階層と語彙の多少kumeruoukokuさん
投稿者: asean_peace11 投稿日時: 2004/07/12 10:55 投稿番号: [925 / 1982]
おはようございます。
早朝から何やらバタバタと用事があったので・・
>スーフィズムとワッハーブ派(スンニ派)・・
ですが、僕は殊更に「複雑」には認識していないのです。
で、このお話をする前段階として
第三世界と現代文明先進国の大きな「違い」じゃないか、と
僕が理解している部分を先ずお話させて頂きます。
以前から、僕はこのトピで「言葉の再定義化」に何度か触れて
いるのですが、それも含まれる内容です、
多くの文明先進国と呼ばれる諸国は「一般的国民の教育レベルが高い」
為に・・『使用される語彙が非常に豊富だ』というのがあると
思います(複雑な概念を取り扱う為にはどうしても語彙が豊富でないと
取り扱えないし、理解も出来ないはずですよ)
しかし、多くの第三世界では(義務教育制度があった場合)中学を出た
だけで終わりと言う国民の割合が未だに圧倒的に多い訳です。
その結果、そうした国民の多くと一部の(特権階級に所属する人達)の
間の決定的な違いは『語彙量の差』ということになるんですね。
(僕が、上位層の人間になればなる程、婉曲話法と語彙が増える為に
行間を読まなくてはならなくなる・・と何度か書いているヤツです)
そうした上位層の人間に対して中間から下位層の人間は当然
『保有する語彙量が少ない』訳ですから、その表現方法も上位層に比べて
『単純化されストレートな表現になる』のは必然なんですね。
ということは、どう言うことか?なんですが、
「言葉=概念」のはずですから『思考方法そのものが単純でストレートになる』
ということなんです(誤解しないでほしいのは、これは卑下してる訳もなく
客観的な事実としてお話です)
つまり、辞書に出てくる「最初に該当する語句の意味”しか”その一般的な
国民が使う表現には存在せず、その言葉を支えている概念も又同様に
”一つの意味しか’持っていない」ということです。
(時系列を無視したような”目の前のことだけに限定した表現が多い”のも
その為だと思います)
これを、文明国の人達は「純粋だ」とか「素朴だ」という表現で彼らの性格を
評価して理解しようとするのだと僕は考えています。
この評価はある面では正しいんですが、問題なのは「そう評価をしている側」
の社会や概念の構造が非常に複雑な為に、ついつい自分達の日常的な
概念の使用方法から無意識のまま、抜け出させないで
『多くの彼らの表現の(本音と建前の本音の部分を)”裏読み”しようとする』
ことなんだと思うんです。
しかし、実際は多くの第三世界の人達が使う言葉には「表も裏も無い」んですね。
(赤の他人に対して、直接的な物言いをしないというのは”秩序維持の掟”ですから、
挨拶等と同じで余り大した意味はないと言うか”慣用句”的な扱われ方なので
それ自体が取上げて「表かと裏の存在」とは位置付け出来ないと思います)
つまり
『語彙量が少ない多くの第三世界の人達は思考方法もその語彙量に合わせて単純に
出来ている』
と言うことです。
(ですから、”いい人達である”ことは間違いはないと思いますが、
最も欧米文明世界の概念と正面衝突する部分でもあることも間違いないですね)
ですから「(理論立てて)考える」ことや「(理論立てて)説明する」役割は
自分達の役割ではなく、部族長や宗教指導者や指導者層等の”上位者の役割だ”
と多くの一般的な国民は認識する理由でもあると考えます。
続きます
早朝から何やらバタバタと用事があったので・・
>スーフィズムとワッハーブ派(スンニ派)・・
ですが、僕は殊更に「複雑」には認識していないのです。
で、このお話をする前段階として
第三世界と現代文明先進国の大きな「違い」じゃないか、と
僕が理解している部分を先ずお話させて頂きます。
以前から、僕はこのトピで「言葉の再定義化」に何度か触れて
いるのですが、それも含まれる内容です、
多くの文明先進国と呼ばれる諸国は「一般的国民の教育レベルが高い」
為に・・『使用される語彙が非常に豊富だ』というのがあると
思います(複雑な概念を取り扱う為にはどうしても語彙が豊富でないと
取り扱えないし、理解も出来ないはずですよ)
しかし、多くの第三世界では(義務教育制度があった場合)中学を出た
だけで終わりと言う国民の割合が未だに圧倒的に多い訳です。
その結果、そうした国民の多くと一部の(特権階級に所属する人達)の
間の決定的な違いは『語彙量の差』ということになるんですね。
(僕が、上位層の人間になればなる程、婉曲話法と語彙が増える為に
行間を読まなくてはならなくなる・・と何度か書いているヤツです)
そうした上位層の人間に対して中間から下位層の人間は当然
『保有する語彙量が少ない』訳ですから、その表現方法も上位層に比べて
『単純化されストレートな表現になる』のは必然なんですね。
ということは、どう言うことか?なんですが、
「言葉=概念」のはずですから『思考方法そのものが単純でストレートになる』
ということなんです(誤解しないでほしいのは、これは卑下してる訳もなく
客観的な事実としてお話です)
つまり、辞書に出てくる「最初に該当する語句の意味”しか”その一般的な
国民が使う表現には存在せず、その言葉を支えている概念も又同様に
”一つの意味しか’持っていない」ということです。
(時系列を無視したような”目の前のことだけに限定した表現が多い”のも
その為だと思います)
これを、文明国の人達は「純粋だ」とか「素朴だ」という表現で彼らの性格を
評価して理解しようとするのだと僕は考えています。
この評価はある面では正しいんですが、問題なのは「そう評価をしている側」
の社会や概念の構造が非常に複雑な為に、ついつい自分達の日常的な
概念の使用方法から無意識のまま、抜け出させないで
『多くの彼らの表現の(本音と建前の本音の部分を)”裏読み”しようとする』
ことなんだと思うんです。
しかし、実際は多くの第三世界の人達が使う言葉には「表も裏も無い」んですね。
(赤の他人に対して、直接的な物言いをしないというのは”秩序維持の掟”ですから、
挨拶等と同じで余り大した意味はないと言うか”慣用句”的な扱われ方なので
それ自体が取上げて「表かと裏の存在」とは位置付け出来ないと思います)
つまり
『語彙量が少ない多くの第三世界の人達は思考方法もその語彙量に合わせて単純に
出来ている』
と言うことです。
(ですから、”いい人達である”ことは間違いはないと思いますが、
最も欧米文明世界の概念と正面衝突する部分でもあることも間違いないですね)
ですから「(理論立てて)考える」ことや「(理論立てて)説明する」役割は
自分達の役割ではなく、部族長や宗教指導者や指導者層等の”上位者の役割だ”
と多くの一般的な国民は認識する理由でもあると考えます。
続きます
これは メッセージ 907 (kumeruoukoku さん)への返信です.
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