「阻止する義務」の適用基準②
投稿者: silverlining430 投稿日時: 2004/10/14 17:38 投稿番号: [1726 / 1982]
続きです。
「阻止する義務」では、特に独裁体制下にある国のWMDの開発と保有、使用の「野心」を問題視しています。
先にも話した通り、独裁体制下の国では、指導的リーダーに立つ者の判断や決定をチェックする機能が国内に存在していないため、仮にそうした国の指導者がWMDを開発・保有・使用する野心を持ち、それが国際的にも脅威―アセアンさんは「危なっかしい」と表現していましたが(笑)―となり得る場合、その脅威を国内的な要因で抑制することはほぼ絶望的です。
かといって、既存の国際法規範に基づく軍縮・軍備管理レジームでは、ある国が確実に条約などで禁じられた兵器を保有しているという明白な事実が存在していなければ、規制の対象になり得ません。
この点が、クライさんご指摘のイスラエルについてのダブルスタンダードのお話とは、観点が異なってくる部分でもあるのですが。
つまり、イスラエルは、確かに乱暴な国ではありますが、既存の国際法規範レジームに参加できる(もしくは参加させることができる)国でもあります。また、国内においては、イスラエル左派もいますし、穏健派もいます。彼らは抑圧されているわけではありません。メディアもあります。政権の決定についての違憲立法審査を行う裁判所も存在します。政権の政策判断の国内的抑制要因は皆無ではないのです。
(まぁ、米国もイスラエルも非常にしたたかな国であるため、そもそも緩い規範体系である国際法を無視し得るという問題は別に存在していますが…)
一方、独裁体制下の国は、そうした国内的な権力チェック機能が皆無になる状態に置かれることが普通です。
野党勢力はありませんし、反体制派は抑圧の対象です。権力をチェックしようとする独立のメディアもないでしょう。アルジャジーラのように自国のカタールの体制批判は一切しないが、他国の体制は批判するというようなメディアはできるかもしれませんが…。
したがって、「独裁体制の国の指導者の<WMDに関わる野心>に対するチェック能力・機能」が国内にないのであれば、それを国際社会がやろうではないか――ということが「阻止する義務」の考え方の核心部分になるというわけです。
「阻止する義務」では予防的な武力行使(いわゆる先制攻撃論)も視野に入っていますが、その前段階である兵器査察や情報収集などを行うための非軍事介入を国際社会ができるような体制にすべきではないかという部分が一番の関心事になります。
90年代のイラクの核兵器開発計画が問題になったときも、イラクが行ったウラン濃縮は原子力発電なんかの平和利用ではないかといった指摘が、安保理でロシアの国連大使によりなされました。
が、平和利用なんかのための濃縮ウランは、比較的安価で手に入るのですが、わざわざ何十億ドルものコストがかかるウランの濃縮を、原子炉のためなんかに自前で行う理由などない。
したがって、イラクは、平和利用ではなく明らかに核兵器開発のためにウラン濃縮を行ったと推察されたわけです。このような推察の段階で、国際社会の管理下に置くことをめざすのが「阻止する義務」のめざすところのようなのです。
事前の予防措置として十分な対策が講じられてもいないのに、唐突に、「WMDの脅威が云々」という理由で武力行使が政治的オプションに入ってくるというのはいかがなものでしょうか?――ということも「阻止する義務」の考え方における問題意識でもあるというわけです。
それでは、実際に「阻止する義務」を適用する場合、それはどんな基準で判断されるべきなのか――とのクライさんのご指摘が、まさに今、課題となっているところのようです。
取り敢えず以上です。
「阻止する義務」では、特に独裁体制下にある国のWMDの開発と保有、使用の「野心」を問題視しています。
先にも話した通り、独裁体制下の国では、指導的リーダーに立つ者の判断や決定をチェックする機能が国内に存在していないため、仮にそうした国の指導者がWMDを開発・保有・使用する野心を持ち、それが国際的にも脅威―アセアンさんは「危なっかしい」と表現していましたが(笑)―となり得る場合、その脅威を国内的な要因で抑制することはほぼ絶望的です。
かといって、既存の国際法規範に基づく軍縮・軍備管理レジームでは、ある国が確実に条約などで禁じられた兵器を保有しているという明白な事実が存在していなければ、規制の対象になり得ません。
この点が、クライさんご指摘のイスラエルについてのダブルスタンダードのお話とは、観点が異なってくる部分でもあるのですが。
つまり、イスラエルは、確かに乱暴な国ではありますが、既存の国際法規範レジームに参加できる(もしくは参加させることができる)国でもあります。また、国内においては、イスラエル左派もいますし、穏健派もいます。彼らは抑圧されているわけではありません。メディアもあります。政権の決定についての違憲立法審査を行う裁判所も存在します。政権の政策判断の国内的抑制要因は皆無ではないのです。
(まぁ、米国もイスラエルも非常にしたたかな国であるため、そもそも緩い規範体系である国際法を無視し得るという問題は別に存在していますが…)
一方、独裁体制下の国は、そうした国内的な権力チェック機能が皆無になる状態に置かれることが普通です。
野党勢力はありませんし、反体制派は抑圧の対象です。権力をチェックしようとする独立のメディアもないでしょう。アルジャジーラのように自国のカタールの体制批判は一切しないが、他国の体制は批判するというようなメディアはできるかもしれませんが…。
したがって、「独裁体制の国の指導者の<WMDに関わる野心>に対するチェック能力・機能」が国内にないのであれば、それを国際社会がやろうではないか――ということが「阻止する義務」の考え方の核心部分になるというわけです。
「阻止する義務」では予防的な武力行使(いわゆる先制攻撃論)も視野に入っていますが、その前段階である兵器査察や情報収集などを行うための非軍事介入を国際社会ができるような体制にすべきではないかという部分が一番の関心事になります。
90年代のイラクの核兵器開発計画が問題になったときも、イラクが行ったウラン濃縮は原子力発電なんかの平和利用ではないかといった指摘が、安保理でロシアの国連大使によりなされました。
が、平和利用なんかのための濃縮ウランは、比較的安価で手に入るのですが、わざわざ何十億ドルものコストがかかるウランの濃縮を、原子炉のためなんかに自前で行う理由などない。
したがって、イラクは、平和利用ではなく明らかに核兵器開発のためにウラン濃縮を行ったと推察されたわけです。このような推察の段階で、国際社会の管理下に置くことをめざすのが「阻止する義務」のめざすところのようなのです。
事前の予防措置として十分な対策が講じられてもいないのに、唐突に、「WMDの脅威が云々」という理由で武力行使が政治的オプションに入ってくるというのはいかがなものでしょうか?――ということも「阻止する義務」の考え方における問題意識でもあるというわけです。
それでは、実際に「阻止する義務」を適用する場合、それはどんな基準で判断されるべきなのか――とのクライさんのご指摘が、まさに今、課題となっているところのようです。
取り敢えず以上です。
これは メッセージ 1725 (silverlining430 さん)への返信です.
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