対イラク武力行使

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Bagdhad Burning 1/05/04 (1)

投稿者: masajuly2001 投稿日時: 2004/01/06 17:57 投稿番号: [29764 / 118550]
明けましておめでとうございます...

暦的には、私は1年間ネット公開の日記を書かなかった。2003年からではなくて、ということで。この2、3日は電話がない状態だった。4日ほど前に突然、回線がだめになり、今日の午後回復した。

というわけで、2004年。驚くほどのことではないが、すごく2003年みたいに感じる。昨年から今年にかけを、私たちは叔母の家で過ごした。叔母は30日にやってきて、今年はどこにも行かないだろうから、私の家で一緒に過ごしましょう、と言った。戦争で1つ良いことがあるとするなら、それは、家族が多少とも互いを身近に思うようになるという事実にある。例年だったら、私たちは皆、別の場所にいただろう。親はどっかの集まり、Eと私は友人と一緒、他の人は、新年のパーティーを開いている数十あるレストランかクラブの一つで過ごしていただろう。

今年の大晦日は事実上の家族の再団結だった。私たちは、私の叔母の家に集まることに決定した。集まりとしては人数が多いが、女と子供、食料だから「テロリスト組織」に間違われることはないだろう。

叔母の家には午後6時頃に着いた。一日中電気が来たり止まったりして、発電機はだいたい3時間分の電気を供給するのに十分なガソリンしかなかった。私たちは、1年の最後の2時間のためにガソリンを節約することに決めた。そして、それは賢い選択だった。午後8時頃に電気が消え、翌日の昼まで回復しなかった。私たちが早くに自宅を出たのは、幸いだった。Eによれば、後になっていくつかの地区でバリケードが築かれ、それぞれの地区の人々は翌日になるまでその地区を出られなかったのだ。

私たちが叔母のKの家に着いた後1時間ほどして、爆発によってその地域全体が揺れた。私はテーブルの中央に備えられた一塊りの蝋燭に火をつける準備をしていたそのとき、突然、大きな「ドーン」という音で部屋、窓、家族が揺り動かされた。Eと私は何が起きているのかを見ようと慌てて外に出て、叔母の家の隣の人が、私たちが感じたのと同じ困惑を顔に浮かべて門の辺りに立っているのに気づいた。後で知ったところによれば、数キロ先の小さなファーストフードの場所で爆弾が爆発したのだ。「Tea Time」は、ハンバーガーや、フライものとマヨネーズを挟んだサンドイッチを売っている、Harthiyaにある小さな2階建てのレストランだ。

私たちは車座になって座り、暗闇の中を8時から11時までポップコーンをむしゃむしゃ食べながら、最近の冗談(大部分は統治評議会に関するもの)を思い出そうとしたり、蝋燭が明るくするための蝋燭ではなく、祝い事のものである振りをしようとしたりした。

多くの人々は2003年を「1年」と考えるのに対し、私たちはそれが10年のように感じていた。私たちにとって、2003年は戦争の準備で始まった。世界の他の場所では、決めごとのリストを作っていたのに対し、私たちは来るべき戦闘に備えて必要なモノのリストを作っていた。2003年の最初の2ヶ月半、私たちは窓にテープを貼ったり、家の手入れをしたり、食料や水、医薬品をため込んだり、井戸を掘ったり、年を越せるかどうかを心配したりしていた。

(続く)
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