汚れた弾丸−(6)
投稿者: need2003jp 投稿日時: 2003/11/20 14:32 投稿番号: [27775 / 118550]
しかし、マスコミは、ほとんど、劣化ウラン弾のことを報道することはなかった。森住は、何とかして、この現実を伝えたくて、イラク国境付近の非武装地帯(DMZ)に、外国人ジャーナリストとして初めて入り、放射能の汚染度を調べたり、病気に苦しむ子ども達と会ったりと、何度か取材を重ね、それをフライデーなどの雑誌で発表。2002年3月に、「イラク戦争の子どもたち」を出版し、4月から日本各地で写真展を開いた。
そんな時、アメリカからあるメールが届いた。
「森住さんの写真を拝見しました。ぜひアメリカでも、森住さんの写真を開きたいと思うのですが、許可をいただけないでしょうか?」
それは、アメリカ在住のジャーナリストの方からの申し出だった・・・それはありがいたい。自分が一番写真を見てもらいたかったのは、アメリカ国民だったんだ。
恐らく、ほとんどのアメリカ人は、イラクの実情を知らない。米軍が何をし、外国からどのように思われているのか・・・当事者である彼らに、イラクで何が起きているのか知ってもらうのが、一番大事だと思っていたから。
「とてもありがたく申し出感謝します。よろしくお願いします」
アメリカからの反応を考えつつ、森住はそのジャーナリストに返信した。
アメリカでの写真展開催が進む中、世界の注目は再びイラクに集まり始めていた。
2002年10月11日、米議会はイラクに対する軍事力行使権限を大統領に付与する決議を採択。イラク攻撃に向けて、アメリカは動き始めていたのである・・・
その3週間後の11月2日、サンフランシスコバークレー図書館で、写真展は開催された。
森住さんのイラクで撮った、劣化ウラン団の被害を伝えるむごたらしい写真に、観衆達は声を失った。
その中で、ある年配の女性が、一枚の写真を示して、スタッフの1人に尋ねた。
「ねえ、この子はまだ生きているの?」
その写真は、サファアの笑顔の写真だった。スタッフは、穏やかに答えた。
「ええ、元気だそうです。まだ予断を許さない状況ではありますけど・・・」
「そう・・・良かった」
ほっとする女性の背後から、激しい男の声が聞こえた。
「こんなのは嘘だ!!アメリカが、こんなことをするわけがない。!!でたらめを言うな!!」
スタッフは、淡々とした表情で、男に応対した。
「信じたくない気持ちもわかります。自分の国のことですから。でも、写真を見ていってください。現実から目をそらさないでください」
「アメリカは正義だ・・・アメリカは間違っていない・・・」
後ろ姿の男の声は、震えていた。
スタッフから話を聞いた森住は、アメリカという国が、まだまだ、自分たち以外の国・宗教の価値観、それを認めない人たちの多さを感じ取っていた。だからこそ、森住は自分の写真を、多くの人に見てもらわなければならないと思っていた。
写真展は、アメリカ11の州、30ほどの市を始め、オーストラリア・ロンドンなどを廻っている。
イラク攻撃をにおわすアメリカで、写真展を開くことは反米的・反戦的と見られ、会場確保など様々な困難も多かったが、この写真展はイラク攻撃を容認する人々の心をも溶かし始めていた・・・・
2002年11月27日、国連査察団が、イラクの査察を開始。しかし、米・英は、イラクが大量破壊兵器を持っているという理由で、武力行使を主張し、査察強化を唱え、イラク攻撃に反対するフランス・ドイツ・ロシア・中国などの国々と対立。イラク攻撃は、時間の問題となっていた。
そんな中、ニューヨークタイムズ紙に、あるNGO団体が、森住の写真を使った意見広告を載せていた。その写真は、あのサファアの笑顔だった。
「Can You Let More Iraqi Children Die?(イラクの子どもたちをさらに死なせることができますか)」
サファアの無邪気な笑顔が、戦争反対を訴える・・・これがどれほどの力になるのか分からないが、今はただ、イラク攻撃が始まらないことを、森住は祈るだけだった。
戦争開始の気配が近づく中、反戦運動はアメリカを含め、世界各地で広がった。
しかし・・・2003年3月20日、イラクは再び戦場となってしまった。約1ヶ月続いた戦争は、イラクの民間人に多くの死傷者を出して、5月2日に終結した。
