「国境を越える普遍性」 2003-07-26
投稿者: jyonnconner 投稿日時: 2007/06/23 08:32 投稿番号: [106613 / 118550]
http://ryumurakami.jmm.co.jp/dynamic/report/report3_399.html
(前略)
今日、7月24日には、サダム・フセインの二人の息子の「死体」が発表になりました。イラク戦争そのものが国連決議を経ない、したがって国際法上の正当性に疑義のある戦争です。それを百歩譲って「戦争」だと認めるにしても、戦闘「終結」後にいつまでも治安を回復できないまま「お尋ね者」に懸賞金をかけて密告させ、銃撃戦に追い込んで射殺、それは一体何なのでしょう。更にその「死」への疑念を晴らすと称して、無残な遺体の写真をマスコミに流す神経というのは、もはや文明ではありません。
秩序を回復するための、そしてフセイン残存勢力の恐怖からイラク国民を解放する、と言っても、これでは空しく聞こえます。「死体の発表」に関しては、その前日に空軍OBのドン・シェパード将軍がCNNに出演して「慎重であるべきです。何故なら死体、しかも銃創の残る死体の写真を公共に対して公開するという文化は、我々にもないし、アラブにもないからです」と述べていました。湾岸戦争に参加した軍のOBで100%アメリカ側に立っている人物にも、そうした「常識」が残っているのです。
それを考えると、今回の行為がいかに異常かが分かります。
息子二人が死んだとなると、今度はサダム・フセインですが同じ軍OBのバリ・マキャフリー将軍(陸軍)は、「サダムは生きて捕縛すべきです。イラク人により事実を暴き、イラク人による裁判に委ねることが秩序回復には最も望ましい」と述べていました。これも正論ですが、実際はどうなるか分からない状況になってきています。
分からないというのは、サダムの運命だけではありません。「戦闘は終結」と言っておきながら、人による支配も、法による支配も教えることができない、そのくせ米軍は暴力を行使する悪者としての存在感だけは誇示しているのですから、「解放者」とか「民主主義を教える」ということが全くできていないのが分かります。
今週はウォルフォヴィッツ国防副長官がイラクの前線を訪問しましたが、ペンタゴンに戻っての記者会見では「予想したより悪い状態、電気が通っていないのが治安確保の障害だ」などと泣き言を言っていました。例によってシニカルな微笑みを浮かべての無気味な会見には思わず目を背けさせられました。
数週間前、それこそABCのインタビューで、前線兵士からの「ラムズフェルド批判」がTVに流れる以前の話しですが、インタビューに応じたイラクの守備に当たっていたアメリカの女性兵士が「私達はいずれ帰れるだろうけれど、ここの人たちは可哀相」と言っていたのが思い出されました。自分たちのやった「悪しき政権除去」のために、最低限のライフラインのインフラも破壊してしまった、そのことへの反省もなく「イラク人は可哀相」などと言ってもはじまりません。
アメリカはイラク社会の再建を本気でやることができるのでしょうか。自信がなければ、今からでも遅くありません。平和維持ノウハウを持った国連のスペシャリストに任せるべきでしょう。まして、悪役を分散するために英国だけでなく、ポーランドやイタリア、そして日本まで仲間に引き入れるというのは問題外というべきでしょう。
アメリカには強みがたくさんあります。その強みを見失って、軍事力や資本力だけで進出してみても、結果的に相互に何の得にもならない結果に終わります。いや、暴力的な力と傲岸さばかりが目立てば、アメリカの評判を下げ、回り回って国益を損ねているとすら言えるでしょう。
ウォルマートは日本の労働者の「個の尊厳」を認めることから出発すべきです。時代に翻弄され先行きの不透明な中高年や、フリーター達の自尊心を奮い立たせ、経営と労働の共存共栄を実現するべきです。不透明な商法に翻弄されていた消費者を呼び込むべきです。イラクの米軍は文明の進んだ大国イラクにおいて電気と水道と仕事を奪われた人々の現状を、まず戦前のレベルにまで戻すことでしょう。
他の国に出かけていって、その国の役に立とうと思うのならば、国境を越える普遍性のあるものを自分が持っているか、そのことに厳しい自問がなされなくてはなりません。その自問抜きに異文化の海へ泳ぎ出てしまっては、いかに資本力や軍事力で武装しても簡単に沈んでしまうものだと考えるべきでしょう。
------------------------------ -
民主主義やグローバル・スタンダードの押し付けではなく、いい「もの」を共有する協調融和ってのが一番反感を受けずすんなりと相互利益を得られる訳で。
暴力的な発想や行動の結果は最終的には結局のところ自分自身に戻って来るんだがなぁ。
