軍部と文化人
投稿者: assaraamaaleicomnjp 投稿日時: 2004/03/04 20:57 投稿番号: [33563 / 118550]
>坂本竜馬なんですね。ネックは。どうも、坂本竜馬の解釈とか位置付けが狂っているように感じるんですね。
私は、司馬さんのメインの作品はあんまり読んでなくて、短編が多いのですが、「坂本龍馬の発見」と言う言葉を、御当人か、解説者の方かが書いていたように記憶していますので、まあ、ある程度の創作の部分はあるんでしょうねえ?
時代考証をしながらその可能な行動範囲内で、司馬さんの想像力を使って、坂本龍馬という実在のヒーローをできるかぎり活躍させてみたということかもしれませんね?
私は、この出る杭は打たれる日本社会の中で、良くもまあ、若干33才の青年が、勝海舟や、その他の幕閣や、薩長の大物政治家と対等に存在することを許す土壌が存在したもんだ、、と言う不思議さは感じましたが、まあそれは、彼(司馬さん)の中での許される範囲に留まっていることなのだろう・・くらいにしか感じませんでしたが、私の方が圧倒的に知識がないので、そこのところは、信じるしかありません。(^_^;)背後にいつも、勝海舟の影を感じているんですけどね?
>それほど、西欧の世界侵略は猖獗を極めた時代だと言えますね。それほど、酷い。そのしり馬に乗って敗戦を味わった日本は、まあ、ボロクソでしょう。
あの時代の、岡倉天心とかを読むと、なんか、文化人が考えていたことと、軍部が考えたこととは、同じ時代の流れの中で、ホンの少しだけ違ってきているのが分るんですよね。
つまり、大東亜共栄圏なんて言う発想は、もう既に存在していて、その盟主が天皇であるというところが、どうなんだろうか?・・・と感じているんですよね。
つまり、時代背景もあって、なかなか天心なんて本音を書いていないような気がするんですが、やはり、天皇を立てながら、アジアの基本的な主要国は、インドと中国であることは認めていて、極東日本の文化というものは、様々なアジア諸国からの最終漂着場所であり、その折り重なる積層された文化を、ほとんど新鮮な状態で保存しているという点で、アジア文化のデパートメントとしての価値があるけれども、想像力の根源としての価値観は、そんなに高く評価していませんよね?つまり、アジア諸国の存在価値というものを役割分担風に極めて等価的に評価していますが、軍部はそうじゃないですよね?
つまり、ヨーロッパ的な価値観に触れすぎてしまった軍部は、あくまで、力を持つと言うことが、優位性を誇示できるという考え方に変容していくんですよね?つまり、強いものが、支配することが当たり前で、弱いものが、搾取されるのもこれまた当然なのであるから、どんどん強くならなければならない・・・というような、果てしない軍備増強への道を歩きはじめたんじゃないでしょうか?
つまりこの時には、まだ、支配者の条件として、東洋は、儒教的な「徳」とかを第一と考えていたし、非支配者側も、これに沿ったそれを許容する文化的な価値観が存在したのですが、それが、欧米の植民地政策が全てを破壊してしまい、それに対抗するための方法としては、富国強兵しかないというようなことに、極東の日本が一番はじめに気がついたということでしょうね?
そして、ここに、東アジアのアジア人同志においてさえも、その武力の優劣における順位が出来てしまった。つまり、明治の文化人が考えた等価性が崩壊してしまい、アジア人の中の順位を、力関係という尺度を軍部が一番先に採用して、順列を作り、自分をその頂点に位置付け、それを、利益を享受できる国民が後押しした。そのきっかけになったのが、日露戦争大勝利、と言うことなんじゃないでしょうかねえ?
>明治以降の評価は、まだ、出来ないというか、簡単じゃない気がします。
そうですねえ。それによって、利害関係が継続している間はなかなか難しいでしょうねえ?
私は、司馬さんのメインの作品はあんまり読んでなくて、短編が多いのですが、「坂本龍馬の発見」と言う言葉を、御当人か、解説者の方かが書いていたように記憶していますので、まあ、ある程度の創作の部分はあるんでしょうねえ?
時代考証をしながらその可能な行動範囲内で、司馬さんの想像力を使って、坂本龍馬という実在のヒーローをできるかぎり活躍させてみたということかもしれませんね?
私は、この出る杭は打たれる日本社会の中で、良くもまあ、若干33才の青年が、勝海舟や、その他の幕閣や、薩長の大物政治家と対等に存在することを許す土壌が存在したもんだ、、と言う不思議さは感じましたが、まあそれは、彼(司馬さん)の中での許される範囲に留まっていることなのだろう・・くらいにしか感じませんでしたが、私の方が圧倒的に知識がないので、そこのところは、信じるしかありません。(^_^;)背後にいつも、勝海舟の影を感じているんですけどね?
>それほど、西欧の世界侵略は猖獗を極めた時代だと言えますね。それほど、酷い。そのしり馬に乗って敗戦を味わった日本は、まあ、ボロクソでしょう。
あの時代の、岡倉天心とかを読むと、なんか、文化人が考えていたことと、軍部が考えたこととは、同じ時代の流れの中で、ホンの少しだけ違ってきているのが分るんですよね。
つまり、大東亜共栄圏なんて言う発想は、もう既に存在していて、その盟主が天皇であるというところが、どうなんだろうか?・・・と感じているんですよね。
つまり、時代背景もあって、なかなか天心なんて本音を書いていないような気がするんですが、やはり、天皇を立てながら、アジアの基本的な主要国は、インドと中国であることは認めていて、極東日本の文化というものは、様々なアジア諸国からの最終漂着場所であり、その折り重なる積層された文化を、ほとんど新鮮な状態で保存しているという点で、アジア文化のデパートメントとしての価値があるけれども、想像力の根源としての価値観は、そんなに高く評価していませんよね?つまり、アジア諸国の存在価値というものを役割分担風に極めて等価的に評価していますが、軍部はそうじゃないですよね?
つまり、ヨーロッパ的な価値観に触れすぎてしまった軍部は、あくまで、力を持つと言うことが、優位性を誇示できるという考え方に変容していくんですよね?つまり、強いものが、支配することが当たり前で、弱いものが、搾取されるのもこれまた当然なのであるから、どんどん強くならなければならない・・・というような、果てしない軍備増強への道を歩きはじめたんじゃないでしょうか?
つまりこの時には、まだ、支配者の条件として、東洋は、儒教的な「徳」とかを第一と考えていたし、非支配者側も、これに沿ったそれを許容する文化的な価値観が存在したのですが、それが、欧米の植民地政策が全てを破壊してしまい、それに対抗するための方法としては、富国強兵しかないというようなことに、極東の日本が一番はじめに気がついたということでしょうね?
そして、ここに、東アジアのアジア人同志においてさえも、その武力の優劣における順位が出来てしまった。つまり、明治の文化人が考えた等価性が崩壊してしまい、アジア人の中の順位を、力関係という尺度を軍部が一番先に採用して、順列を作り、自分をその頂点に位置付け、それを、利益を享受できる国民が後押しした。そのきっかけになったのが、日露戦争大勝利、と言うことなんじゃないでしょうかねえ?
>明治以降の評価は、まだ、出来ないというか、簡単じゃない気がします。
そうですねえ。それによって、利害関係が継続している間はなかなか難しいでしょうねえ?
これは メッセージ 33551 (moriya99 さん)への返信です.
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