森住は、イラクの子ども達が心配で、再び現地に行くことを決めた。(続く)
そんな時、アメリカからあるメールが届いた。
「森住さんの写真を拝見しました。ぜひアメリカでも、森住さんの写真を開きたいと思うのですが、許可をいただけないでしょうか?」
それは、アメリカ在住のジャーナリストの方からの申し出だった・・・それはありがいたい。自分が一番写真を見てもらいたかったのは、アメリカ国民だったんだ。
恐らく、ほとんどのアメリカ人は、イラクの実情を知らない。米軍が何をし、外国からどのように思われているのか・・・当事者である彼らに、イラクで何が起きているのか知ってもらうのが、一番大事だと思っていたから。
「とてもありがたく申し出感謝します。よろしくお願いします」
アメリカからの反応を考えつつ、森住はそのジャーナリストに返信した。
アメリカでの写真展開催が進む中、世界の注目は再びイラクに集まり始めていた。
2002年10月11日、米議会はイラクに対する軍事力行使権限を大統領に付与する決議を採択。イラク攻撃に向けて、アメリカは動き始めていたのである・・・
その3週間後の11月2日、サンフランシスコバークレー図書館で、写真展は開催された。
森住さんのイラクで撮った、劣化ウラン団の被害を伝えるむごたらしい写真に、観衆達は声を失った。
その中で、ある年配の女性が、一枚の写真を示して、スタッフの1人に尋ねた。
「ねえ、この子はまだ生きているの?」
その写真は、サファアの笑顔の写真だった。スタッフは、穏やかに答えた。
「ええ、元気だそうです。まだ予断を許さない状況ではありますけど・・・」
「そう・・・良かった」
ほっとする女性の背後から、激しい男の声が聞こえた。
「こんなのは嘘だ!!アメリカが、こんなことをするわけがない。!!でたらめを言うな!!」
スタッフは、淡々とした表情で、男に応対した。
「信じたくない気持ちもわかります。自分の国のことですから。でも、写真を見ていってください。現実から目をそらさないでください」
「アメリカは正義だ・・・アメリカは間違っていない・・・」
後ろ姿の男の声は、震えていた。
スタッフから話を聞いた森住は、アメリカという国が、まだまだ、自分たち以外の国・宗教の価値観、それを認めない人たちの多さを感じ取っていた。だからこそ、森住は自分の写真を、多くの人に見てもらわなければならないと思っていた。
写真展は、アメリカ11の州、30ほどの市を始め、オーストラリア・ロンドンなどを廻っている。
イラク攻撃をにおわすアメリカで、写真展を開くことは反米的・反戦的と見られ、会場確保など様々な困難も多かったが、この写真展はイラク攻撃を容認する人々の心をも溶かし始めていた・・・・
2002年11月27日、国連査察団が、イラクの査察を開始。しかし、米・英は、イラクが大量破壊兵器を持っているという理由で、武力行使を主張し、査察強化を唱え、イラク攻撃に反対するフランス・ドイツ・ロシア・中国などの国々と対立。イラク攻撃は、時間の問題となっていた。
そんな中、ニューヨークタイムズ紙に、あるNGO団体が、森住の写真を使った意見広告を載せていた。その写真は、あのサファアの笑顔だった。
「Can You Let More Iraqi Children Die?(イラクの子どもたちをさらに死なせることができますか)」
サファアの無邪気な笑顔が、戦争反対を訴える・・・これがどれほどの力になるのか分からないが、今はただ、イラク攻撃が始まらないことを、森住は祈るだけだった。
戦争開始の気配が近づく中、反戦運動はアメリカを含め、世界各地で広がった。
しかし・・・2003年3月20日、イラクは再び戦場となってしまった。約1ヶ月続いた戦争は、イラクの民間人に多くの死傷者を出して、5月2日に終結した。
森住は、イラクの子ども達が心配で、再び現地に行くことを決めた。(続く)
これは メッセージ 27774 (need2003jp さん)への返信です.
固定リンク:https://yarchive.emmanuelc.dix.asia/552019567/bpa5a4a5ia5afipno9tbbh_1/27775.html