米国もイス\xA5
(前略)
今日、7月24日には、サダム・フセインの二人の息子の「死体」が発表になりました。イラク戦争そのものが国連決議を経ない、したがって国際法上の正当性に疑義のある戦争です。それを百歩譲って「戦争」だと認めるにしても、戦闘「終結」後にいつまでも治安を回復できないまま「お尋ね者」に懸賞金をかけて密告させ、銃撃戦に追い込んで射殺、それは一体何なのでしょう。更にその「死」への疑念を晴らすと称して、無残な遺体の写真をマスコミに流す神経というのは、もはや文明ではありません。
秩序を回復するための、そしてフセイン残存勢力の恐怖からイラク国民を解放する、と言っても、これでは空しく聞こえます。「死体の発表」に関しては、その前日に空軍OBのドン・シェパード将軍がCNNに出演して「慎重であるべきです。何故なら死体、しかも銃創の残る死体の写真を公共に対して公開するという文化は、我々にもないし、アラブにもないからです」と述べていました。湾岸戦争に参加した軍のOBで100%アメリカ側に立っている人物にも、そうした「常識」が残っているのです。
それを考えると、今回の行為がいかに異常かが分かります。
息子二人が死んだとなると、今度はサダム・フセインですが同じ軍OBのバリ・マキャフリー将軍(陸軍)は、「サダムは生きて捕縛すべきです。イラク人により事実を暴き、イラク人による裁判に委ねることが秩序回復には最も望ましい」と述べていました。これも正論ですが、実際はどうなるか分からない状況になってきています。
分からないというのは、サダムの運命だけではありません。「戦闘は終結」と言っておきながら、人による支配も、法による支配も教えることができない、そのくせ米軍は暴力を行使する悪者としての存在感だけは誇示しているのですから、「解放者」とか「民主主義を教える」ということが全くできていないのが分かります。
今週はウォルフォヴィッツ国防副長官がイラクの前線を訪問しましたが、ペンタゴンに戻っての記者会見では「予想したより悪い状態、電気が通っていないのが治安確保の障害だ」などと泣き言を言っていました。例によってシニカルな微笑みを浮かべての無気味な会見には思わず目を背けさせられました。
数週間前、それこそABCのインタビューで、前線兵士からの「ラムズフェルド批判」がTVに流れる以前の話しですが、インタビューに応じたイラクの守備に当たっていたアメリカの女性兵士が「私達はいずれ帰れるだろうけれど、ここの人たちは可哀相」と言っていたのが思い出されました。自分たちのやった「悪しき政権除去」のために、最低限のライフラインのインフラも破壊してしまった、そのことへの反省もなく「イラク人は可哀相」などと言ってもはじまりません。
アメリカはイラク社会の再建を本気でやることができるのでしょうか。自信がなければ、今からでも遅くありません。平和維持ノウハウを持った国連のスペシャリストに任せるべきでしょう。まして、悪役を分散するために英国だけでなく、ポーランドやイタリア、そして日本まで仲間に引き入れるというのは問題外というべきでしょう。
アメリカには強みがたくさんあります。その強みを見失って、軍事力や資本力だけで進出してみても、結果的に相互に何の得にもならない結果に終わります。いや、暴力的な力と傲岸さばかりが目立てば、アメリカの評判を下げ、回り回って国益を損ねているとすら言えるでしょう。
ウォルマートは日本の労働者の「個の尊厳」を認めることから出発すべきです。時代に翻弄され先行きの不透明な中高年や、フリーター達の自尊心を奮い立たせ、経営と労働の共存共栄を実現するべきです。不透明な商法に翻弄されていた消費者を呼び込むべきです。イラクの米軍は文明の進んだ大国イラクにおいて電気と水道と仕事を奪われた人々の現状を、まず戦前のレベルにまで戻すことでしょう。
他の国に出かけていって、その国の役に立とうと思うのならば、国境を越える普遍性のあるものを自分が持っているか、そのことに厳しい自問がなされなくてはなりません。その自問抜きに異文化の海へ泳ぎ出てしまっては、いかに資本力や軍事力で武装しても簡単に沈んでしまうものだと考えるべきでしょう。
------------------------------ -
民主主義やグローバル・スタンダードの押し付けではなく、いい「もの」を共有する協調融和ってのが一番反感を受けずすんなりと相互利益を得られる訳で。
暴力的な発想や行動の結果は最終的には結局のところ自分自身に戻って来るんだがなぁ。
米国もイス\xA5
固定リンク:https://yarchive.emmanuelc.dix.asia/552019567/bpa5a4a5ia5afipno9tbbh_1/106613.html