稿者: venture_2016 投稿日時: 2004/08/06 20:34 投稿番号: [49303 / 118550]
バッタママの投稿に啓発されて、ちょいといまのわっちの考えをまとめると..
アインシュタインが言った言葉「科学には表裏がある」,これは確かに真実を突いている。表の論理の世界,すなわち厳密で一義な因果関係の組み合わせの世界と,裏のその論理体系が美しいか否かを感じる感性の世界。美しいと思う理論ほど現実の現象に合致していて,幾つかの単純な法則の組み合わせで,森羅万象(とはいかないまでも多くの)現象が説明できる。
その法則で新たな現象が予測でき,それが定性的にも定量的にも現象と合致していたとき,表の世界の研究者は,無常の喜びを感じる。と同時に,「自分が発想した法則通りに自然がなぜしたがうのか」に言え知れない神秘性を感じる。
その神秘性は,「法則性を思いついた自然の一部である自分も含めて神の仕業」としか感じられないわけで,「決定論」的な因果関係の発想から抜け切れなかったアインシュタインは,特に神秘性を感じたと思う。
現代の科学は,その美しいと思う人間の感性までも「科学」しようとしているわけで,美しいと感じる根源にメスを入れている (たとえば,黄金分割比1:1.618は,前の状態(or 数字)に現在の状態(or 数字)を加算したものが,次の状態(or 数字)になるとの極限の比で)。
元来は神の領域であった「遺伝子操作」と並んで,感性や感情に対する科学的なメスは,人間が実は精巧に作られたロボットであることを前提とした「全体は部分に分割できるとする還元論的なアプローチ」にすぎないわけだ。もちろん,還元論的なアプローチ以外にも「全体が有機的に結合した状態こそが意味を持ち,部分に分割できない」とする包括的なアプローチもあるが,科学する知的好奇心自体が,人間の根源的な動機として埋め込まれており,これを停止させることは不可能,というより停止させること自体,人間の存在を否定することになる。
もちろん人間の「精神性」も同じで,いずれ脳あるいは全身の感覚器官との相互に作用しあったときに生じる脳のある状態として科学的に究明されるときが21世紀中には来るのではないかと思う。
友人や恋人と話してても,相手を科学的な存在としか見れずに,「いま,アドネナリンが○mg分泌され,前頭葉のこの部位が興奮状態にあり..」などとしか見れなくなってしまったら,まったく興ざめになるにも拘らず,人間は自然現象として一部として,人間の精神性を暴き出すことを止めさせることはない。
生物的に精巧なロボットとして人間を見ることによって,病気もせず寿命が伸び,一層感性を刺激する文芸作品ができ(といってもすでに理論にしたがった作品つくりは行われているが),それを教授する人間の幸せ感が増大すれば,それはそれで意味をもつ.
しかし同時に現代科学の一つの成果である量子論は「神がサイコロを振る」ことを暴いてしまった.人間から見た神(もちろん,それ以外の犬から見た神なぞ存在意義はないが)は,ある法則にしたがってサイコロを振り,かつどの目が出るかは神も知らないことを暴いてしまったわけ。
その不確定性が一つの救いとして人間の創造性や人間の自由意志の存在を感じる「精神性」につながると考えるのが,現在の科学する側の代表的な考え方。
で,結局は,人間の精神性は,あらかじめ大筋は確率的な法則性としてプログラムされているが,詳細な思考・行動の選択部分に関しては,その都度,サイコロを振って決めるようにプログラムされた人間の頭脳活動の一つの現象にすぎないと考えるようにようになる。
いま,ここで自分の自由意志のつもりで書いている文章も,動機と過去の知識,経験によって大筋は決定され,細部は確率的に非可逆に決定された現象になりなるわけ。
実に無味乾燥だが,21世紀中に確率的に決定される細部を除いて,人間の頭脳現象が明らかされたとき,それを知った人間は不確実性を楽しむ形で,生きてゆくしか仕方がなくなる。
すなわち,すべての人間が自然の一部としての法則性に従いながら,唯一不確定な部分を自分の精神性と感じ,自然に生かされているの感じながら,自分の役割を認識し,他の者の影響に感謝しながら生きる,一種の「悟り」を開いた状態になる。
