アオバさんへ(その1)
投稿者: etranger3_01 投稿日時: 2004/07/09 10:00 投稿番号: [46415 / 118550]
アオバさんも、「反米」ではなかったんですね。
国際色豊かな方っぽいんで安易に「反米」に走る方ではないと思っていましたが、この掲示板では「反米諸氏」としてひとくくりにされてたんですね。私もアオバさんに対する認識をあらためることにします(笑)
>...が世の中、六法全書の通りには動かないというのも再認識出来たね。
世の中というか、国際社会が、ですね。要は国際社会≠民主的社会なわけですから、法治の概念が徹底されていないことは無理ないのです。これは、ただの現実です。実はこのことに関しては、私なりの考えがずっとあったので、アオバさんに初めて長文披露してみようと思います(笑)─簡潔にしようと思ってたのになあ・・・
●国際社会はまだ未成熟
私は国際情勢を考えるときに、世界を“擬人化”してマイクロ化して考えるようにしています。どういう事かというと、国家を「個人」として考え、主権を「人権」と考えてみるということなんです。「国際社会」というゆるい、法治の概念が徹底されていない社会の中で、国家(個人)はどうあるものか─当然、個人の権利(主権)を主張し、掟(法)など守りません。それは、社会の構成員であることよりも、個人としての権利・自由を温存したい思いが強いからです。
昨今の日本では、個人化が進み、互いの権利主張ばかりする、ちょっと昔のアメリカのようになってきています。その中で、社会モラルが崩れ、軽犯罪が横行し、社会としての健全性はますます失われていっているように感じます。こうして社会の中で個人化が進むと、自分を縛るあらゆるものに対する抵抗・嫌悪が顕わになってきます。この「自分を縛るもの」の筆頭に上がるのが、社会的な道徳や倫理、常識、そして、最終的には「法」がこのリストに加わります。
私は、いま世界で起こっていることは、まさにこれだと思っています。つまり、社会の発展の過程で、日本のように健全な管理社会を作ろうと試みる“瞬間”(人類の歴史など瞬きひとつで変わるといいます─この試みを行ったのが、国際連盟、国際連合です)を経て、疲弊し、今度はその社会を崩して“やり直そう”とするという、試行錯誤の過程です。この「疲弊」の部分は、スピカさんがいう“トラウマ”にあたるかもしれません。国際社会は、未だ未成熟なんだと思います。そんな疲労困憊した未成熟な社会に、理想を求めるのは酷というものかもしれません。
●「風を起こすもの」の存在
現代国際社会は、この疲弊を乗り越えることができずに、もどかしさを感じつつも「何をしていいのかわからない」状態にいる。こうした暗雲漂う状態にいると、必ず風を吹かしてこの雲を取り払おうとするものが現れます。一種の自浄作用みたいなものですね。ただ、この自浄作用はいってみれば社会に対するカンフル剤のようなもので、非常に刺激が強く、社会からしてみれば抵抗もある─それが、アメリカという国です。これが、私のアメリカに対する考え方です。ただ、アメリカの風の吹かせ方に問題があるというのが、私の論点なんですね。だから、その方法論について提案をしている。それが、ICCであり、世界連邦制への発展なんです。
>正義とは力であり国際法も国際慣習もその前にはひれ伏すしか無いって事だ。
だから私の考え方は、パワーポリティックスのみに囚われた考え方ではなく、もっと文化人類学的な世界観から、今の世界の動きを大きな流れの中の一つの動きとして捉えることで、その中に法治の概念を社会の発展プロセスの一環として埋め込んで、どうやって法治の徹底を発展させるか─という風に考えているんです。あくまで方法論の問題なんです。
国際色豊かな方っぽいんで安易に「反米」に走る方ではないと思っていましたが、この掲示板では「反米諸氏」としてひとくくりにされてたんですね。私もアオバさんに対する認識をあらためることにします(笑)
>...が世の中、六法全書の通りには動かないというのも再認識出来たね。
世の中というか、国際社会が、ですね。要は国際社会≠民主的社会なわけですから、法治の概念が徹底されていないことは無理ないのです。これは、ただの現実です。実はこのことに関しては、私なりの考えがずっとあったので、アオバさんに初めて長文披露してみようと思います(笑)─簡潔にしようと思ってたのになあ・・・
●国際社会はまだ未成熟
私は国際情勢を考えるときに、世界を“擬人化”してマイクロ化して考えるようにしています。どういう事かというと、国家を「個人」として考え、主権を「人権」と考えてみるということなんです。「国際社会」というゆるい、法治の概念が徹底されていない社会の中で、国家(個人)はどうあるものか─当然、個人の権利(主権)を主張し、掟(法)など守りません。それは、社会の構成員であることよりも、個人としての権利・自由を温存したい思いが強いからです。
昨今の日本では、個人化が進み、互いの権利主張ばかりする、ちょっと昔のアメリカのようになってきています。その中で、社会モラルが崩れ、軽犯罪が横行し、社会としての健全性はますます失われていっているように感じます。こうして社会の中で個人化が進むと、自分を縛るあらゆるものに対する抵抗・嫌悪が顕わになってきます。この「自分を縛るもの」の筆頭に上がるのが、社会的な道徳や倫理、常識、そして、最終的には「法」がこのリストに加わります。
私は、いま世界で起こっていることは、まさにこれだと思っています。つまり、社会の発展の過程で、日本のように健全な管理社会を作ろうと試みる“瞬間”(人類の歴史など瞬きひとつで変わるといいます─この試みを行ったのが、国際連盟、国際連合です)を経て、疲弊し、今度はその社会を崩して“やり直そう”とするという、試行錯誤の過程です。この「疲弊」の部分は、スピカさんがいう“トラウマ”にあたるかもしれません。国際社会は、未だ未成熟なんだと思います。そんな疲労困憊した未成熟な社会に、理想を求めるのは酷というものかもしれません。
●「風を起こすもの」の存在
現代国際社会は、この疲弊を乗り越えることができずに、もどかしさを感じつつも「何をしていいのかわからない」状態にいる。こうした暗雲漂う状態にいると、必ず風を吹かしてこの雲を取り払おうとするものが現れます。一種の自浄作用みたいなものですね。ただ、この自浄作用はいってみれば社会に対するカンフル剤のようなもので、非常に刺激が強く、社会からしてみれば抵抗もある─それが、アメリカという国です。これが、私のアメリカに対する考え方です。ただ、アメリカの風の吹かせ方に問題があるというのが、私の論点なんですね。だから、その方法論について提案をしている。それが、ICCであり、世界連邦制への発展なんです。
>正義とは力であり国際法も国際慣習もその前にはひれ伏すしか無いって事だ。
だから私の考え方は、パワーポリティックスのみに囚われた考え方ではなく、もっと文化人類学的な世界観から、今の世界の動きを大きな流れの中の一つの動きとして捉えることで、その中に法治の概念を社会の発展プロセスの一環として埋め込んで、どうやって法治の徹底を発展させるか─という風に考えているんです。あくまで方法論の問題なんです。
これは メッセージ 46386 (aobashiratori さん)への返信です.
固定リンク:https://yarchive.emmanuelc.dix.asia/552019567/bpa5a4a5ia5afipno9tbbh_1/46415.html