テロの歴史その4(83ー84)
投稿者: oxnardnokakashi 投稿日時: 2003/12/25 16:47 投稿番号: [29419 / 118550]
1983年4月18日
ベイルートのアメリカ大使館にて爆破テロ。CIAのメンバーを含む63人が死亡、120人が怪我をおった。犯人はイスラミックジハド(ビンラデンの師imad Mugniyah が指揮するグループ)が犯行責任を発表した。
1983年10月23日
ベイルートにて平和維持活動をしていたアメリカ海兵隊宿舎がトラック爆弾よって爆破され242人のアメリカ兵、58人の仏蘭西兵が死亡。これもイスラミックジハドの仕業であった。振らんジンOctober 23,
1983年12月12日
クエートのアメリカ大使館、仏蘭西大使館、アメリカ人宿舎、クエート政府施設、クエート油田、空港ターミナルにて同時多発テロ。6人が死亡。イスラミックジハドの17人の犯人グループが逮捕されたが、のちにイラクのクエート侵攻の際に逃亡。二度と捕まっていない。。
1984年二月
アメリカ軍、レバノンを撤去。
1984年3月16日
イランを背景にもつイスラミックジハド/ヘズバラCIA局長ウイリアム
バックリー氏を誘拐、拷問殺害する。彼のなきがらは1991年にベイルートにて発見される。バックリー氏はベトナム戦争のベテランだった。
1984年から1989年にかけて、ウイリアムス氏の他、アメリカ人、仏蘭西人、イギリス人、独逸人など、一般市民、軍人、新聞記者、牧師など17人が誘拐されそのうち二人が死亡、のこりは3年ないし6年の拘留ののち解放された。
1984年4月12日
スペインのトロージャンのレストランにて爆破テロ。アメリカ兵18人が死亡他一般人も含め83人が怪我をおった。ヘズバラの犯行声明をだした。
1984年11月20日
根羽のんのアンカーにてアメリカ大使館がトラック爆弾攻撃によりアメリカ兵士二人を含む24人が死亡。イランのイスラミックリパブリックの犯行。
1984年12月3日
クエートとパキスタン間飛行中のクエート航空221便が乗っ取られる。飛行機はイランへ飛ばされた。犯人グループは先の多発テロ犯人の釈放を要求。偶然乗り合わせていたアメリカ政府高官二人が殺害される。イランは犯人を逮捕したが裁判もなく釈放。犯人はイスラミックジハドのメンバーとおもわれる。
これは メッセージ 29418 (oxnardnokakashi さん)への返信です.
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