電波再び 1
投稿者: nanntyattesamurai 投稿日時: 2005/03/30 19:24 投稿番号: [456 / 1657]
深遠なテーマ、ですか
・・・・・・
インターネットで、何書いているでしょうね (笑;
>「この世界には意味があるはずだ」という前提がまぁ余り好きじゃないんですよ
>意味が無いと駄目なのかぁ?ってついつい凄みたくなる。
まず、「この世界には意味があるはずだ」という前提
これが、原理主義やテロリストを生み出す、温床にもなるんじゃないかと思いますが
「この世界には意味があるはずだ」が無かった場合
「ぶっちゃけ、何やってもいいじゃん!!」みたいな考えになってしまう恐れはありませんかねぇ?
哲学を考える暇が無い間ならまだ良いが(人が幸せになる=哲学を考える余裕ができるでは??)
テロの原理主義に侵される環境が無い内なら良いが(白紙に原理主義を書き込むのは危険)
まあ、どっちに転んでも、あんまり良い未来は無さそうですね。
>エントロピー理論にしても実は数学と情報科学ではその中身が違っていたはずなんですが、
>それを社会学に持ち込んで来てどうなる?みたいな。。。
>言葉が先か事物が先かではないのですが、神とかいう存在でも宗教でもいいんですが・・・
>それらは全て人間が創り出したモノではないでしょうか?
近代科学までであれば、自然の事象を細分化し「レッテル貼り」だけしていれば良かったですが
実は、細分化された物は全て有機的に、つながっているのでは無いでしょうか??
全体学とも言うべき思考も必要なのではないか??
「山これ山にあらず、これを山と言う」
人は「急激な進化をする目的」で生まれたのかもしれませんが
概念と言う「実態を持たないもの」を、手に入れました
その代表が言葉だと思います。
「山・川」 ・・・ 人は自然の一部を切り取って、
それぞれに「言葉と言うレッテル」を貼っているに過ぎないと思います。
(山・川全てが一個の自然であり、有機的に繋がっている中の「一部の相」にしか過ぎない)
でも、概念(言葉)と言うレッテル貼りがなければ「社会」は形成できませんし
国家や民族と言う、共同幻想も存在できません(山・川も地球人口だけの概念が存在する)
もしかしたら、自分の存在さえ認識できないかもしれません。
(例: お金で物が買える? 信号は赤で渡ってはいけない? これらは共同幻想にしかすぎませんが!
これが無いと個人の自由や安全は確保できません。)
そう、全体と個、世界と国、国と個人、
全ては個として存在し、同時に全体とも繋がっている、
簡単に言えば鶏と卵だと思います。
(山も川も、その中に存在する森や林、植物群、個体としての木、動物、魚、岩など、多重構造をしている)
これらの矛盾を自覚した上で、自分がどのレベルの(個人・家庭・会社・行政・国etc)
何処にスタンスを置いて思考し、コミュニケーションを取るべきかを、判断する必要があると思います。
このレベル、スタンスの混在や、
レベル、スタンスそのものが意識されないところに、争いの萌芽は生じるのではないか?
結果として、今の合理的、細分的、理性的考え方のみで
矛盾を解決できるのか? 解決できないままなのか?? って事だと思います。
細分化された所からの理解と
全体から見た場合のバランス、
さらに、様々な視点からの観察、(観察者を複数持つ ・・・ 第二の自分)
こんな感じの考えも必要ではないか?
インターネットで、何書いているでしょうね (笑;
>「この世界には意味があるはずだ」という前提がまぁ余り好きじゃないんですよ
>意味が無いと駄目なのかぁ?ってついつい凄みたくなる。
まず、「この世界には意味があるはずだ」という前提
これが、原理主義やテロリストを生み出す、温床にもなるんじゃないかと思いますが
「この世界には意味があるはずだ」が無かった場合
「ぶっちゃけ、何やってもいいじゃん!!」みたいな考えになってしまう恐れはありませんかねぇ?
哲学を考える暇が無い間ならまだ良いが(人が幸せになる=哲学を考える余裕ができるでは??)
テロの原理主義に侵される環境が無い内なら良いが(白紙に原理主義を書き込むのは危険)
まあ、どっちに転んでも、あんまり良い未来は無さそうですね。
>エントロピー理論にしても実は数学と情報科学ではその中身が違っていたはずなんですが、
>それを社会学に持ち込んで来てどうなる?みたいな。。。
>言葉が先か事物が先かではないのですが、神とかいう存在でも宗教でもいいんですが・・・
>それらは全て人間が創り出したモノではないでしょうか?
近代科学までであれば、自然の事象を細分化し「レッテル貼り」だけしていれば良かったですが
実は、細分化された物は全て有機的に、つながっているのでは無いでしょうか??
全体学とも言うべき思考も必要なのではないか??
「山これ山にあらず、これを山と言う」
人は「急激な進化をする目的」で生まれたのかもしれませんが
概念と言う「実態を持たないもの」を、手に入れました
その代表が言葉だと思います。
「山・川」 ・・・ 人は自然の一部を切り取って、
それぞれに「言葉と言うレッテル」を貼っているに過ぎないと思います。
(山・川全てが一個の自然であり、有機的に繋がっている中の「一部の相」にしか過ぎない)
でも、概念(言葉)と言うレッテル貼りがなければ「社会」は形成できませんし
国家や民族と言う、共同幻想も存在できません(山・川も地球人口だけの概念が存在する)
もしかしたら、自分の存在さえ認識できないかもしれません。
(例: お金で物が買える? 信号は赤で渡ってはいけない? これらは共同幻想にしかすぎませんが!
これが無いと個人の自由や安全は確保できません。)
そう、全体と個、世界と国、国と個人、
全ては個として存在し、同時に全体とも繋がっている、
簡単に言えば鶏と卵だと思います。
(山も川も、その中に存在する森や林、植物群、個体としての木、動物、魚、岩など、多重構造をしている)
これらの矛盾を自覚した上で、自分がどのレベルの(個人・家庭・会社・行政・国etc)
何処にスタンスを置いて思考し、コミュニケーションを取るべきかを、判断する必要があると思います。
このレベル、スタンスの混在や、
レベル、スタンスそのものが意識されないところに、争いの萌芽は生じるのではないか?
結果として、今の合理的、細分的、理性的考え方のみで
矛盾を解決できるのか? 解決できないままなのか?? って事だと思います。
細分化された所からの理解と
全体から見た場合のバランス、
さらに、様々な視点からの観察、(観察者を複数持つ ・・・ 第二の自分)
こんな感じの考えも必要ではないか?
これは メッセージ 1 (topics_editor さん)への返信です.
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