> 「朝生」報告/もっと卑近な現実論だと
投稿者: moriya99 投稿日時: 2004/03/28 09:57 投稿番号: [34928 / 118550]
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オウムと、連合赤軍の何人かには共通点があるのではなかろうか?と言うことから、考えてみると、日常生活でのリアリティに違和感というか、嫌悪感を感じていて、それを変革したいと思っている人達・・という意味では、同じだということが出きるのではないだろうか?
>>
この部分は、もっと掘り下げてみると、面白い問題なんですね。
おそらく、その根源になる共通点があるんじゃないかな。
多分、一次的集団に不満のある人たちが引き寄せられて行っている…。
その一次的集団に不満とか行き詰まりとかが大多数の人間に及ぶと武力革命にまで行き着くのかもしれない、という問題ですね。
ロシア革命とか、フランス革命とか毛沢東の革命が見えてくるのですけど…。
戦後の日本の社会はそこまで腐敗とか矛盾とか不満が拡がっていなかったのではないかな。彼らが成功の手応えをちょっと感じながら破れさって行った背景があるんだな。日本はまあ、それなりにいい社会であり、55年体制以後、自民党が完全に勝ったという流れのなかのできごとだったのじゃないかな。
一次的集団への不満というのも、案外、職業などではなくて、家庭という人も多そうなのが、また、破れ去って行く、狂っていく背景にあるような感じなんですね。家庭となると個人の努力の問題がかなり直接にありますね。
まあ、家庭も世の中の流れが大きく入り込んでくる訳ですから、彼らには新しい展開をもたらしてくれるものとして見えたかも知れない。だが、逃避にもなりかねない。そのあたりが、案外、詰めてないまま、運動をやっている。オウムなどは、家庭の問題はもっと切実な人たちが集まっているのかも知れない。
いい家の出身、学歴の高いものの参加…。これなど家庭という一次的集団に強い関わりがあるようにも見えますね。見かけとしては上流であり、満たされているように見えながら、家の中に圧政的な要素がある…。精神的な自由とか豊さがない。いい家の子供なのに、実はマイルドな虐待を受けているんじゃないか。そんな感じをオウムには受けるのですね。
彼らの言っていることは、出発の動機としては間違っていなかった。だが、所詮、マイナーな主張なんですね。
その結果、次第に主張とそれを通す行動が過激になり、歪んで行き、自損行為にまで行き着いてしまう。
日本の社会の実質と現実の姿と自分達の主張の位置づけがいまいちできていない。ひょっとしたら、その発想がないまま、成功例に見える外国の事例などに寄り掛かってしまっていた、ということかも知れない。
案外、そっちを重点に見ているのが、創価学会の成功かも知れないですね。
第二次大戦中の宗教弾圧の反動で、日本の宗教団体への寛容と甘さはかなりのものであるのに、ダブー化されて誰も手をつけない。宗教法人のやりたい放題が行き過ぎても是正できない。そいした現実をしっかりみていて、その隙間を見事について伸びてきているのかも知れないですね。現実論があるのですね。
宗教団体と金の問題は、まともじゃない、と感じている人は多い。だが、議論ができないままですもの。政教分離の問題にも疑問を感じている人間は多い。だが、なかなか纏まった声になってこないですね。
今回の「朝生」はちょっと面白かった。ひとつは第二次世界大戦のもたらしたものが、いろんな形で見えたし、もと過激派のメンバーが「権力というのは以外にもろい所をもっている」と実感した、というのも、凄い発言だし、なるほどだね。その立場に居たものでないと、なかなか実感できないことですからね。観念的には分かっているのですけど…。その一方で権力がなかなか倒れないカラクリもある。朝生でも、この言葉はそんままで取り上げて話題が深まっていかないままになったけど、オウムがエスカレートして行った過程がみえるともいえますね。だとしたら、サリン事件の責任は誰にあるのか、かなり明確に見えてくる糸口にもなるし、これからのテロなどを防ぐノウハウの充実につながる問題でもある訳で…。
今の世界のテロの多発にも、直ちに、当てはめて見ていける問題ですものね。不満と方法論の手ごたえ、という問題が含まれている。たしかにテロは、それなりに成功している訳で…。まあ、最後が袋小路なのが辛いところですけど…。
テロは防げないと言いながら、力で防ぐ話しばかりです。でも一向に成功しない。成功しないというのは、どっかに間違いがあるのだと思いますけどね。
日本など、戦後の右派と左派が対立していた時代の後はテロらしいテロなど起きていない。特に外国絡みはね。その何故ももっと掘り下げた方がいいね。
テロを仕掛けようとする人たちはいたのですけど、破れ去っている…。
オウムと、連合赤軍の何人かには共通点があるのではなかろうか?と言うことから、考えてみると、日常生活でのリアリティに違和感というか、嫌悪感を感じていて、それを変革したいと思っている人達・・という意味では、同じだということが出きるのではないだろうか?
