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投稿者: urbannet2 投稿日時: 2004/04/28 22:26 投稿番号: [38071 / 118550]
部分レスです。
英語が日本語よりも、事実の客観的叙述に関する性質を持っているということは、いわゆる「日本語は主観的〜」というような単なる情緒的な感想に基づく私の個人的意見ではありません。
日本語と英語との視点
(一般用語ではなく文学の専門用語)
との違いによるものであり、言語それ自体の構造の違いによるのです。
私は大学および大学院で英文学を専攻し、その後英語関係の専門的仕事にもずっとたずさわっていますので、両国語の違いについては、一般の方々よりはかなりわかっているつもりではおります。
トピズレですし、専門家以外の方にあまり言っても理解いただけないと思いますのであまり書きませんが、つぎのヒントを提示します。
A: かれは悲しい。
B: He is sad.
Aは日本語として熟していない感じがしますが(日本語として熟しているのは、「かれは悲しい気持ちだ」であろう)、Bのほうは英語として自然です。
もう一例をあげますと、英文学史上画期的な名作のひとつとされるヴァージニア・ウルフの_Mrs.Dalloway_。
原文の冒頭の箇所
Mrs.Dalloway said she would buy the flowers herself.
は、日本語訳では次のように訳されています。
ダロウェイ夫人は、私が花をかってきましょう、と言った。(安藤一郎訳)
邦訳はほかにもありますが、いずれもある点において同工異曲です。
ある点とは、原文のsheとwouldをそのまま日本語にうつしかえることが不可能という点です。
それは日本語と英語との構造の違いに存します(念のため付言しますが、どちらの言語がすぐれているとかいった問題ではまったくありません。素人さんはよくそのように誤解します)
なお上記ウルフの文では、原文に接続詞thatがないために直接話法的な意味合いがつよいので、訳者は上記のような訳文をつくったのでしょうが、それにしても、sheとwouldを日本語にうつしかえるのが不可能という点は、かわりありません。
こういった日本語と英語との性格のちがい、言語としての構造の違いは、おそらく言語学や言語哲学まで深くほりさげることができ、専門家によっても論じられているところであります。
おそらく私が何を書いているのか、英文学専門家でないとおわかりではないと思いますし、これ以上掲示板で説明するのは無理ですので、ここまでとさせていただきます。
なお引用なさっていた英紙のセンテンス
-------------- -
They could have compromised japan's humaniarian mission in Iraq, and this country's foreign policy in general.
-------------- -
のカンマに関しては、なくてもかまわないはずです。
このカンマは、おそらくある間合いをおくために書かれたもので、
「イラクの人道支援に妥協するべきだったのにしなかった。そしてもっとおおきく、日本の外交政策全般に関しても妥協するべきだったのにしなかったのだ」
という意味合いを出すため、すなわち、A(イラク人道支援)というある事象を出して述べた後、もっと重大な事象(日本の外交政策全般)を出して述べる、という含みをもたせるためのカンマであろうと私は考えます。
つまりこの場合なら、ABを並列するのではなく、Bに傾斜をかけて重要度をたかめるためのカンマ、というのが私の解釈です。
英語が日本語よりも、事実の客観的叙述に関する性質を持っているということは、いわゆる「日本語は主観的〜」というような単なる情緒的な感想に基づく私の個人的意見ではありません。
日本語と英語との視点
(一般用語ではなく文学の専門用語)
との違いによるものであり、言語それ自体の構造の違いによるのです。
私は大学および大学院で英文学を専攻し、その後英語関係の専門的仕事にもずっとたずさわっていますので、両国語の違いについては、一般の方々よりはかなりわかっているつもりではおります。
トピズレですし、専門家以外の方にあまり言っても理解いただけないと思いますのであまり書きませんが、つぎのヒントを提示します。
A: かれは悲しい。
B: He is sad.
Aは日本語として熟していない感じがしますが(日本語として熟しているのは、「かれは悲しい気持ちだ」であろう)、Bのほうは英語として自然です。
もう一例をあげますと、英文学史上画期的な名作のひとつとされるヴァージニア・ウルフの_Mrs.Dalloway_。
原文の冒頭の箇所
Mrs.Dalloway said she would buy the flowers herself.
は、日本語訳では次のように訳されています。
ダロウェイ夫人は、私が花をかってきましょう、と言った。(安藤一郎訳)
邦訳はほかにもありますが、いずれもある点において同工異曲です。
ある点とは、原文のsheとwouldをそのまま日本語にうつしかえることが不可能という点です。
それは日本語と英語との構造の違いに存します(念のため付言しますが、どちらの言語がすぐれているとかいった問題ではまったくありません。素人さんはよくそのように誤解します)
なお上記ウルフの文では、原文に接続詞thatがないために直接話法的な意味合いがつよいので、訳者は上記のような訳文をつくったのでしょうが、それにしても、sheとwouldを日本語にうつしかえるのが不可能という点は、かわりありません。
こういった日本語と英語との性格のちがい、言語としての構造の違いは、おそらく言語学や言語哲学まで深くほりさげることができ、専門家によっても論じられているところであります。
おそらく私が何を書いているのか、英文学専門家でないとおわかりではないと思いますし、これ以上掲示板で説明するのは無理ですので、ここまでとさせていただきます。
なお引用なさっていた英紙のセンテンス
-------------- -
They could have compromised japan's humaniarian mission in Iraq, and this country's foreign policy in general.
-------------- -
のカンマに関しては、なくてもかまわないはずです。
このカンマは、おそらくある間合いをおくために書かれたもので、
「イラクの人道支援に妥協するべきだったのにしなかった。そしてもっとおおきく、日本の外交政策全般に関しても妥協するべきだったのにしなかったのだ」
という意味合いを出すため、すなわち、A(イラク人道支援)というある事象を出して述べた後、もっと重大な事象(日本の外交政策全般)を出して述べる、という含みをもたせるためのカンマであろうと私は考えます。
つまりこの場合なら、ABを並列するのではなく、Bに傾斜をかけて重要度をたかめるためのカンマ、というのが私の解釈です。
これは メッセージ 38046 (zionisatou2 さん)への返信です.
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