心象風景-2
投稿者: asean_peace11 投稿日時: 2004/08/28 08:41 投稿番号: [1460 / 1982]
こうした具体的な説明の出来ない”情動的な感覚”同士が衝突すると
(前にも書いていますが)当然、お互いに「そうした感覚を持つ”理由”を
説明して理解することは先ず100%無理」な訳です。
なぜなら「この態度がおかしい」とか「そのやり方が変だ」とか言う表面的に
お互いが見ることが出来る「奇妙なモノやコト」を指摘することは
出来ますが「何処かがどうおかしくて、変なのか」を
”お互いだけが理解出来る言葉とその言葉を発する情動や感情だけでは、
如何にお互いが相手の言葉を使うことが出来たとしても、相手には全く
通じない”のが現実だからです。
更に、人間は多かれ少なかれ『相手との相対比較で自分の相手に対する位置を
確認する』行為は人間も社会的な動物としては必然性でもあると考えます。
実際、多くの第三世界では「相手の年齢、既婚独身の有無、既婚ならば
子供は何人か?独身ならば、なぜ結婚しないのか?学歴、具体的な収入、
家族のこと、父親の職業」等を初対面の相手に直接、聞き正す行為は
”無礼な行為”ではなく『相手との相対的な位置関係を正確に
把握することで”誤解や一方的な思い込みから起こりえる不必要な摩擦を
避ける為の’正しい作法に適った行為’として認識されている”』
のが一般的です。
つまり、相手が自分よりも上位の人間であることが分かれば
「礼を失した態度や言葉使いをしないで済む」訳ですし
相手が自分よりも下位の人間であることが分かれば「自分の間違った
対応で自身も相手の面子も潰すこと無い」訳です。
しかし、こういう他人との相対評価は、多くの先進国では
様々な優劣を前提にすることは反道徳的であると同時に非礼な行為の
代表にも挙げられる行為として認識されているはずです。
こうした「差別感や優越感を持ってはいけない」という認識は、
ひょとすると「人間の情動的な部分や感情的な部分に生理的なモノとして
存在しているが故に、それを人間自身の歴史から学んだ人達が、
当初は自分達が生き残る為であったとしても、その生き残る知恵として
道徳観や倫理観そしてそれらを論理付ける宗教として生み出したのではないか」
と僕は理解しています。
ですから、本能的と言うか情動的な部分にある生理的な(ある種無意識な)
差別感や優越感を”乗り越える為の’道具’として”
人間の「知識」や「理性」や「理論的な思考」が存在しているのではないかと、
僕は考えている訳です。
こうしたことから、僕は人間としての”本質部分(情動的で感情的な部分)”は
その歩んで来た歴史からしても「性悪なモノ」だろうとは思いますが、
その人間が生み出した”知識”と”理性”や”理論的な思考”はそうした
性悪な部分を、凌駕し且未来を切り開く為に性悪な人間が創造した
「性善な説明可能な意識と行動」を実現する”武器”なのだろうと信じています。
ですが、何かの拍子に、そうした情動的で生理的な嫌悪感に基づいた優越感や
差別感が、思わず出て来てしまうことも否定しません。
しかし、そうした無意識とでも言う生理的な存在に気が付いた瞬間に
僕は、そうしたモノを凌駕し切れなかった自分自身の力量不足を恥じ入ります。
そして、人間の可能性を再度、自分で信じ直すことで、凌駕出来なかった
不足分を補う目的を持つように心掛けてもいます。
ちょっと、偉そうなことを書きましたが、この僕が自分の原則だと信じている話の
元ネタを僕に初めてしてくれたのは、今の女房なので・・・
早い話が”受売り”です。
取敢えず
(前にも書いていますが)当然、お互いに「そうした感覚を持つ”理由”を
説明して理解することは先ず100%無理」な訳です。
なぜなら「この態度がおかしい」とか「そのやり方が変だ」とか言う表面的に
お互いが見ることが出来る「奇妙なモノやコト」を指摘することは
出来ますが「何処かがどうおかしくて、変なのか」を
”お互いだけが理解出来る言葉とその言葉を発する情動や感情だけでは、
如何にお互いが相手の言葉を使うことが出来たとしても、相手には全く
通じない”のが現実だからです。
更に、人間は多かれ少なかれ『相手との相対比較で自分の相手に対する位置を
確認する』行為は人間も社会的な動物としては必然性でもあると考えます。
実際、多くの第三世界では「相手の年齢、既婚独身の有無、既婚ならば
子供は何人か?独身ならば、なぜ結婚しないのか?学歴、具体的な収入、
家族のこと、父親の職業」等を初対面の相手に直接、聞き正す行為は
”無礼な行為”ではなく『相手との相対的な位置関係を正確に
把握することで”誤解や一方的な思い込みから起こりえる不必要な摩擦を
避ける為の’正しい作法に適った行為’として認識されている”』
のが一般的です。
つまり、相手が自分よりも上位の人間であることが分かれば
「礼を失した態度や言葉使いをしないで済む」訳ですし
相手が自分よりも下位の人間であることが分かれば「自分の間違った
対応で自身も相手の面子も潰すこと無い」訳です。
しかし、こういう他人との相対評価は、多くの先進国では
様々な優劣を前提にすることは反道徳的であると同時に非礼な行為の
代表にも挙げられる行為として認識されているはずです。
こうした「差別感や優越感を持ってはいけない」という認識は、
ひょとすると「人間の情動的な部分や感情的な部分に生理的なモノとして
存在しているが故に、それを人間自身の歴史から学んだ人達が、
当初は自分達が生き残る為であったとしても、その生き残る知恵として
道徳観や倫理観そしてそれらを論理付ける宗教として生み出したのではないか」
と僕は理解しています。
ですから、本能的と言うか情動的な部分にある生理的な(ある種無意識な)
差別感や優越感を”乗り越える為の’道具’として”
人間の「知識」や「理性」や「理論的な思考」が存在しているのではないかと、
僕は考えている訳です。
こうしたことから、僕は人間としての”本質部分(情動的で感情的な部分)”は
その歩んで来た歴史からしても「性悪なモノ」だろうとは思いますが、
その人間が生み出した”知識”と”理性”や”理論的な思考”はそうした
性悪な部分を、凌駕し且未来を切り開く為に性悪な人間が創造した
「性善な説明可能な意識と行動」を実現する”武器”なのだろうと信じています。
ですが、何かの拍子に、そうした情動的で生理的な嫌悪感に基づいた優越感や
差別感が、思わず出て来てしまうことも否定しません。
しかし、そうした無意識とでも言う生理的な存在に気が付いた瞬間に
僕は、そうしたモノを凌駕し切れなかった自分自身の力量不足を恥じ入ります。
そして、人間の可能性を再度、自分で信じ直すことで、凌駕出来なかった
不足分を補う目的を持つように心掛けてもいます。
ちょっと、偉そうなことを書きましたが、この僕が自分の原則だと信じている話の
元ネタを僕に初めてしてくれたのは、今の女房なので・・・
早い話が”受売り”です。
取敢えず
これは メッセージ 1459 (asean_peace11 さん)への返信です.
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