アセアンの私見:世界の常識?-1
投稿者: asean_peace11 投稿日時: 2004/08/11 10:05 投稿番号: [1324 / 1982]
おはようございます
このテーマは、いわゆる「日本の常識は世界の非常識」的な
お話をする為ではありません。
それと、僕自身は「世界的に共通する常識」は多分無いだろう
とも考えています(ある特定分野の”共通ルール”とこの常識とは
全く違うものだとも考えます)
世界中には民族の数だけ(言い出せばきりが無いので、この辺りで)
”常識”が存在し、そうした数多く存在する常識をその他の常識を
使って判断したり、理解したりは先ず不可能だと僕は考えます。
更に、言葉の問題も同様で「英語」は世界中何処でも通じる論は
英会話学校のキャッチコピーでしかなく、世界の多く(単純に
中国とインドの人口約20億近くの人間のほぼ9割に英語は通じない
それに対して英語が母国語になっている国々の人口を全て
足してもこの2つの国の合計された人口には及ばない)
言葉が通じない限り異文化間の”意思疎通”は100%無理だと
僕は考えています。
(言葉が通じなくても’真心があれば’は幻想でしかないと
言っても過言ではないとさえ思っています)
更に、言葉が出来ても”思考方法”の理解が無ければ
”正確”な意思疎通も又100%無りだと考えます。
つまり、僕の中には世界中の人間が、民族単位であっても、
相互理解の方法を完全に手に入れ且相互協調することは
不可能だろう・・・という楽観論者の僕にしては珍しく
悲観論が存在しています。
昨夜、こんなレポートがタイ側のチームから入って来ました
「マッサージ店のサインステッカーに日本語を加えた、とにかく
日本人ってのはメニューに”メニュー”と日本語で書いてあるのに
英語との併用だと読めない、分からないとなってしまうのはどうしてだ?」
っと、まぁ半分はかなり憤慨していたようなんですが
(それなりのセリフもメールの中にありましたから、実際は
かなり腹を立てる何かがあったんだと思いますが、苦笑)
僕はこのレポートに「そういうタイ人でさえ、相手が外国人だと
その外国人が一生懸命タイ語を話そうと努力しているのに
相手はタイ語を話せないと端っから思い込んで、相手が使う
タイ語が聞こえないことがあるのと、何も変わらないんじゃないの?」
という返事を書いたんですね。
つまり、お互いが相手は”自分達の仲間では無い”という前提条件
の存在を許した元での相互理解というのはお題目だけの話で
先ず実現させることは不可能だという証拠だと考えます。
但し、これだけ情報社会になり、実際の行き来も盛んになってくると
「知らなかったでは済まされない話」に往々にして直面する
確率も自国内だけですごすことが出来た昔と違い飛躍的増加することも
事実です。
つまり(以前、ある日本企業が外国ら強制撤退を余儀なくされた
際の経営者の弁だったと思いますが)
『無知は罪である』
このことに全てが集約されるのではないか?と考えます。
ただ、この言葉の本当の意味は”相手側の文化的な事情迄
’知らない’でいると自分が’不利益をこうむる’”という
意味での無知を指していると思います。
では、自分が自国以外で不利益をこうむらないようにするにはどうしたら
良いのでしょう?
続く
このテーマは、いわゆる「日本の常識は世界の非常識」的な
お話をする為ではありません。
それと、僕自身は「世界的に共通する常識」は多分無いだろう
とも考えています(ある特定分野の”共通ルール”とこの常識とは
全く違うものだとも考えます)
世界中には民族の数だけ(言い出せばきりが無いので、この辺りで)
”常識”が存在し、そうした数多く存在する常識をその他の常識を
使って判断したり、理解したりは先ず不可能だと僕は考えます。
更に、言葉の問題も同様で「英語」は世界中何処でも通じる論は
英会話学校のキャッチコピーでしかなく、世界の多く(単純に
中国とインドの人口約20億近くの人間のほぼ9割に英語は通じない
それに対して英語が母国語になっている国々の人口を全て
足してもこの2つの国の合計された人口には及ばない)
言葉が通じない限り異文化間の”意思疎通”は100%無理だと
僕は考えています。
(言葉が通じなくても’真心があれば’は幻想でしかないと
言っても過言ではないとさえ思っています)
更に、言葉が出来ても”思考方法”の理解が無ければ
”正確”な意思疎通も又100%無りだと考えます。
つまり、僕の中には世界中の人間が、民族単位であっても、
相互理解の方法を完全に手に入れ且相互協調することは
不可能だろう・・・という楽観論者の僕にしては珍しく
悲観論が存在しています。
昨夜、こんなレポートがタイ側のチームから入って来ました
「マッサージ店のサインステッカーに日本語を加えた、とにかく
日本人ってのはメニューに”メニュー”と日本語で書いてあるのに
英語との併用だと読めない、分からないとなってしまうのはどうしてだ?」
っと、まぁ半分はかなり憤慨していたようなんですが
(それなりのセリフもメールの中にありましたから、実際は
かなり腹を立てる何かがあったんだと思いますが、苦笑)
僕はこのレポートに「そういうタイ人でさえ、相手が外国人だと
その外国人が一生懸命タイ語を話そうと努力しているのに
相手はタイ語を話せないと端っから思い込んで、相手が使う
タイ語が聞こえないことがあるのと、何も変わらないんじゃないの?」
という返事を書いたんですね。
つまり、お互いが相手は”自分達の仲間では無い”という前提条件
の存在を許した元での相互理解というのはお題目だけの話で
先ず実現させることは不可能だという証拠だと考えます。
但し、これだけ情報社会になり、実際の行き来も盛んになってくると
「知らなかったでは済まされない話」に往々にして直面する
確率も自国内だけですごすことが出来た昔と違い飛躍的増加することも
事実です。
つまり(以前、ある日本企業が外国ら強制撤退を余儀なくされた
際の経営者の弁だったと思いますが)
『無知は罪である』
このことに全てが集約されるのではないか?と考えます。
ただ、この言葉の本当の意味は”相手側の文化的な事情迄
’知らない’でいると自分が’不利益をこうむる’”という
意味での無知を指していると思います。
では、自分が自国以外で不利益をこうむらないようにするにはどうしたら
良いのでしょう?
続く
これは メッセージ 1 (topics_editor さん)への返信です.
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