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この部分は、もっと掘り下げてみると、面白い問題なんですね。
おそらく、その根源になる共通点があるんじゃないかな。
多分、一次的集団に不満のある人たちが引き寄せられて行っている…。
その一次的集団に不満とか行き詰まりとかが大多数の人間に及ぶと武力革命にまで行き着くのかもしれない、という問題ですね。
ロシア革命とか、フランス革命とか毛沢東の革命が見えてくるのですけど…。
戦後の日本の社会はそこまで腐敗とか矛盾とか不満が拡がっていなかったのではないかな。彼らが成功の手応えをちょっと感じながら破れさって行った背景があるんだな。日本はまあ、それなりにいい社会であり、55年体制以後、自民党が完全に勝ったという流れのなかのできごとだったのじゃないかな。
一次的集団への不満というのも、案外、職業などではなくて、家庭という人も多そうなのが、また、破れ去って行く、狂っていく背景にあるような感じなんですね。家庭となると個人の努力の問題がかなり直接にありますね。
まあ、家庭も世の中の流れが大きく入り込んでくる訳ですから、彼らには新しい展開をもたらしてくれるものとして見えたかも知れない。だが、逃避にもなりかねない。そのあたりが、案外、詰めてないまま、運動をやっている。オウムなどは、家庭の問題はもっと切実な人たちが集まっているのかも知れない。
いい家の出身、学歴の高いものの参加…。これなど家庭という一次的集団に強い関わりがあるようにも見えますね。見かけとしては上流であり、満たされているように見えながら、家の中に圧政的な要素がある…。精神的な自由とか豊さがない。いい家の子供なのに、実はマイルドな虐待を受けているんじゃないか。そんな感じをオウムには受けるのですね。
彼らの言っていることは、出発の動機としては間違っていなかった。だが、所詮、マイナーな主張なんですね。
その結果、次第に主張とそれを通す行動が過激になり、歪んで行き、自損行為にまで行き着いてしまう。
日本の社会の実質と現実の姿と自分達の主張の位置づけがいまいちできていない。ひょっとしたら、その発想がないまま、成功例に見える外国の事例などに寄り掛かってしまっていた、ということかも知れない。
案外、そっちを重点に見ているのが、創価学会の成功かも知れないですね。
第二次大戦中の宗教弾圧の反動で、日本の宗教団体への寛容と甘さはかなりのものであるのに、ダブー化されて誰も手をつけない。宗教法人のやりたい放題が行き過ぎても是正できない。そいした現実をしっかりみていて、その隙間を見事について伸びてきているのかも知れないですね。現実論があるのですね。
宗教団体と金の問題は、まともじゃない、と感じている人は多い。だが、議論ができないままですもの。政教分離の問題にも疑問を感じている人間は多い。だが、なかなか纏まった声になってこないですね。
今回の「朝生」はちょっと面白かった。ひとつは第二次世界大戦のもたらしたものが、いろんな形で見えたし、もと過激派のメンバーが「権力というのは以外にもろい所をもっている」と実感した、というのも、凄い発言だし、なるほどだね。その立場に居たものでないと、なかなか実感できないことですからね。観念的には分かっているのですけど…。その一方で権力がなかなか倒れないカラクリもある。朝生でも、この言葉はそんままで取り上げて話題が深まっていかないままになったけど、オウムがエスカレートして行った過程がみえるともいえますね。だとしたら、サリン事件の責任は誰にあるのか、かなり明確に見えてくる糸口にもなるし、これからのテロなどを防ぐノウハウの充実につながる問題でもある訳で…。
今の世界のテロの多発にも、直ちに、当てはめて見ていける問題ですものね。不満と方法論の手ごたえ、という問題が含まれている。たしかにテロは、それなりに成功している訳で…。まあ、最後が袋小路なのが辛いところですけど…。
テロは防げないと言いながら、力で防ぐ話しばかりです。でも一向に成功しない。成功しないというのは、どっかに間違いがあるのだと思いますけどね。
日本など、戦後の右派と左派が対立していた時代の後はテロらしいテロなど起きていない。特に外国絡みはね。その何故ももっと掘り下げた方がいいね。
テロを仕掛けようとする人たちはいたのですけど、破れ去っている…。
これは メッセージ 34908 (assaraamaaleicomnjp さん)への返信です.
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