対イラク武力行使

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カンボジア混乱

投稿者: yankeenext 投稿日時: 2007/08/31 17:28 投稿番号: [109492 / 118550]
1972年1月、アメリカはロン・ノル政権支援のために南ベトナム派遣軍の一部をカンボジアへ侵攻させ、この内戦に直接介入した。これによってベトナム戦争はインドシナ戦争に拡大した。ロン・ノルは10月に軍事独裁体制を宣言し、翌1972年3月に大統領に独裁的権力をもたせた新憲法を公布した。しかし、中国からの密接な支援を受けたクメール・ルージュはこれと戦闘を続け、さらに1973年にアメリカ軍がベトナムから撤退するとロン・ノルは追い詰められた。1975年4月、遂にロン・ノルは国外へ亡命、隣国ベトナムではサイゴンが陥落し、ベトナム戦争が終結した。この後、クメール・ルージュが首都プノンペンに入城し、1976年1月に「カンボジア民主国憲法」を公布し、国名を民主カンプチアに改称した。

クメール・ルージュは、「革命の恩恵は農村の労働者に与えられるべき」という視点から、都市居住者、資本家、技術者、学者・知識人など頭脳階級から一切の財産・身分を剥奪し、郊外の農村に強制移住させた。彼らは農民として農業に従事させられる一方、頭脳階級は反乱を起こす可能性があるという理由で皆殺しになった。反乱を企てた農民も殺された。反乱の首謀者になる可能性があるリーダー格の人間も殺された。革命が成功したことを知り、国の発展のためにと海外から帰国した留学生や資本家も、やはり殺害された。その数は100万人とも300万人とも言われている。また、子供は親から引き離して集団生活をさせ、幼いうちから農村や工場での労働や軍務を強いた。

クメール・ルージュ下の残虐行為に関する最も初期の記述のうちの1つは、イス・サリンによって1973年に書かれた。彼はクメール・ルージュの幹部メンバーであったがポル・ポトおよび民主カンプチアに幻滅を感じて党を去り、9か月後に密かにプノンペンに戻った。彼の著書『クメールの魂に対する後悔』(Sranaoh Pralung Khmer)は、クメール・ルージュが存在を秘密にした上部機構、中央委員会(Angkar Loeuあるいは単にAngkar)を明らかにした。中央委員会はKena Mocchhim(Committee Machine)と呼ばれた。
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