理想と現実のはざまで
投稿者: asean_peace11 投稿日時: 2004/07/06 17:33 投稿番号: [809 / 1982]
[人々は何も求めるのか]
僕は、理想を追求することを人間が止めてしまっては
駄目だろうと考えてはいるのですが
「理想論だけ」に陥った形での追求は、今朝書いたような
均質ではない現実では運用が非常に難しくなるのではないか
とも考えている訳です。
(これをライターさんは、悪ばかり集めたクラスと言う
例で話をしてらしたまが、笑)
では、現実を踏まえた上での「論」であれば問題がないか?
と言うと、これまたそうではないんです。
なぜなら(実体験も踏まえた上の論であったとしても)
「論」は「論」でしかないのがこうした第三世界では当り前なんですね。
最も僕に身近な例を使ってお話しますと
先週の月曜日から営業を開始した村民運営の自然食レストラン、
こうした店舗は、そのレストランで3件目(業種は違いますが)なんです。
こうした事業をなぜ、市場性の低い近くの町で初めて、市場性の高い
都市部での展開を優先しないのか?には、「論」の重要性を村民に
実体験してもらうシミュレーションの意味も兼ねているからなんです。
(ここで言う論の重要性とは理論武装するみたいなことではなく、
明日を想定して今日何を具体的に成すべきかを順序立てて”考え”
そして”その考えを自ら具体化する”といった意味です)
ですから、僕らは、事前の準備段階では(案自体は村民から持ち込み
ですので)一応、想定される問題点やその改善方法や手段等も提起
するようにしてはいますが、強要は一切行わず、村民の自主性に
任せるようにしています(ですから、大掃除の四駆話や、待ち時間
8割実働2割り話のようなことが起こる訳ですね、笑)
で、どんな小さい町であっても「サービス業」をすることは
”わがままなお客さん”に昨日迄’村でお百姓さんしてました’ので
「サービスのプロではないのでスンマセン」等と言う”言い訳”は
全く通じません(都会はこれがよりシビアになり同業との競争も熾烈になる
というだけですね)
そういう状況になって初めて、メニューが事前になくては駄目だ、とか
値段が初めから表示されていないと駄目だ、とか
マンゴーサラダのタイ風とこの国風の違いは何?と聞かれて答えられない
為にお客が何人も帰ってしまった(笑)ことを防ぐ為に
メニューに料理の写真が載っていて簡単な説明がついてた方が良い、とか
更には、最も根源的な「レストランの名前」がはっきりとそのレストラン
の性格(出身地、料理の種類、料理の内容等など)を表していないと
駄目だ(いわゆるコンセプトですね)等といった、
事前に僕らが「必要になるよ」としていた「論」に行き着くことが出来る
訳です。
何か非常に回りくどいやり方に思われるかも知れませんが、僕らがそれを
「論(実感で知っているもの)」として”先回り”して用意することは
何度も書いているように、最後迄「彼らのものにならない」のです。
そうした「論の必要性を実感して貰う為に」・・被害が最小限で済む
近場の町で先ずシミュレーションを実施する訳です。
(顔見知りも少なからず居るので、まぁ何か不適切な対応があっても
ある程度は勘弁して貰えるということもあるんですが、これが
いきなり都会で勘弁して貰える・・といった訳にはいきませんし、
結果、受ける被害も甚大なものになってしまいますしね)
以上からもお分かりになるように、欧米や日本的には至極当り前な
レベルの「論」でさえも、実感が伴わないものは「論」でさえも無い
というのが第三世界では常識なんですね。
こうした身近なレベルの「論」でさえもそうなのですから、
超国家政治体や世界連邦構想といった非常に観念的で高度な抽象概念を
政治指導者層は理解可能であっても、多くの一般的な国民がその
論だけでゴクンと飲み込み理解出来るか?・・・は非常に疑問に
感じるんですね。
それに、見落としてはならないのは『意識的にそうした権威や権力を無視して
世界中でテロ行為を実際に行っているアルカイダの兵士達』は
そうした普通の一般的な国民層の出身だ、と言うことです。
取敢えず
僕は、理想を追求することを人間が止めてしまっては
駄目だろうと考えてはいるのですが
「理想論だけ」に陥った形での追求は、今朝書いたような
均質ではない現実では運用が非常に難しくなるのではないか
とも考えている訳です。
(これをライターさんは、悪ばかり集めたクラスと言う
例で話をしてらしたまが、笑)
では、現実を踏まえた上での「論」であれば問題がないか?
