対イラク武力行使

Yahoo! Japan 掲示板トピックビューアー

[ << 最初のページ | < 前のページ | メッセージリスト | 掲示板表示 | [ メッセージ # ] | 次のページ > | 最後のページ >> ]

RE:権力の虚構性について(下)

投稿者: etranger3_01 投稿日時: 2004/07/05 17:01 投稿番号: [46086 / 118550]
>で、概ね政府側のそうした国民の行動に対する鎮圧行動の主要因は
治安維持と言うよりは『無視された権力の意趣返し』(笑、ちょっと
例えが稚拙で申し訳ないんですが)なのが本音にあると
僕は思っているんです。
(規模の大小や武装非武装といった違いは無視出来ないとは思いますが)
と言う僕の中にある前提をご理解頂いた上で、

仰るとおりだと思います。ただ、これは先進国と途上国ではまた事情が違ってくるものではないでしょうか。

ときの権力に対する反抗にしても、国によってさまざまな形をとりますよね。規模の大小はともかくとして、その反抗手法にしても法に則ったものである場合とそうでない場合があり、またその反抗手法によって政府も「鎮圧」方法を変えてきます。日本の場合は、ほとんどが「裁判」という戦場でで闘われている気がします。ここでも政府は容赦しませんが、政府の機動隊と国民が衝突するような激しいデモなどは、昨今の日本ではついぞ見かけません。しかしこれが他のアジア諸国などになるとまったく事情が違います。

インドネシアなどの巨大な多民族国家では、国家の名において少数民族が容赦なく弾圧・抑圧されます。アチェの武装分離独立派は、政府との徹底抗戦を誓い、インドネシアの国内法においては不法な抵抗運動を続けています。政府は国内法に基づき、武装集団をテロリストであると断定し、軍隊によるその鎮圧を行っています。

ここでは、「力」でくるものには「力」で対抗するしかない。

この論理が働いているように思えます。

同じアジアでも異なる背景をもったチェチェンの武装派独立運動についても、はるか中東のサウジアラビアなどで反抗デモを行う民衆や自爆テロを行うテロリストたちについても、

「力」でくるものには「力」で対抗するしかない。

という考え方がその根底にあるのではないでしょうか。要は、権力を持つ側がまず、何をもって抑圧してくるか。それによって、反抗の手法も変わってくるので、その連鎖による両者のいがみ合いも手法如何によっては「平和的」に解決されることがあるわけです。

むろん、いつも「目には目を」という訳にもいきません。

力のないものが力のあるものに立ち向かう場合は、力のあるものが平和的に(見える)アプローチで交渉してきても、はなから信用せずに武力に訴える場合があります。まさに窮鼠の状態ですね。とりあえず噛み付くわけです。その行動に駆り立てているのは、恐怖にほかなりませんよね。

こうした抵抗の種類を左右するのは、結局のところ「権力の正当性」だと思うんです。
そして、権力というのはその正当性を疑われることを最も恐れるのではないでしょうか。この恐怖が、アセアンさんのいうところの『無視された権力の意趣返し』という形になって現れるのかもしれませんね。いってみれば、権力とそれに対する反抗の関係とは、まさにトム・クランシーのいうところの「恐怖の総和」なのではないでしょうか。互いが互いに恐れあっていて、互いの行動を監視・警戒している。そのような状態の中で、「一触即発」の状況が作られ、なにかきっかけとねるインシデントが発生するとすべての緊張が一気にプツンと切れ、一大事になる。まさに「恐怖の総和」=地獄絵図です。

しかし、すべての権力が「恐怖の総和」の一翼を担っているのでしょうか。私はそうは思いません。その例外が、政治権力とは違った司法の力です。ただし、正当な政府のもとの正当な法であることが前提ですが・・・。でなければ、反抗勢力は政府も司法も信じることができなくてまた窮鼠になってしまいますからね。
[ << 最初のページ | < 前のページ | メッセージリスト | 掲示板表示 | [ メッセージ # ] | 次のページ > | 最後のページ >> ]

Yahoo! Japan 掲示板 アーカイヴ

[検索ページ] (中東) (東亜) (捕鯨 / 捕鯨詳細)