トランスガバメンタリズム(亀レス)
投稿者: silverlining430 投稿日時: 2005/03/28 19:22 投稿番号: [428 / 1657]
ロンロンさん、アセアンさん。遅いレスですがご容赦を。
う〜ん、忙しいです。ちょっと待機時間ができたので気分転換に書き込みします。
>「法」という存在は
>『最低基準の創造』・・・なんじゃないかなぁ?っと
ここは仰る通りですね。つまり法とは現状認識をルールとして表現しているにすぎないともいえます。ただ、法が限りなく理想主義的な規定表現になり得る場合もあるでしょうね。民主主議体制ではない、アセアンさんが仰る人治的な国とか共同体内になると、トップダウン形式のルール設定になると思いますから、この場合は現状認識に基づく合理性判断が無視されることもあると思うんです。
ただ、国際法の場合は、ロンロンさんも指摘されている通り、最小公分母を発見し、多数の主体が合意を得た上でのルール設定ということになりますので、現状転換的なチャレンジングなルールが創設されることはほとんどないともいえるでしょう。
>『現場の行政官の意識や理解』という部分から
>それこそ”いじる”必要性がある・・・此処が根源的な問題でもあるんですが
ここが興味深いお話なのですが…。
普通、ある法律の目的は何であるのかを探るときの王道的なやり方として、その法律を起草した起草者意図を分析するということをします。
travaux preparatoire(起草作業)過程の検証と呼ばれるものですね。
ここで、大切なのは「誰が」法律の起草者であり、起草された法律は「誰の」意図を反映したものであるのか?――という点だと思うんです。
僕は以前、プリンストン大のウッドロー・ウイルソンスクールの大学院長を務めるアンマリー・スローターさんにお話を聞いたとき、彼女が、多数国間条約など普遍的といってもいい国際法規範の創設場である国連の枠組みを再度つくりかえ、新たな多国間制度を構築する必要があるという考えを示していたことも、国際法規の起草者の問題と関係してくると考えています。
スローターさんが現在の国連の枠組みにほとんど期待していないことの理由として、国連は所詮、国家の代表は外務省や大使などであり、それらのエリートの外交礼譲の場でしかないと問題視していることが挙げられます。
つまり、国連の場における国際法規の創設とは、悪くいえば、エリートの言葉遊びのこねくり回しにすぎず、得てして現場とは乖離したものになるという問題意識です。
それでは彼女が考える新たな多国間制度とは?――という部分が、「トランスガバメンタリズム」という彼女の造語概念で表現されるものになるらしく、これはつまり、政府部門間の国境を越えたつながりにより今日の国際問題を解決していこうとする動きを指している言葉のようです。
つまり、行政府や立法府、司法などの現場で働く行政官全てを含む、政府機関の各部門の国境を越えたネットワークを土台とした多国間制度が不可欠だと彼女は考えているわけです。
そして本当の意味での国連改革とは、これまでの単なる外交官や大使の外交礼譲の場から、政府各部門の現場行政官によるネットワークの場として生まれ変わる――という視座を持つものになっています。
さらに国際法規も、そうしたネットワークの中から生まれるものであることが重要だろうという考えのようです。
この彼女のアイデアは、アセアンさんの仰る、
>法律が国民の方を向いていないのが非常に多い
という問題とも真摯に向き合うものにもなるだろうと思い、僕は評価しています。
法の生成過程はどうしてもトップダウン的なイメージを持たれがちですが、それをいかにしてボトム・アップのプロセスに転換していくのかという点が重要になってくるのではないかと考えています。
とりあえず(久しぶりに使った)。
う〜ん、忙しいです。ちょっと待機時間ができたので気分転換に書き込みします。
>「法」という存在は
>『最低基準の創造』・・・なんじゃないかなぁ?っと
ここは仰る通りですね。つまり法とは現状認識をルールとして表現しているにすぎないともいえます。ただ、法が限りなく理想主義的な規定表現になり得る場合もあるでしょうね。民主主議体制ではない、アセアンさんが仰る人治的な国とか共同体内になると、トップダウン形式のルール設定になると思いますから、この場合は現状認識に基づく合理性判断が無視されることもあると思うんです。
ただ、国際法の場合は、ロンロンさんも指摘されている通り、最小公分母を発見し、多数の主体が合意を得た上でのルール設定ということになりますので、現状転換的なチャレンジングなルールが創設されることはほとんどないともいえるでしょう。
>『現場の行政官の意識や理解』という部分から
>それこそ”いじる”必要性がある・・・此処が根源的な問題でもあるんですが
ここが興味深いお話なのですが…。
普通、ある法律の目的は何であるのかを探るときの王道的なやり方として、その法律を起草した起草者意図を分析するということをします。
travaux preparatoire(起草作業)過程の検証と呼ばれるものですね。
ここで、大切なのは「誰が」法律の起草者であり、起草された法律は「誰の」意図を反映したものであるのか?――という点だと思うんです。
僕は以前、プリンストン大のウッドロー・ウイルソンスクールの大学院長を務めるアンマリー・スローターさんにお話を聞いたとき、彼女が、多数国間条約など普遍的といってもいい国際法規範の創設場である国連の枠組みを再度つくりかえ、新たな多国間制度を構築する必要があるという考えを示していたことも、国際法規の起草者の問題と関係してくると考えています。
スローターさんが現在の国連の枠組みにほとんど期待していないことの理由として、国連は所詮、国家の代表は外務省や大使などであり、それらのエリートの外交礼譲の場でしかないと問題視していることが挙げられます。
つまり、国連の場における国際法規の創設とは、悪くいえば、エリートの言葉遊びのこねくり回しにすぎず、得てして現場とは乖離したものになるという問題意識です。
それでは彼女が考える新たな多国間制度とは?――という部分が、「トランスガバメンタリズム」という彼女の造語概念で表現されるものになるらしく、これはつまり、政府部門間の国境を越えたつながりにより今日の国際問題を解決していこうとする動きを指している言葉のようです。
つまり、行政府や立法府、司法などの現場で働く行政官全てを含む、政府機関の各部門の国境を越えたネットワークを土台とした多国間制度が不可欠だと彼女は考えているわけです。
そして本当の意味での国連改革とは、これまでの単なる外交官や大使の外交礼譲の場から、政府各部門の現場行政官によるネットワークの場として生まれ変わる――という視座を持つものになっています。
さらに国際法規も、そうしたネットワークの中から生まれるものであることが重要だろうという考えのようです。
この彼女のアイデアは、アセアンさんの仰る、
>法律が国民の方を向いていないのが非常に多い
という問題とも真摯に向き合うものにもなるだろうと思い、僕は評価しています。
法の生成過程はどうしてもトップダウン的なイメージを持たれがちですが、それをいかにしてボトム・アップのプロセスに転換していくのかという点が重要になってくるのではないかと考えています。
とりあえず(久しぶりに使った)。
これは メッセージ 348 (asean_peace11 さん)への返信です.
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