と言うと、これまたそうではないんです。
なぜなら(実体験も踏まえた上の論であったとしても)
「論」は「論」でしかないのがこうした第三世界では当り前なんですね。
最も僕に身近な例を使ってお話しますと
先週の月曜日から営業を開始した村民運営の自然食レストラン、
こうした店舗は、そのレストランで3件目(業種は違いますが)なんです。
こうした事業をなぜ、市場性の低い近くの町で初めて、市場性の高い
都市部での展開を優先しないのか?には、「論」の重要性を村民に
実体験してもらうシミュレーションの意味も兼ねているからなんです。
(ここで言う論の重要性とは理論武装するみたいなことではなく、
明日を想定して今日何を具体的に成すべきかを順序立てて”考え”
そして”その考えを自ら具体化する”といった意味です)
ですから、僕らは、事前の準備段階では(案自体は村民から持ち込み
ですので)一応、想定される問題点やその改善方法や手段等も提起
するようにしてはいますが、強要は一切行わず、村民の自主性に
任せるようにしています(ですから、大掃除の四駆話や、待ち時間
8割実働2割り話のようなことが起こる訳ですね、笑)
で、どんな小さい町であっても「サービス業」をすることは
”わがままなお客さん”に昨日迄’村でお百姓さんしてました’ので
「サービスのプロではないのでスンマセン」等と言う”言い訳”は
全く通じません(都会はこれがよりシビアになり同業との競争も熾烈になる
というだけですね)
そういう状況になって初めて、メニューが事前になくては駄目だ、とか
値段が初めから表示されていないと駄目だ、とか
マンゴーサラダのタイ風とこの国風の違いは何?と聞かれて答えられない
為にお客が何人も帰ってしまった(笑)ことを防ぐ為に
メニューに料理の写真が載っていて簡単な説明がついてた方が良い、とか
更には、最も根源的な「レストランの名前」がはっきりとそのレストラン
の性格(出身地、料理の種類、料理の内容等など)を表していないと
駄目だ(いわゆるコンセプトですね)等といった、
事前に僕らが「必要になるよ」としていた「論」に行き着くことが出来る
訳です。
何か非常に回りくどいやり方に思われるかも知れませんが、僕らがそれを
「論(実感で知っているもの)」として”先回り”して用意することは
何度も書いているように、最後迄「彼らのものにならない」のです。
そうした「論の必要性を実感して貰う為に」・・被害が最小限で済む
近場の町で先ずシミュレーションを実施する訳です。
(顔見知りも少なからず居るので、まぁ何か不適切な対応があっても
ある程度は勘弁して貰えるということもあるんですが、これが
いきなり都会で勘弁して貰える・・といった訳にはいきませんし、
結果、受ける被害も甚大なものになってしまいますしね)
以上からもお分かりになるように、欧米や日本的には至極当り前な
レベルの「論」でさえも、実感が伴わないものは「論」でさえも無い
というのが第三世界では常識なんですね。
こうした身近なレベルの「論」でさえもそうなのですから、
超国家政治体や世界連邦構想といった非常に観念的で高度な抽象概念を
政治指導者層は理解可能であっても、多くの一般的な国民がその
論だけでゴクンと飲み込み理解出来るか?・・・は非常に疑問に
感じるんですね。
それに、見落としてはならないのは『意識的にそうした権威や権力を無視して
世界中でテロ行為を実際に行っているアルカイダの兵士達』は
そうした普通の一般的な国民層の出身だ、と言うことです。
取敢えず
これは メッセージ 803 (asean_peace11 さん)への返信です.
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