上野千鶴子を読まない,「ユダヤ・ナチ」
投稿者: syoumenkyousi 投稿日時: 2004/03/17 19:48 投稿番号: [34211 / 118550]
上野千鶴子を読まないわけと「ユダヤ・ナチ」
上野千鶴子を読まないのは、理由があって、以下の本で以下のような高橋哲哉の記述を読んだからである。
徐京植・高橋哲哉『断絶の世紀 証言の時代/戦争の記憶をめぐる対話』(岩波書店)より―─
上野さんについては『ナショナリズムとジェンダー』のなかに、大きく懸念をもたざるを得ない箇所があります。戦争中、それまで女性の権利を主張してきた女性解放論者たちが結局「国民化」され、総動員体制に巻き込まれて戦争協力を行っていたことへの鈴木裕子さんの批判について、上野さんは、「彼女たち(戦争中の婦人運動家)の戦争協力を「過ち」と断罪するには、二つの条件が必要となる。第一は、「あの戦争」が「過ち」であるという判断、第二は、したがってその「過ち」を見抜けなかった「無知」と歴史的「限界」の指摘である」と言っています。
ところが上野さんによれば、その種の「過ち」を指摘する視点は「つねに事後的かつ超越的なものにならざるをえない」。「その背後にあるのは、「国民化」や「天皇制」が悪であるという絶対的な視点、言い換えれば戦後的な視点である。「<15年戦争=侵略戦争=悪>という自明の前提から出発した戦後派」のなかに鈴木は含まれるが、その「自明性」もまた歴史によって形成されたものである。「国家」の限界と「天皇制」の悪は、歴史によって事後的にのみ宣告されたもので・・・・・・」というわけです。
***
というわけで自由主義史観の連中がよく言う言説と一緒ですね。現在の常識で過去の歴史を裁いてはいけない(笑)。確かに当時の多くの天皇教カルト信者は強盗土地泥棒放火強かん殺人をそう悪いと考えていなかったのかもしれないが、日本にもその程度の常識を持った人は少しはいたし、アジア人の多くはその程度の常識はもちろん持っていた。だから抵抗運動などをするのである。
土地泥棒強盗殺人が悪いのは常識であり、その常識によって私たちはイスラエルのパレスチナ侵略やテロ国家アメリカのイラク侵略に反対するわけだ。
パレスチナの抵抗運動をテロと呼ぶ人間は、「侵略者にはお茶と御菓子でもてなすべきだと考えている」ような馬鹿なのだろう。ナチを経験したユダヤ人がパレスチナ人相手にナチのようなことをしているのは歴史の事実だ。もちろんその歴史は英国の“3枚舌”外交から始まるが、少なくともこの50年においては、テロ国家アメリカがイスラエル側に付かなければ、今頃曲がりなりにも平和が訪れていたかもしれない。
***
『テロリストと私 〜和解への願い〜』(2002年、イスラエル)というドキュメンタリーがBS7で放映された。
私とは、1978年8月、ロンドンで銃と爆弾でのバス襲撃で負傷したエルアル・イスラエル航空の乗務員ユーリー・ゲルステル。テロリストとはPLO戦士で二人の襲撃犯の一人ファハド・ミーヒー、もう一人は死亡。番組ではその事件で同じく乗務員であった娘を失ったヤツファ・エルハラも出演している。
イスラエルのテルアビブ生まれの6代目ユーリー.ゲルステルは、あのアリエル・シャロンの長男グーリ・シャロンとは親友で同級生。グーリは6年生の時、殺される。実家の近くにはダヤンやラビンの家もある。
ユーリーは、ある日から「テロリスト」の犯人であるファハドと文通などして交流をして彼の釈放運動をしている。
ユーリーは、2000年1月、英国カメラマンの手伝いとしてイスラエルの占領地を訪れ衝撃を受け、そこにテロリストを生む土壌を見る。
ユーリーはイスラエル兵士として1982年のイスラエルのレバノン侵攻に伴い9.16〜18に引き起こされたサブラーとシャティーラの二つの難民キャンプでの虐殺(女・子ども・老人が大半)を目撃している。そうした軍隊に嫌気がさし除隊する。
上野千鶴子を読まないのは、理由があって、以下の本で以下のような高橋哲哉の記述を読んだからである。
