>>オバカそのものの仏教談義
投稿者: nanntyattesamurai 投稿日時: 2004/07/24 12:27 投稿番号: [47419 / 118550]
こんにちは、朝ラーメンさん。
仏教談義、良いですね。
私はあまり仏教については詳しくないですが、
ここは一つ、私も「お馬鹿な仏教談義」に乗せてもらいます。
1. 人は何故死ぬのか
釈迦の唱えた「生病老死苦」
これが無くなってしまっては、この世の存在意義はあるのでしょうか?
だれも痛みも苦しみも感じない世界と言うのは、均質で平坦な世界に過ぎません。
山だけの世界、光だけの世界
川だけの世界、闇だけの世界
この様な均質な世界、人はその存在を認識できるのでしょうか?
「生病老死苦」の無い調和した世界を、神が望んだのであれば
神だけがあれば良かったのではないか。
存在そのものが、自他との摩擦を内包しているのですから
この世が存在している以上、自他との摩擦は避けられないと言うか
自他との摩擦そのものが存在意義ではないでしょうか。
苦しみがあるから喜びがあり、不自由を感じるから自由を求める。
ただ人は、高い所と低い所を比較して「存在を認識」し
山と名づけて「山として、概念を共通化」する。(陰陽師の呪「シュ」もこれに起因する)
人は「この世に存在する自分」を認識する時
自己を写す鏡に、「物質的には自分の体」「精神的には自分の概念」をもちいます。
そして自分の周りの世界は、言葉などを媒体として、概念の中に再構築されます。
この、「概念の中に構築された世界に写る自分」これを自分の姿として認識している訳ですね。
そう言う意味で考えると、自分の周りの世界も、自分の体も概念も
「本当の自分から見た場合の他者となります」(故に自己の葛藤も生まれます)
そう考えると、釈迦がバラモン教の苦行の中で悟った物は
当時の社会制度と宗教的戒律によって築かれた「自己を写す概念」
その存在を悟り、それを見ている自我を悟ったのではないかと推察します。
まあ、これは人類経済学の
カール・ポランニー(パンサルですね)が提唱する
「内知」の存在に気付く事とほぼ同義だと考えます。
そしてこの概念が、文化や宗教、国や部族社会などの
複雑な制度や体制を生み出します(共同幻想)
しかし、悟りがあるレベル以上になった者にとっては
悟りがもたらす「概念の認識」により
概念が生み出した人類の様々な壁(文化や宗教)を取り払う事が可能だと考えます。
これが、エクメニカル・ガバメントを考える時の一つの鍵ではないかと考えています。
これは メッセージ 47400 (assaraamaaleicomnjp さん)への返信です.
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