イラクの農業と漁業
投稿者: silverlining430 投稿日時: 2004/03/16 11:53 投稿番号: [34116 / 118550]
moriyaさん、こんにちは。
>>
イラクの産業って、何が主体だったのでしょう。農業は、チグリスやユーフラテスの恩恵がありますから、それなりに栄えているのでしょうけど、農業国といえるほどのものじゃないですね。
>>
ご指摘の通り、チグリス・ユーフラテス川の一帯には、農業や淡水漁業を生活の中心とした人々が住んでいました。中東というと砂漠のイメージが持たれがちですが、イラクのチグリス・ユーフラテス川一帯には巨大な湿原が広がっており、水と緑にあふれていたといわれています。ここには、シーア派に属するマーシュ・アラブ(湿原のアラブ人)と呼ばれる人々が暮らしていました。実は、ここの湿原、世界有数の規模で、希少生物もかなり生息していたらしく、旧約聖書に登場する「エデンの園」はこの湿原のどこかに存在すると言われていたとか。農業や淡水漁業も、相当盛んに行われていたようなのです。
でも、これはもう過去の話で、上の湿原はほとんど消失し、ここに暮らしていたマーシュ・アラブは生活の糧を失い難民化し、ほとんどが隣国のイラクに逃れていってしまったようです。
湿原が失われた理由として、
①1960年代からフセイン政権が着手したダム建設。イラクのダムだけでなく、トルコ、シリア、イランのダムも湿原の渇水状況を生む原因になっているようです。
②イラン・イラク戦争の際、戦車などの軍用車両を通行可能にするため、湿原をフセイン政権が意図的に埋め立ててしまったこと。
③1991年の湾岸戦争の際、イラク北部ではクルド人、南部ではシーア派が一斉に武装蜂起しました。その際、湿原地帯が武装蜂起勢力の絶好の隠れ家となることを懸念したフセイン政権が、湿原の本格的な干拓事業に着手します。ちょうど、ベトナム戦争の際、メコンデルタでのゲリラに米軍が苦しめられたような事態になりますからね。この干拓事業がかなり致命的だったらしく、91年から95年にかけて湿原が激減し、かつては2万平方キロメートルあった湿原が、今では760平方キロメートルほどにまで縮小しました。しかも、湿原はイラクにはほとんど残っておらず、かつての面影を見たいとしたらイランに行かなくては見られません。
こうして、現在のイラクでは、農業や淡水漁業による自給の道は、ほぼ閉ざされてしまったと言えます。ちなみに、フセイン政権の湿原の干拓事業については、ヒューマン・ライツ・ウォッチなどが、「フセインの隠された悪行」などとかねてから強く非難していました。
イラク復興においては、湿原の復元事業も重要になってくると言えます。これに関しては、日本も積極的で、昨年11月に小泉首相の特使として橋本元総理が訪欧し、フランスとドイツに働き掛け、日独仏が共同で湿原の復元プロジェクトを開始することで合意しています。
日本のJICAに当たる米国のUSAIDも、湿原復元のための現地調査などを行っています。
フセイン政権時代では、石油の収益を元手に、特にバグダッド周辺の近代化・工業化が押し進められてきましたが、チグリス・ユーフラテス川に広がっていた湿原の回復による農漁業の復活も、今後のイラクを支える重要なカギになると思っています。
>>
イラクの産業って、何が主体だったのでしょう。農業は、チグリスやユーフラテスの恩恵がありますから、それなりに栄えているのでしょうけど、農業国といえるほどのものじゃないですね。
>>
ご指摘の通り、チグリス・ユーフラテス川の一帯には、農業や淡水漁業を生活の中心とした人々が住んでいました。中東というと砂漠のイメージが持たれがちですが、イラクのチグリス・ユーフラテス川一帯には巨大な湿原が広がっており、水と緑にあふれていたといわれています。ここには、シーア派に属するマーシュ・アラブ(湿原のアラブ人)と呼ばれる人々が暮らしていました。実は、ここの湿原、世界有数の規模で、希少生物もかなり生息していたらしく、旧約聖書に登場する「エデンの園」はこの湿原のどこかに存在すると言われていたとか。農業や淡水漁業も、相当盛んに行われていたようなのです。
でも、これはもう過去の話で、上の湿原はほとんど消失し、ここに暮らしていたマーシュ・アラブは生活の糧を失い難民化し、ほとんどが隣国のイラクに逃れていってしまったようです。
湿原が失われた理由として、
①1960年代からフセイン政権が着手したダム建設。イラクのダムだけでなく、トルコ、シリア、イランのダムも湿原の渇水状況を生む原因になっているようです。
②イラン・イラク戦争の際、戦車などの軍用車両を通行可能にするため、湿原をフセイン政権が意図的に埋め立ててしまったこと。
③1991年の湾岸戦争の際、イラク北部ではクルド人、南部ではシーア派が一斉に武装蜂起しました。その際、湿原地帯が武装蜂起勢力の絶好の隠れ家となることを懸念したフセイン政権が、湿原の本格的な干拓事業に着手します。ちょうど、ベトナム戦争の際、メコンデルタでのゲリラに米軍が苦しめられたような事態になりますからね。この干拓事業がかなり致命的だったらしく、91年から95年にかけて湿原が激減し、かつては2万平方キロメートルあった湿原が、今では760平方キロメートルほどにまで縮小しました。しかも、湿原はイラクにはほとんど残っておらず、かつての面影を見たいとしたらイランに行かなくては見られません。
こうして、現在のイラクでは、農業や淡水漁業による自給の道は、ほぼ閉ざされてしまったと言えます。ちなみに、フセイン政権の湿原の干拓事業については、ヒューマン・ライツ・ウォッチなどが、「フセインの隠された悪行」などとかねてから強く非難していました。
イラク復興においては、湿原の復元事業も重要になってくると言えます。これに関しては、日本も積極的で、昨年11月に小泉首相の特使として橋本元総理が訪欧し、フランスとドイツに働き掛け、日独仏が共同で湿原の復元プロジェクトを開始することで合意しています。
日本のJICAに当たる米国のUSAIDも、湿原復元のための現地調査などを行っています。
フセイン政権時代では、石油の収益を元手に、特にバグダッド周辺の近代化・工業化が押し進められてきましたが、チグリス・ユーフラテス川に広がっていた湿原の回復による農漁業の復活も、今後のイラクを支える重要なカギになると思っています。
これは メッセージ 34084 (moriya99 さん)への返信です.
固定リンク:https://yarchive.emmanuelc.dix.asia/552019567/bpa5a4a5ia5afipno9tbbh_1/34116.html