「憎しみの連鎖」は続く
投稿者: assaraamaaleicomnjp 投稿日時: 2004/04/03 11:03 投稿番号: [35360 / 118550]
まあ、わざわざ書かなくっても解っていると思いますが、私がここで指摘していることは貴方自身が、悪人ではないと感じているから、人格攻撃としてではなく、老婆心ながら、貴方の将来をおもんばかって、善かれと思っての事であり、決して悪意からではないのです。
>>貴方のイスラム教徒に対する偏見がモロにでている文章であることに、指摘されても気がつかないのではないでしょうか?
>今回の事件にイスラム教が無関係と言い切るのかい?
※やっぱり気がつかないようですねえ?(~_~;)
(1) イラクというイスラム圏の国のファルージャと言う場所で、黒焦げになった死体を引きずり回して吊るすという残虐な行為があった。
(2) イラクのファルージャという場所のイスラム教徒は、黒焦げになった死体を引きずり回して吊るすという残虐な行為をした。
(1)(2)は、どちらも、大まかに見た場合、間違いではありませんが、この違いはわかりますか?
貴方は、ブッシュのイラク侵攻初期の弁舌に、まんまと躍らされているに過ぎません。貴方の言ういわゆる「死体に鞭打つ」行為を行ったのは、イスラム教徒には多分マチガイナイかもしれませんが、全てのイスラム教徒がそうしたわけでもないし、その行為を支持したわけでもありません。
しかし、貴方は、その行為を行ったのが、イスラム教徒であるという事実だけを抜き取り、それをイスラム教徒なら誰でもがいつでもどこでも行ないうる行為である可能性さえも示唆しようとしています。
>今回の事件にイスラム教が無関係と言い切るのかい?
・ ・・ここの部分です。
これらの貴方の考え方が、多くのイラクに住んでいるイスラム教徒を一律に同列に評価することによって、他の宗教と「区別」することで、そこに住む一般市民を「差別」しているのです。
日本人だって、かつては、「市中引き回し、獄門磔の上、さらし首」等という極刑が存在したように、それぞれの様々な時代背景の中での文化的基盤を、自分だけの物差しで推し量って、その文化を非難しようとする行為は、その短絡性ゆえに、眉をひそめてしまいます。
イスラム教圏各地で行われている「殺戮」を、イスラム教という宗教の所為にすることや、民族の所為にするということは、問題をそういう一面的な方向からしか見ないという意味で、本質を見誤る可能性があります。
つまり、どうして彼らが憤慨しているのか、我々と同じ感情を持っている、多様性を内包している人間であることを前提として、理解しようという真摯な気持ちがないかぎり、永遠にその彼らの虐げられている社会的実情を理解し、解決することは出来ないと思います。
>仮に、仏教国・キリスト教国でイスラムテロに反発してイスラム系民間人を>襲撃し住民が
>『死者に鞭打つ』行為をした場合
>君は
------------------------------------
>>彼らの憎しみがそれほどのものだったのだという新たなる「認識」です。
------------------------------------
>と感じるのかい?
そういう気持ちは大切だと思います。
911以降のアメリカ在住のアラブ人、イスラム教徒は、憎しみに燃えるアメリカ人の、一律に「同じイスラム教徒」であるという単純な思い込み(ブッシュもこれを利用した)を怖れたと思いますがしかし、多分、憶測ですが、あのアメリカ人の悲しみに対して、多くの彼ら自身も、同じように共感し、悲しみを共有したのではないでしょうか?しかしまた、その抑圧された歴史から、全く別の見方をする人がいるであろうことも否定しません。
将来的に平和を願うということは、一方的に非難するということではなくて、お互い同志を相互に思いやる気持ちを持つことが、大切なのであり、そこを、「イスラム教徒だから」とか、「アラブ人だから」と言うことで、思考停止することは、その中に存在する「生の人間」としての、現実に存在しているイラクの人たち個人個人のことが忘れられて、理解されないままに、放置されるということになりかねません。
・・・これでは、永遠に問題の本質は解決しないということになりませんか?
>>貴方のイスラム教徒に対する偏見がモロにでている文章であることに、指摘されても気がつかないのではないでしょうか?
>今回の事件にイスラム教が無関係と言い切るのかい?
※やっぱり気がつかないようですねえ?(~_~;)
(1) イラクというイスラム圏の国のファルージャと言う場所で、黒焦げになった死体を引きずり回して吊るすという残虐な行為があった。
(2) イラクのファルージャという場所のイスラム教徒は、黒焦げになった死体を引きずり回して吊るすという残虐な行為をした。
(1)(2)は、どちらも、大まかに見た場合、間違いではありませんが、この違いはわかりますか?
貴方は、ブッシュのイラク侵攻初期の弁舌に、まんまと躍らされているに過ぎません。貴方の言ういわゆる「死体に鞭打つ」行為を行ったのは、イスラム教徒には多分マチガイナイかもしれませんが、全てのイスラム教徒がそうしたわけでもないし、その行為を支持したわけでもありません。
しかし、貴方は、その行為を行ったのが、イスラム教徒であるという事実だけを抜き取り、それをイスラム教徒なら誰でもがいつでもどこでも行ないうる行為である可能性さえも示唆しようとしています。
>今回の事件にイスラム教が無関係と言い切るのかい?
・ ・・ここの部分です。
これらの貴方の考え方が、多くのイラクに住んでいるイスラム教徒を一律に同列に評価することによって、他の宗教と「区別」することで、そこに住む一般市民を「差別」しているのです。
日本人だって、かつては、「市中引き回し、獄門磔の上、さらし首」等という極刑が存在したように、それぞれの様々な時代背景の中での文化的基盤を、自分だけの物差しで推し量って、その文化を非難しようとする行為は、その短絡性ゆえに、眉をひそめてしまいます。
イスラム教圏各地で行われている「殺戮」を、イスラム教という宗教の所為にすることや、民族の所為にするということは、問題をそういう一面的な方向からしか見ないという意味で、本質を見誤る可能性があります。
つまり、どうして彼らが憤慨しているのか、我々と同じ感情を持っている、多様性を内包している人間であることを前提として、理解しようという真摯な気持ちがないかぎり、永遠にその彼らの虐げられている社会的実情を理解し、解決することは出来ないと思います。
>仮に、仏教国・キリスト教国でイスラムテロに反発してイスラム系民間人を>襲撃し住民が
>『死者に鞭打つ』行為をした場合
>君は
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>>彼らの憎しみがそれほどのものだったのだという新たなる「認識」です。
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>と感じるのかい?
そういう気持ちは大切だと思います。
911以降のアメリカ在住のアラブ人、イスラム教徒は、憎しみに燃えるアメリカ人の、一律に「同じイスラム教徒」であるという単純な思い込み(ブッシュもこれを利用した)を怖れたと思いますがしかし、多分、憶測ですが、あのアメリカ人の悲しみに対して、多くの彼ら自身も、同じように共感し、悲しみを共有したのではないでしょうか?しかしまた、その抑圧された歴史から、全く別の見方をする人がいるであろうことも否定しません。
将来的に平和を願うということは、一方的に非難するということではなくて、お互い同志を相互に思いやる気持ちを持つことが、大切なのであり、そこを、「イスラム教徒だから」とか、「アラブ人だから」と言うことで、思考停止することは、その中に存在する「生の人間」としての、現実に存在しているイラクの人たち個人個人のことが忘れられて、理解されないままに、放置されるということになりかねません。
・・・これでは、永遠に問題の本質は解決しないということになりませんか?
これは メッセージ 35352 (lighter101rethgil さん)への返信です.
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