Yabuinukyotoさん江
投稿者: alice_realworld 投稿日時: 2004/07/01 21:59 投稿番号: [45764 / 118550]
>>国歌を歌いたがる高校生
う〜ん、なんかトピズレだけど、なかなかこの話題から脱することができないなぁ。やっぱりみんなの関心が強い問題なんですね。
まず、≪メッセージ:45646≫で「君が代に賛成する理由」というのを5つ書いたけど、あれは「例えばこんなのがあるよね」という意味であって、私の意見ではないということは、わかっていただけていますよね。そもそも、同一人物が1〜5までに全部賛成したら、論理破綻を起こしますよ。^ ^
私が一番言いたかったのは、『いずれにしても、どんな背景があって国歌を歌いたがっていたのか考察もせずに、いきなり「ヘンタイ」と決めつけるような人物とは、ネットでも実生活でも話は通じないだろうな、と感じたんですよね。』という部分なんです。(他レスと同じくり返しになってしまって、ちょっちクドくなってます。ごめんなさい。m(_ _)m )
で、一つ気になったのですが、
>>古歌では、「君」とは二人称のことであってスメラノミコトのことではないから、別に天皇制を賛美する歌ではない。
>君が代は、何世紀もの間、庶民に親しまれていた歌です。確かに、それまでは「君」は天皇ではなかったです。
>明治になり曲をつけたあと天皇賛美の曲になったのではないでしょうか。
私の考えとしては、天皇制そのものが歴史的変遷をしてきたものだと思うんです。
「天武・持統・後醍醐」のような天皇親政の時代もあったけど、基本的には太政官制、摂関政、院政、武家政権などの政体が日本の伝統的な統治形態だった。
で、大日本帝国憲法等により明治期の天皇制国家が築かれたとしても、それはその時代だけのことであって、現に今では日本国憲法による象徴天皇制になっているわけですよね。
その意味で、過去の歌の意味が変わって「明治になり曲をつけたあと天皇賛美の曲になった」というのは同感ですが、「昭和・平成時代にも明治時代の解釈を引きずらなければならない」ということにはならないのでは?と思ってます。
ちなみに、まったくの蛇足ですが・・・
武家政権についても変遷があると思う。院政下の平政権、戦国期の織豊政権、鎌倉・室町・江戸の各幕府政権はいろいろと性格が異なるし、同じ鎌倉幕府でも源氏政権と北条政権は違いますよね。
鎌倉幕府は、もともと東国政権(下級政府)として成立したけど、承久の乱により皇位を左右できるほどの全国政権へと成長した。室町幕府では、朝廷と幕府が京の中に共存し、世俗的権力のみならず天皇家の権威をも武家政権が吸収していった(足利義満の皇位簒奪計画が史実か否かはここでは問わない ^^)。江戸幕府では、「禁中並びに公家諸法度」により幕法が天皇よりも上位に立った。
で、その意味で徳川家の支配は、征夷大将軍が天皇に任命されるという制度は残しつつも、武家が主権者となる国家の成立でもあり、江戸幕府は実質的に「革命政権」だったといえるのかな、って思うんですよ。内閣総理大臣が天皇に任命されるという制度は残しつつも、国民が主権者となる日本国憲法体制の成立と比較すると、面白いかもしれないですね。(^^)
う〜ん、なんかトピズレだけど、なかなかこの話題から脱することができないなぁ。やっぱりみんなの関心が強い問題なんですね。
まず、≪メッセージ:45646≫で「君が代に賛成する理由」というのを5つ書いたけど、あれは「例えばこんなのがあるよね」という意味であって、私の意見ではないということは、わかっていただけていますよね。そもそも、同一人物が1〜5までに全部賛成したら、論理破綻を起こしますよ。^ ^
私が一番言いたかったのは、『いずれにしても、どんな背景があって国歌を歌いたがっていたのか考察もせずに、いきなり「ヘンタイ」と決めつけるような人物とは、ネットでも実生活でも話は通じないだろうな、と感じたんですよね。』という部分なんです。(他レスと同じくり返しになってしまって、ちょっちクドくなってます。ごめんなさい。m(_ _)m )
で、一つ気になったのですが、
>>古歌では、「君」とは二人称のことであってスメラノミコトのことではないから、別に天皇制を賛美する歌ではない。
>君が代は、何世紀もの間、庶民に親しまれていた歌です。確かに、それまでは「君」は天皇ではなかったです。
>明治になり曲をつけたあと天皇賛美の曲になったのではないでしょうか。
私の考えとしては、天皇制そのものが歴史的変遷をしてきたものだと思うんです。
「天武・持統・後醍醐」のような天皇親政の時代もあったけど、基本的には太政官制、摂関政、院政、武家政権などの政体が日本の伝統的な統治形態だった。
で、大日本帝国憲法等により明治期の天皇制国家が築かれたとしても、それはその時代だけのことであって、現に今では日本国憲法による象徴天皇制になっているわけですよね。
その意味で、過去の歌の意味が変わって「明治になり曲をつけたあと天皇賛美の曲になった」というのは同感ですが、「昭和・平成時代にも明治時代の解釈を引きずらなければならない」ということにはならないのでは?と思ってます。
ちなみに、まったくの蛇足ですが・・・
武家政権についても変遷があると思う。院政下の平政権、戦国期の織豊政権、鎌倉・室町・江戸の各幕府政権はいろいろと性格が異なるし、同じ鎌倉幕府でも源氏政権と北条政権は違いますよね。
鎌倉幕府は、もともと東国政権(下級政府)として成立したけど、承久の乱により皇位を左右できるほどの全国政権へと成長した。室町幕府では、朝廷と幕府が京の中に共存し、世俗的権力のみならず天皇家の権威をも武家政権が吸収していった(足利義満の皇位簒奪計画が史実か否かはここでは問わない ^^)。江戸幕府では、「禁中並びに公家諸法度」により幕法が天皇よりも上位に立った。
で、その意味で徳川家の支配は、征夷大将軍が天皇に任命されるという制度は残しつつも、武家が主権者となる国家の成立でもあり、江戸幕府は実質的に「革命政権」だったといえるのかな、って思うんですよ。内閣総理大臣が天皇に任命されるという制度は残しつつも、国民が主権者となる日本国憲法体制の成立と比較すると、面白いかもしれないですね。(^^)
これは メッセージ 45695 (yabuinukyoto さん)への返信です.
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