アインシュタインが言った言葉「科学には表裏がある」,これは確かに真実を突いている。表の論理の世界,すなわち厳密で一義な因果関係の組み合わせの世界と,裏のその論理体系が美しいか否かを感じる感性の世界。美しいと思う理論ほど現実の現象に合致していて,幾つかの単純な法則の組み合わせで,森羅万象(とはいかないまでも多くの)現象が説明できる。
その法則で新たな現象が予測でき,それが定性的にも定量的にも現象と合致していたとき,表の世界の研究者は,無常の喜びを感じる。と同時に,「自分が発想した法則通りに自然がなぜしたがうのか」に言え知れない神秘性を感じる。
その神秘性は,「法則性を思いついた自然の一部である自分も含めて神の仕業」としか感じられないわけで,「決定論」的な因果関係の発想から抜け切れなかったアインシュタインは,特に神秘性を感じたと思う。
現代の科学は,その美しいと思う人間の感性までも「科学」しようとしているわけで,美しいと感じる根源にメスを入れている (たとえば,黄金分割比1:1.618は,前の状態(or 数字)に現在の状態(or 数字)を加算したものが,次の状態(or 数字)になるとの極限の比で)。
元来は神の領域であった「遺伝子操作」と並んで,感性や感情に対する科学的なメスは,人間が実は精巧に作られたロボットであることを前提とした「全体は部分に分割できるとする還元論的なアプローチ」にすぎないわけだ。もちろん,還元論的なアプローチ以外にも「全体が有機的に結合した状態こそが意味を持ち,部分に分割できない」とする包括的なアプローチもあるが,科学する知的好奇心自体が,人間の根源的な動機として埋め込まれており,これを停止させることは不可能,というより停止させること自体,人間の存在を否定することになる。
もちろん人間の「精神性」も同じで,いずれ脳あるいは全身の感覚器官との相互に作用しあったときに生じる脳のある状態として科学的に究明されるときが21世紀中には来るのではないかと思う。
友人や恋人と話してても,相手を科学的な存在としか見れずに,「いま,アドネナリンが○mg分泌され,前頭葉のこの部位が興奮状態にあり..」などとしか見れなくなってしまったら,まったく興ざめになるにも拘らず,人間は自然現象として一部として,人間の精神性を暴き出すことを止めさせることはない。
生物的に精巧なロボットとして人間を見ることによって,病気もせず寿命が伸び,一層感性を刺激する文芸作品ができ(といってもすでに理論にしたがった作品つくりは行われているが),それを教授する人間の幸せ感が増大すれば,それはそれで意味をもつ.
しかし同時に現代科学の一つの成果である量子論は「神がサイコロを振る」ことを暴いてしまった.人間から見た神(もちろん,それ以外の犬から見た神なぞ存在意義はないが)は,ある法則にしたがってサイコロを振り,かつどの目が出るかは神も知らないことを暴いてしまったわけ。
その不確定性が一つの救いとして人間の創造性や人間の自由意志の存在を感じる「精神性」につながると考えるのが,現在の科学する側の代表的な考え方。
で,結局は,人間の精神性は,あらかじめ大筋は確率的な法則性としてプログラムされているが,詳細な思考・行動の選択部分に関しては,その都度,サイコロを振って決めるようにプログラムされた人間の頭脳活動の一つの現象にすぎないと考えるようにようになる。
いま,ここで自分の自由意志のつもりで書いている文章も,動機と過去の知識,経験によって大筋は決定され,細部は確率的に非可逆に決定された現象になりなるわけ。
実に無味乾燥だが,21世紀中に確率的に決定される細部を除いて,人間の頭脳現象が明らかされたとき,それを知った人間は不確実性を楽しむ形で,生きてゆくしか仕方がなくなる。
すなわち,すべての人間が自然の一部としての法則性に従いながら,唯一不確定な部分を自分の精神性と感じ,自然に生かされているの感じながら,自分の役割を認識し,他の者の影響に感謝しながら生きる,一種の「悟り」を開いた状態になる。
これは メッセージ 49102 (battamother さん)への返信です.
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