もう一つの自然淘汰2
投稿者: battamother 投稿日時: 2004/07/27 22:11 投稿番号: [47862 / 118550]
もう一つの『自然淘汰』に、私は『宇宙(神)の意志』というものを定義つけている。
イラクで人質になった郄遠さんの言葉が興味深い。他にも沢山の人質が殺された中で、彼女は生きて帰った。それを彼女は『生かされた命』という言葉で表現している。何者かの意志で、今自分が死なずに存在している。ならば、この頂いた命を何か人の為に使っていきたい。そのような趣旨だったと思う。
同様に、生きる力を失い、自らを殺めようと図った私が、今もこうして生かされている。
それは、死んだ人が弱で、生き残った人が強といった意味とは違うのだ。
ある意味死んだことにも意味があり、生き残ったことにも意味がある。その時、生き残った者は、そこに人間の意志を超えた『何か』の力が働いていると思う。そして、死んだ人の命の分も生きようと思う。彼らの命が自分の命の種になっている。そういう意味で、どのような形で死んでいった人の死にも『犬死に』なんてないと私は思っている。もちろん現実的にはそう思えることも多々あるが、大いなる宇宙の計画の中においてはそうだと思う。
最後に、この宇宙には理論や理屈だけでは表現できない世界があるということ。
もう一つの『自然淘汰』を『宇宙の意志』などと言えば、すわ神がかっているという向きもあるだろうが、自分が生かされているという実感というか、より大いなるものの存在を感じた時、人はその自分を生かしてくれている大いなるものに対して謙虚にならざるを得ない。そこに『畏れ』を感じる。聖書にも『畏れを知る者は、神を知るる』(原文通りじゃないが)という言葉がある。すると、今・ここにこうして自分が存在していることが奇跡だと思える。
注)それでも人間関係で現れるエゴは常に傲慢になりやすいけどね。(特に私は)
もういい加減、借り物の知識を振りかざすのはやめようよ。
これは メッセージ 1 (topics_editor さん)への返信です.
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