アラビアンナイト、井筒俊彦、ルバイヤート
投稿者: urbannet2 投稿日時: 2004/05/16 15:34 投稿番号: [40038 / 118550]
トピズレですので千夜一夜物語についてはここまでにしますが、おっしゃるような文字の問題はもちろん大きかったとおもわれます。
私はアラビア語学や文学にはまったくの素人なので専門知識はありません。
しかし他の文学などからの憶測で言えば、ペルシア文化やインド文化が盛んだった時代、文学はどの地域でも、おそらく文字文芸以上に口承の力がおおきかったと思うのです。
古代文化の文芸は世界のどの地域でも、まず口承で成立したものを文字で書いたのであり、現在の文学のようにまず文字で書かれるというものではありませんでしたから。
紙が非常に貴重だったということもあり、文字になるものはほぼ政治関係の重要文書に限定され、民間の口承文芸が紙に書かれるということはまずなかったのでは。
アラビアより先進地域で正字法が早く成立したペルシアやインドでもその事情は変わらなかったと思うので、文字の発達度はあまり関係ないと思います。
つまり古代の文化的先進地域だったペルシアやインドでは口承文芸が早く発達し、文化的後進地域だったアラビアにそれらの物語が口承で伝わり、のちにアラビア文化が発達した段階にいたって、千夜一夜物語となった、という経緯ではなかったでしょうか。
* * * * * * *
以下はasean_peace氏宛ではありません。
他の方が書いていらっしゃる井筒俊彦氏にはイスラーム神秘哲学に関する専門的著作が多くあり、世界的に高い評価を受けています。
イスラーム神秘哲学を理解するには予備知識を持っていることが前提になるので、私はまだ手が出ません。
いつかは読みたいと思っていますが。
井筒氏の著作で私のような初心者にも向いている名著だと思うのは、岩波から出た『コーランを読む』です。
初心者向けにさまざまな分野の専門家がセミナー方式でわかりやすく書いているシリーズの一冊です。
『ルバイヤート』の森亮訳は『晩国仙果』のタイトルでバブル時代に小沢書店から復刻されており、私の書庫にあるのもそれです。
書庫から出して見ましたが、解説によれば、森訳のもとになったフィッツジェラルドの英訳のほうが、むしろハイヤームの原作よりすぐれているのではないか、という評価があるそうです。
ハイヤームは天文学者で専門的詩人ではなく、その詩作は、無常観と享楽主義をうちだした思想的なものであり、詩作品としては底が浅い面があるのではないか、と。
フィッツジェラルドの英訳はもともと私家版のようなもので、ロンドンの古書店の店先に埃をかぶってころがっていたのをたまたま発見され、世に出て有名になり、ハイヤームもそこから欧米世界に紹介されました。
森亮の訳はいま読みかえしてみると、さすがに古い感はありますね。
文語訳と口語訳とありますが、ことに文語訳のほうが古い感じがします。
大正時代の詩を読んでいる感じです。
私はアラビア語学や文学にはまったくの素人なので専門知識はありません。
しかし他の文学などからの憶測で言えば、ペルシア文化やインド文化が盛んだった時代、文学はどの地域でも、おそらく文字文芸以上に口承の力がおおきかったと思うのです。
古代文化の文芸は世界のどの地域でも、まず口承で成立したものを文字で書いたのであり、現在の文学のようにまず文字で書かれるというものではありませんでしたから。
紙が非常に貴重だったということもあり、文字になるものはほぼ政治関係の重要文書に限定され、民間の口承文芸が紙に書かれるということはまずなかったのでは。
アラビアより先進地域で正字法が早く成立したペルシアやインドでもその事情は変わらなかったと思うので、文字の発達度はあまり関係ないと思います。
つまり古代の文化的先進地域だったペルシアやインドでは口承文芸が早く発達し、文化的後進地域だったアラビアにそれらの物語が口承で伝わり、のちにアラビア文化が発達した段階にいたって、千夜一夜物語となった、という経緯ではなかったでしょうか。
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以下はasean_peace氏宛ではありません。
他の方が書いていらっしゃる井筒俊彦氏にはイスラーム神秘哲学に関する専門的著作が多くあり、世界的に高い評価を受けています。
イスラーム神秘哲学を理解するには予備知識を持っていることが前提になるので、私はまだ手が出ません。
いつかは読みたいと思っていますが。
井筒氏の著作で私のような初心者にも向いている名著だと思うのは、岩波から出た『コーランを読む』です。
初心者向けにさまざまな分野の専門家がセミナー方式でわかりやすく書いているシリーズの一冊です。
『ルバイヤート』の森亮訳は『晩国仙果』のタイトルでバブル時代に小沢書店から復刻されており、私の書庫にあるのもそれです。
書庫から出して見ましたが、解説によれば、森訳のもとになったフィッツジェラルドの英訳のほうが、むしろハイヤームの原作よりすぐれているのではないか、という評価があるそうです。
ハイヤームは天文学者で専門的詩人ではなく、その詩作は、無常観と享楽主義をうちだした思想的なものであり、詩作品としては底が浅い面があるのではないか、と。
フィッツジェラルドの英訳はもともと私家版のようなもので、ロンドンの古書店の店先に埃をかぶってころがっていたのをたまたま発見され、世に出て有名になり、ハイヤームもそこから欧米世界に紹介されました。
森亮の訳はいま読みかえしてみると、さすがに古い感はありますね。
文語訳と口語訳とありますが、ことに文語訳のほうが古い感じがします。
大正時代の詩を読んでいる感じです。
これは メッセージ 39891 (asean_peace11 さん)への返信です.
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