イラク戦争

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「シーア派イスラム運動の展開」酒井啓子②

投稿者: imonoyamashotengai 投稿日時: 2005/03/30 22:02 投稿番号: [4648 / 5091]
  湾岸戦争後、フセインがイランとの接近を図った為、フセイン政権による
イスラーム推進政策。
  湾岸戦争後、政府が充分なサービスを国民に提供できないことを補う為に、
イスラームを利用しようとした。同時にダアワ党とSCIRIという反体制政治勢力
の国内活動基盤を削ぐ為に行われたキャンペーンであった。
しかし、結果として、イラクにおけるイスラームの向上となった。
「バアス党政権下で世俗的社会構成論理が主流を占めていたのに対し、
  イスラームという宗教が社会動員の核となり得る環境がフセイン政権末期には
  準備されていた」


  第3節   イラク戦争後のシーア派イスラーム運動の台頭状況
・SCIRI:動員構造をウラマー・ネットワークに持つ
・ダアワ党:平信徒中心のイデオロギー的政治組織
  フセイン政権崩壊後の2004年4月のアルバイーンでは、100万人規模の参加者
  SCIRIはカルバラでの支持層拡大の為に行進行事を後援し、実施運営に貢献

  ダアワ党は1980年前後に複数の分派に分裂
  分派のいくつかは南部湿地帯で反政府ゲリラ活動を行う。
  湿地帯ゲリラ指導者のムハンマダーウィー氏(イラク・ヒズボラ)は
  統治評議会に登用される。
  ダアワ党などの政治組織は国内基盤と疎遠になった時期が長かった。

  ムクタダ・サドル師は父の築いた支持ネットワークを引き継ぐ。
サダムシティに戦後信徒間ネットワークを築く。サドルシティとなる。
サドル派の勢力拡張過程をみると、ワキールを核とした運動を展開している
ワキール制を有効に活用した
従来ワキールが複数のウラマーの代理として機能してきたナジャフの従来からの
方式から逸脱し、サドル師以外の代理を禁じている。

  各勢力とも戦後しばらくの間は、地域限定的な動員能力しかなった。
「ダアワ党やSCIRIがCPAによって任命された統治評議会に参加して、早くから
  米主導のイラク統治に協力的な姿勢を示したのは、シーア派社会全般に広範な
  広がりを持たないダアワ党やSCIRIが、国政レベルの政治的影響力を獲得する
  為に政治中枢への参画を重視したと見なすことができる」

  サドル派、ダアワ党、SCIRIなどが、それぞれ対立的に運動を展開することは
ハウザの分裂という危機を、政治化された者であれ、非政治的姿勢を貫く者で
あれ、ウラマー層全体に認識させることとなった。
シスターニ師は、サドル派のマフディ軍結成と武力衝突の頻発という事態に至り
ハウザ統合強化の必要性を認識した。

2003年4月、シスターニ師は、外国による支配を拒否することを真っ先に明言。
2003年6月、「外国占領軍には制憲議会を任命する合法性がない。まず総選挙が
   あって選挙資格を持つ国民が制憲議会を選出し、その後憲法草案を
   レファレンダムにかけるべきである」とのファトワを発出。
シスターニ師を頂点としてシーア派各勢力が選挙要求で一致した行動を取り
始めた。
  シスターニ師との連携を重視したシーア派政治組織が、シスターニ師の
ワキールの位置付けで活動する例もみられる。(SCIRIのサギール氏など)
「ワキールの活用は各地方のワキールの独断専行を生む危険性を持つもの」
「シスターニ師の名を利用して、政治的影響力拡大を図ろうとする勢力が
  存在することの深刻さ」

「戦後の秩序崩壊過程で地域的限定性を持つウラマー・ネットワークが
  活性化され、そのことがシスターニという、むしろこれまで政治化してこな
  かったが故に極めて脱地域主義的な立場にあったアッ・タクリードをもまた
  運動の動態要因として揺り動かした。この結果、それぞれのウラマー・
  ネットワークの持つ政治性の有無を超えて、シーア派社会全体がハウザの
  もとに一体としてイスラーム化した」
「暫定議会の選出方法を巡る論議が、シーア派内部の対立に一旦終止符を打ち、
  シーア派社会全般に運動を広げる運動枠組みを提供する契機となった」
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