スパイの世界史 (1)
投稿者: battamother 投稿日時: 2008/12/31 06:07 投稿番号: [115735 / 118550]
海野弘著『スパイの世界史』を、昨年購入したが、全く読むことなくずっと放置していた。
ところが、つい先日部屋で捜し物をしている時に、たまたまこの本が私の目に留まった。この中に、何かしらの手がかりがあるやも知れないと思い、先ほど、この本の「第四章−第二次世界大戦」の部分を読んでみた。
この本を購入したのは昨年のことで、2007年7月10日第一刷となっている。
ところが、著者のあとがきの日付は2003年10月となっている。恐らくこの年に単行本として出て、昨年文庫化されたのであろう。
となると、2005年出版の「マオ」の2年前に書かれた本ということになる。というのも、この本の中にもソ連の情報部員であるエイチンゴンが、張作霖事件に関わったらしいという表記がされているからである。
また、近年出てきたイギリスの情報部史料に、張作霖爆殺がソ連の仕業であるとの報告書があるとの中西輝政氏の主張があったとのことだったが、それを裏付けるかのような英国におけるソ連のスパイ工作のことにも海野氏はその著書で触れている。
以下、一部抜粋要約文。
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トロッキーは、ソビエト・ロシアの軍隊、「赤軍」をつくろうとしていた。ボリシェヴィキ党が支配する国家保安機関(ジェルジンスキーのチェッカーという秘密組織を起源とする)に対して、軍を背景とするトロッキーは、それに対抗する情報機関を持たなければならないと考え、GRU(赤軍参謀本部第四課)を設立した。
1930年代は、ソビエト情報機関の混乱と勝利の時代であると、ジェフリー・T・リチェルソンは『スパイの世紀』で言っている。<混乱>とはスターリンによる<粛清>によって引き起こされたものだ。そうは同士討ちであったから、情報部員、スパイ同士が密告し合い、殺し合い、情報部の幹部も処刑された。
そのような混乱、損失にも関わらず、ソビエトの情報機関はこの時期に大きな成果を挙げたといわれる。まず通信情報においては、ヤン・カルロヴィッチ・ベルジン大将が指揮する軍情報部第四課は、通信傍受、暗号解読のための世界最大の機関となった。それは、ベルリンやプラハの日本大使館の通信の多くを解読していた。
【1931年初めに、日本がソ連と武力衝突を不可避と考えていることをソ連は知った。満州事変の半年前である。】(【】は、by batta)
ソ連は、日本がソ連への戦争を計画していると見て、日本への情報活動を強め、1936年、ベルリンにおいて日本の大島浩大佐とドイツのヨアヒム・フォン・リッベントロップの間に、反コミンテルン協約が結ばれたことをつきとめた。ベルリンにいたソ連の情報部員ワルター・クリヴィッキーは日本大使の暗号表を手に入れていたという。ソ連の通信情報部は日本外交の暗号電報をそっくり読んでいたわけである。
ソ連の秘密工作が最も成功したのは英国においてであったといわれる。1930年代に多くの工作員が英国でリクルートされ、ひそかに配置された。
リクルートはまず金による買収として行われた。1929年、英国外務省の暗号解読官アーネスト・ハロウェイ・オールダムが、英国の暗号表を持って。パリのソ連大使館に亡命してきた。
ソ連情報部は、次に、ジョン・ハーバート・キングをスカウトした。やはり暗号解読官であったが、金に困っていた。彼は外交文書や秘密電報をソ連に売った。
ところが、つい先日部屋で捜し物をしている時に、たまたまこの本が私の目に留まった。この中に、何かしらの手がかりがあるやも知れないと思い、先ほど、この本の「第四章−第二次世界大戦」の部分を読んでみた。
この本を購入したのは昨年のことで、2007年7月10日第一刷となっている。
ところが、著者のあとがきの日付は2003年10月となっている。恐らくこの年に単行本として出て、昨年文庫化されたのであろう。
となると、2005年出版の「マオ」の2年前に書かれた本ということになる。というのも、この本の中にもソ連の情報部員であるエイチンゴンが、張作霖事件に関わったらしいという表記がされているからである。
また、近年出てきたイギリスの情報部史料に、張作霖爆殺がソ連の仕業であるとの報告書があるとの中西輝政氏の主張があったとのことだったが、それを裏付けるかのような英国におけるソ連のスパイ工作のことにも海野氏はその著書で触れている。
以下、一部抜粋要約文。
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トロッキーは、ソビエト・ロシアの軍隊、「赤軍」をつくろうとしていた。ボリシェヴィキ党が支配する国家保安機関(ジェルジンスキーのチェッカーという秘密組織を起源とする)に対して、軍を背景とするトロッキーは、それに対抗する情報機関を持たなければならないと考え、GRU(赤軍参謀本部第四課)を設立した。
1930年代は、ソビエト情報機関の混乱と勝利の時代であると、ジェフリー・T・リチェルソンは『スパイの世紀』で言っている。<混乱>とはスターリンによる<粛清>によって引き起こされたものだ。そうは同士討ちであったから、情報部員、スパイ同士が密告し合い、殺し合い、情報部の幹部も処刑された。
そのような混乱、損失にも関わらず、ソビエトの情報機関はこの時期に大きな成果を挙げたといわれる。まず通信情報においては、ヤン・カルロヴィッチ・ベルジン大将が指揮する軍情報部第四課は、通信傍受、暗号解読のための世界最大の機関となった。それは、ベルリンやプラハの日本大使館の通信の多くを解読していた。
【1931年初めに、日本がソ連と武力衝突を不可避と考えていることをソ連は知った。満州事変の半年前である。】(【】は、by batta)
ソ連は、日本がソ連への戦争を計画していると見て、日本への情報活動を強め、1936年、ベルリンにおいて日本の大島浩大佐とドイツのヨアヒム・フォン・リッベントロップの間に、反コミンテルン協約が結ばれたことをつきとめた。ベルリンにいたソ連の情報部員ワルター・クリヴィッキーは日本大使の暗号表を手に入れていたという。ソ連の通信情報部は日本外交の暗号電報をそっくり読んでいたわけである。
ソ連の秘密工作が最も成功したのは英国においてであったといわれる。1930年代に多くの工作員が英国でリクルートされ、ひそかに配置された。
リクルートはまず金による買収として行われた。1929年、英国外務省の暗号解読官アーネスト・ハロウェイ・オールダムが、英国の暗号表を持って。パリのソ連大使館に亡命してきた。
ソ連情報部は、次に、ジョン・ハーバート・キングをスカウトした。やはり暗号解読官であったが、金に困っていた。彼は外交文書や秘密電報をソ連に売った。
これは メッセージ 115659 (battamother さん)への返信です.
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