徐京植・高橋哲哉『断絶の世紀 証言の時代/戦争の記憶をめぐる対話』(岩波書店)より―─
上野さんについては『ナショナリズムとジェンダー』のなかに、大きく懸念をもたざるを得ない箇所があります。戦争中、それまで女性の権利を主張してきた女性解放論者たちが結局「国民化」され、総動員体制に巻き込まれて戦争協力を行っていたことへの鈴木裕子さんの批判について、上野さんは、「彼女たち(戦争中の婦人運動家)の戦争協力を「過ち」と断罪するには、二つの条件が必要となる。第一は、「あの戦争」が「過ち」であるという判断、第二は、したがってその「過ち」を見抜けなかった「無知」と歴史的「限界」の指摘である」と言っています。
ところが上野さんによれば、その種の「過ち」を指摘する視点は「つねに事後的かつ超越的なものにならざるをえない」。「その背後にあるのは、「国民化」や「天皇制」が悪であるという絶対的な視点、言い換えれば戦後的な視点である。「<15年戦争=侵略戦争=悪>という自明の前提から出発した戦後派」のなかに鈴木は含まれるが、その「自明性」もまた歴史によって形成されたものである。「国家」の限界と「天皇制」の悪は、歴史によって事後的にのみ宣告されたもので・・・・・・」というわけです。
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というわけで自由主義史観の連中がよく言う言説と一緒ですね。現在の常識で過去の歴史を裁いてはいけない(笑)。確かに当時の多くの天皇教カルト信者は強盗土地泥棒放火強かん殺人をそう悪いと考えていなかったのかもしれないが、日本にもその程度の常識を持った人は少しはいたし、アジア人の多くはその程度の常識はもちろん持っていた。だから抵抗運動などをするのである。
土地泥棒強盗殺人が悪いのは常識であり、その常識によって私たちはイスラエルのパレスチナ侵略やテロ国家アメリカのイラク侵略に反対するわけだ。
パレスチナの抵抗運動をテロと呼ぶ人間は、「侵略者にはお茶と御菓子でもてなすべきだと考えている」ような馬鹿なのだろう。ナチを経験したユダヤ人がパレスチナ人相手にナチのようなことをしているのは歴史の事実だ。もちろんその歴史は英国の“3枚舌”外交から始まるが、少なくともこの50年においては、テロ国家アメリカがイスラエル側に付かなければ、今頃曲がりなりにも平和が訪れていたかもしれない。
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『テロリストと私 〜和解への願い〜』(2002年、イスラエル)というドキュメンタリーがBS7で放映された。
私とは、1978年8月、ロンドンで銃と爆弾でのバス襲撃で負傷したエルアル・イスラエル航空の乗務員ユーリー・ゲルステル。テロリストとはPLO戦士で二人の襲撃犯の一人ファハド・ミーヒー、もう一人は死亡。番組ではその事件で同じく乗務員であった娘を失ったヤツファ・エルハラも出演している。
イスラエルのテルアビブ生まれの6代目ユーリー.ゲルステルは、あのアリエル・シャロンの長男グーリ・シャロンとは親友で同級生。グーリは6年生の時、殺される。実家の近くにはダヤンやラビンの家もある。
ユーリーは、ある日から「テロリスト」の犯人であるファハドと文通などして交流をして彼の釈放運動をしている。
ユーリーは、2000年1月、英国カメラマンの手伝いとしてイスラエルの占領地を訪れ衝撃を受け、そこにテロリストを生む土壌を見る。
ユーリーはイスラエル兵士として1982年のイスラエルのレバノン侵攻に伴い9.16〜18に引き起こされたサブラーとシャティーラの二つの難民キャンプでの虐殺(女・子ども・老人が大半)を目撃している。そうした軍隊に嫌気がさし除隊する。
これは メッセージ 1 (topics_editor さん)への返信です.
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