宗教と歴史・・・(3)
投稿者: assaraamaaleicomnjp 投稿日時: 2004/05/02 22:18 投稿番号: [38520 / 118550]
ことさら悪いやつがいることを強調して、社会に防御を求める、個人に自己責任的な防御を求めると言った考え方は、実は、国家としての当然の義務として整備されておかれるべきはずの、その社会的なシステムの未熟さを示すものであり、その義務を放棄するものであり、ひいては個人個人の人間同志の信頼関係をも崩壊させるものではないだろうか。
つまり無条件に人を信じることも、無条件に信じられていることも、その両方が、心地よく快感であるというような、極めて感情的な部分からの、「性善説的な根本」が存在するのではないだろうか?と想像するのであるがどうなんだろう?そして・・・多分その漠然とした感覚を表す意味で用いられている言葉が「愛」・・・
この「愛」を感じることの出来ない者たちによって、疑心暗鬼に育ってしまった社会の中で、北朝鮮が怖いから日本の多大な国家予算をつぎ込んで、アメリカの言いなりなミサイル防御システムを導入して防御しなければ、本当の意味での「安全保障に」ならないとか、(無知が故に)イラク人が信用できないから政府に対する要求に対しても、個人の死を賭してでも拒否すべきで、そのような犯罪者を要求に屈することなく、卑劣な犯罪者は殲滅するべきだという非常に悲劇的な結末を国家規模で容認してしまうと言う馬鹿馬鹿しい要素が育ってしまう根拠にもなると考えます。
これは メッセージ 38519 (assaraamaaleicomnjp さん)への返信です.
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