Tookさん・・・>トピズレ(1)
投稿者: assaraamaaleicomnjp 投稿日時: 2004/07/04 10:15 投稿番号: [45944 / 118550]
レス&リンクをありがとうございました。
しかしこの記述は、多分に言い訳じみていて、実態に則していない、現状とは全く別物ですね?
>単に従わなかった,あるいは単に起立をしなかった,あるいは歌わなかったといったようなことのみをもって,何らかの不利益をこうむる・・・
こういうことが実際に起こって多くの処分者がでているわけで、これはまさに事実と反する、単なるその場しのぎの「嘘」答弁ですよ。
>この問題は教育上きちっと分けて論議をされるべきだと思っております。
今回の場合、上意下達の、一方的な通達ですから、これも、事実とは相違する「嘘」答弁ですよね?
※ こういう嘘答弁をしている国家権力者側の横暴、弾圧的手法を、もう少し監視するほうが先ではないでしょうか?ここにおける数々の「嘘」の答弁が、権力者によって行なわれたという欺瞞の中で、果たして本当の意味での国家や自治体に対する信頼が得られるでしょうか?
※ 国旗国歌を教師や生徒に強制する以前の問題として、自衛隊の派兵や、有事法制や、年金問題、多国籍軍参加決定の手続き上の問題も含めて、まずは、民主主義の手続きに沿った、公正な行政・立法が行われることが、国家に信頼感を持たせることのできる早道ではないだろうか?と考えるわけです。
国旗国家問題は、そういうそれと同等か、それよりもっと重要なことかもしれないものの隠れ蓑になっているかもしれないという意味で、非常に欺瞞的だと思います。
※情報を開示しないで、国民が知らされないという、権力者と国民というものを対立軸とすると、非常に不公平な国家権力による「秘密主義」の中で、密室政治が断行されているという結果は、非常に危険だと思いますよ。
>学校という機関や教員の職務の特性にかんがえてみれば,社会通念上合理的な範囲内のものと考えられます。
こう考えることに「異議有り」と感じている人達が少なからず存在するがゆえに、反対運動は盛り上がるわけですから、これが社会的なコンセンサスがとられているわけではありませんよね?
ここを、社会通念上合理的範囲内という一方的な見解を認めるわけには行きません。
つまり、「公教育」という従来の教育方法が崩壊している点が叫ばれて、その限界を、よりきめ細かな(最終的には個人個人にまで)行政の存在が叫ばれている昨今において、トータル的に一律に物事を決定しようと考えているように感じられる「粗雑な効率主義」に対しては、これは時代を逆行する方向に進んでいるとしか考えられません。
>教育の現場というのは信頼関係でございますので,とことんきちっと話し合いをされて,処分であるとかそういうものはもう本当に最終段階,万やむを得ないときというふうに考えております。
この「話し合い」を一方的に無視したうえで、「はじめに処分ありき」と言う「弾圧」を行いはじめたのは一体誰なのか、国民はちゃんと見ておく必要があると思います。・・・これもまた御都合主義の「うそっぱち」じゃないですか?
しかしこの記述は、多分に言い訳じみていて、実態に則していない、現状とは全く別物ですね?
>単に従わなかった,あるいは単に起立をしなかった,あるいは歌わなかったといったようなことのみをもって,何らかの不利益をこうむる・・・
こういうことが実際に起こって多くの処分者がでているわけで、これはまさに事実と反する、単なるその場しのぎの「嘘」答弁ですよ。
>この問題は教育上きちっと分けて論議をされるべきだと思っております。
今回の場合、上意下達の、一方的な通達ですから、これも、事実とは相違する「嘘」答弁ですよね?
※ こういう嘘答弁をしている国家権力者側の横暴、弾圧的手法を、もう少し監視するほうが先ではないでしょうか?ここにおける数々の「嘘」の答弁が、権力者によって行なわれたという欺瞞の中で、果たして本当の意味での国家や自治体に対する信頼が得られるでしょうか?
※ 国旗国歌を教師や生徒に強制する以前の問題として、自衛隊の派兵や、有事法制や、年金問題、多国籍軍参加決定の手続き上の問題も含めて、まずは、民主主義の手続きに沿った、公正な行政・立法が行われることが、国家に信頼感を持たせることのできる早道ではないだろうか?と考えるわけです。
国旗国家問題は、そういうそれと同等か、それよりもっと重要なことかもしれないものの隠れ蓑になっているかもしれないという意味で、非常に欺瞞的だと思います。
※情報を開示しないで、国民が知らされないという、権力者と国民というものを対立軸とすると、非常に不公平な国家権力による「秘密主義」の中で、密室政治が断行されているという結果は、非常に危険だと思いますよ。
>学校という機関や教員の職務の特性にかんがえてみれば,社会通念上合理的な範囲内のものと考えられます。
こう考えることに「異議有り」と感じている人達が少なからず存在するがゆえに、反対運動は盛り上がるわけですから、これが社会的なコンセンサスがとられているわけではありませんよね?
ここを、社会通念上合理的範囲内という一方的な見解を認めるわけには行きません。
つまり、「公教育」という従来の教育方法が崩壊している点が叫ばれて、その限界を、よりきめ細かな(最終的には個人個人にまで)行政の存在が叫ばれている昨今において、トータル的に一律に物事を決定しようと考えているように感じられる「粗雑な効率主義」に対しては、これは時代を逆行する方向に進んでいるとしか考えられません。
>教育の現場というのは信頼関係でございますので,とことんきちっと話し合いをされて,処分であるとかそういうものはもう本当に最終段階,万やむを得ないときというふうに考えております。
この「話し合い」を一方的に無視したうえで、「はじめに処分ありき」と言う「弾圧」を行いはじめたのは一体誰なのか、国民はちゃんと見ておく必要があると思います。・・・これもまた御都合主義の「うそっぱち」じゃないですか?
これは メッセージ 45940 (t00k2004 さん)への返信です.
固定リンク:https://yarchive.emmanuelc.dix.asia/552019567/bpa5a4a5ia5afipno9tbbh_1/45944.html