聖書の真義
投稿者: battamama 投稿日時: 2005/03/27 05:20 投稿番号: [408 / 1657]
「聖書名言辞典」なるものがある。ひと月程前、たまたま書店で見つけた。
聖書の名言・名場面・エピソードが分かりやすく書いてある。
私は聖書は持っているが、ほとんど読んだことがない。その見聞を記憶しているだけだ。時に、聖書の言葉の断片が脳裏に浮かんでも、それが聖書の中のどこに書かれてあるかが分からないことが多々ある。探すのも大変だ。常々そのように思っていた私にとって、この本はなかなか便利だと思った。
しかし、値段も結構なもので六千円もする。
つい先日、このトピで「山上の垂訓」で語られた言葉が話題になったことも手伝って、昨日この辞典を購入した。
さすがに学者が編著しただけあって、原語に忠実だ。だが、やはり学者だけに、その発想の枠には、あまり満足感を覚えない。(偏見か?)
ということで、「心の貧しい人は幸いなり」という言葉の意味を、この辞典に依って解説してみたい。
この辞典では、以下のように表現されている。
◆幸いだ、乞食の心を持つ者たち、天の王国は、その彼らのものであるから。
「乞食の心を持つ者たち」は、通常「心の貧しい者たち」と訳される。しかし、原文を直訳すれば「霊において乞食である者たち」。自分自身に頼むものがいっさいない者、ひたすら霊のみを乞い求める者の意。
とある。
つまりは、心の貧しい者とは、我欲の無い「求道者」に近い精神にある者といったところだろうか。
聖書は翻訳の段階での誤訳、あるいは密教的理解が無いための誤認、そして時の権力であった教会の意図的改竄や削除によって、本来の意味が大きく歪められている。
イエスは、ユダヤの神秘哲学である「カバラ」に精通していた。よって、彼はその神秘体験と知識と直観によって、旧約聖書を深く理解したと言われている。
「狭き門より入れ」という言葉も、求道者に向けられた言葉である。
地水風火の洗礼(イニシエーション)の意味が分からなければ、この言葉の真意は分からない。
フリーメーソンに属し、神秘学にも通じていたモーツアルトは、これを「魔笛」でもって象徴的に表現している。
◆悪人に手向かうな。むしろ右の頬に平手打ちを加える者には、もう一方の頬を向けてやれ
これに関する聖書辞書の解説は、あまりにも陳腐だ。
実は、これは作用反作用の法則を解いているのであり、憎しみの連鎖を絶つ為の戒めなのだ。「因果応報」の法則と言ってもいいかも知れない。
このように、聖書で語られているイエスの言葉は、単なる道徳などではなく、宇宙の法則であり密教なのだ。このへんは神秘哲学の素養がないと読み解けない。
などと、もっともらしい解説をしたが、このような解説などどの本にも載っていない。あくまでも私の経験と直観によるものである。コケタか?笑
聖書の名言・名場面・エピソードが分かりやすく書いてある。
私は聖書は持っているが、ほとんど読んだことがない。その見聞を記憶しているだけだ。時に、聖書の言葉の断片が脳裏に浮かんでも、それが聖書の中のどこに書かれてあるかが分からないことが多々ある。探すのも大変だ。常々そのように思っていた私にとって、この本はなかなか便利だと思った。
しかし、値段も結構なもので六千円もする。
つい先日、このトピで「山上の垂訓」で語られた言葉が話題になったことも手伝って、昨日この辞典を購入した。
さすがに学者が編著しただけあって、原語に忠実だ。だが、やはり学者だけに、その発想の枠には、あまり満足感を覚えない。(偏見か?)
ということで、「心の貧しい人は幸いなり」という言葉の意味を、この辞典に依って解説してみたい。
この辞典では、以下のように表現されている。
◆幸いだ、乞食の心を持つ者たち、天の王国は、その彼らのものであるから。
「乞食の心を持つ者たち」は、通常「心の貧しい者たち」と訳される。しかし、原文を直訳すれば「霊において乞食である者たち」。自分自身に頼むものがいっさいない者、ひたすら霊のみを乞い求める者の意。
とある。
つまりは、心の貧しい者とは、我欲の無い「求道者」に近い精神にある者といったところだろうか。
聖書は翻訳の段階での誤訳、あるいは密教的理解が無いための誤認、そして時の権力であった教会の意図的改竄や削除によって、本来の意味が大きく歪められている。
イエスは、ユダヤの神秘哲学である「カバラ」に精通していた。よって、彼はその神秘体験と知識と直観によって、旧約聖書を深く理解したと言われている。
「狭き門より入れ」という言葉も、求道者に向けられた言葉である。
地水風火の洗礼(イニシエーション)の意味が分からなければ、この言葉の真意は分からない。
フリーメーソンに属し、神秘学にも通じていたモーツアルトは、これを「魔笛」でもって象徴的に表現している。
◆悪人に手向かうな。むしろ右の頬に平手打ちを加える者には、もう一方の頬を向けてやれ
これに関する聖書辞書の解説は、あまりにも陳腐だ。
実は、これは作用反作用の法則を解いているのであり、憎しみの連鎖を絶つ為の戒めなのだ。「因果応報」の法則と言ってもいいかも知れない。
このように、聖書で語られているイエスの言葉は、単なる道徳などではなく、宇宙の法則であり密教なのだ。このへんは神秘哲学の素養がないと読み解けない。
などと、もっともらしい解説をしたが、このような解説などどの本にも載っていない。あくまでも私の経験と直観によるものである。コケタか?笑
これは メッセージ 1 (topics_editor さん)への返信です.
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