イランの民主化は進むか 改革派新聞の苦悩1
投稿者: imonoyamashotengai 投稿日時: 2005/01/20 03:08 投稿番号: [4419 / 5091]
「イランの民主化は進むか:改革派新聞の苦悩」NHKBS
(2005.1.19(水)放映)
この四年で、百紙以上の改革派新聞が発行禁止処分になりました。
79年のイラン革命、七千万人の人口の半数は、それを知らない若い世代に
なりました。
こうした若者達は表現や言論の自由を強く求めています。
そうした声が穏健な改革路線を掲げるハタミ大統領を誕生させました。
イランの改革派新聞シャールグ新聞社を三週間密着取材した記録です。
東という意味のシャールグ紙は、わずか一年でイラン第四の日刊紙となりました。
首都テヘランの街頭に並ぶ日刊紙は二十紙余り。
そのほとんどが政府の助成金を受けています。
イランの日刊紙の総発行部数は約七十万部。
一番値段の高いシャールグは公称部数十万部。
「発禁新聞最後の生き残りだ」
新聞を売っている街のオッちゃんが言っていました。
イランの年間交通事故死亡者は二万一千人以上。
シャールグのスタッフはほとんどが二十代です。
グーチャニ編集長は28歳。イラン全国紙で最年少の編集長です。
97年ハタミ大統領誕生。
政党政治が機能していないイランでは、新聞が野党に代わる役割を担い、
政府に変革を求める声となりました。
シャールグでは、『聖域』を犯さないかどうか自己検閲しています。
編集長が言うには、
「第一の聖域は最高指導者です」
「第二の聖域は司法当局です。
司法当局は新聞を発行禁止にする権限を持っています」
「第三はイスラム聖職者です。
この国で聖職者を批判することは許されていません」
イランの法律は大まかで曖昧な為、どこが『聖域』なのかが極めて分かりにくい
のです
「新聞が立ち入ってはいけない聖域は極めて不明瞭で神経を使います」
2004年の第七期国会議員選挙では、聖職者とイスラム法学者で作る護憲評議会
が候補者の事前審査を行ない、改革派二千人以上の立候補資格を剥奪しました。
これに抗議する改革派の議員グループは、26日間に亘る座り込みを行ない、
最高指導者ハメネイ師に抗議の書簡を送り付けました。
シャールグともう一紙だけがこの書簡の一部を掲載しました。
投票日前日、二紙は発行禁止を宣告されます。
シャールグの社長は当局に謝罪しました。
発行禁止から十五日後、シャールグは復活しました。
処分後、同じ名前で復刊した新聞はシャールグが初めてでした。
「投票率の低さは、人々が希望を失っていることの現われでしょうね」
と若い女性ジャーナリストが言っていました。
もはや、政治を通して改革を実現することはできない。
そうした失望感が増す中、改革派新聞は戦略の転換を迫られています。
編集長は、
「確かに我々改革派新聞は現在退却中です。しかしただの退却じゃない。
これは再び前進する為の退却なんです」
シャールグは、改革闘争の場を、政治から社会・文化欄へと移しました。
「社会部記者は少しずつ社会のタブーを破っています」と若い女性記者。
「国連が売春婦の福祉のための拠出金をイランに割り当てるかどうかを取材して
います」
「去年は、イランの麻薬中毒問題を取り上げました」
2003年のイラン地震では、真っ先に駆けつけ、写真部主任のコウサリの迫力
溢れる写真は世界に配信され、コウサリとシャールグの名は国際的に知られる
ところとなりました。
(2005.1.19(水)放映)
この四年で、百紙以上の改革派新聞が発行禁止処分になりました。
79年のイラン革命、七千万人の人口の半数は、それを知らない若い世代に
なりました。
こうした若者達は表現や言論の自由を強く求めています。
そうした声が穏健な改革路線を掲げるハタミ大統領を誕生させました。
イランの改革派新聞シャールグ新聞社を三週間密着取材した記録です。
東という意味のシャールグ紙は、わずか一年でイラン第四の日刊紙となりました。
首都テヘランの街頭に並ぶ日刊紙は二十紙余り。
そのほとんどが政府の助成金を受けています。
イランの日刊紙の総発行部数は約七十万部。
一番値段の高いシャールグは公称部数十万部。
「発禁新聞最後の生き残りだ」
新聞を売っている街のオッちゃんが言っていました。
イランの年間交通事故死亡者は二万一千人以上。
シャールグのスタッフはほとんどが二十代です。
グーチャニ編集長は28歳。イラン全国紙で最年少の編集長です。
97年ハタミ大統領誕生。
政党政治が機能していないイランでは、新聞が野党に代わる役割を担い、
政府に変革を求める声となりました。
シャールグでは、『聖域』を犯さないかどうか自己検閲しています。
編集長が言うには、
「第一の聖域は最高指導者です」
「第二の聖域は司法当局です。
司法当局は新聞を発行禁止にする権限を持っています」
「第三はイスラム聖職者です。
この国で聖職者を批判することは許されていません」
イランの法律は大まかで曖昧な為、どこが『聖域』なのかが極めて分かりにくい
のです
「新聞が立ち入ってはいけない聖域は極めて不明瞭で神経を使います」
2004年の第七期国会議員選挙では、聖職者とイスラム法学者で作る護憲評議会
が候補者の事前審査を行ない、改革派二千人以上の立候補資格を剥奪しました。
これに抗議する改革派の議員グループは、26日間に亘る座り込みを行ない、
最高指導者ハメネイ師に抗議の書簡を送り付けました。
シャールグともう一紙だけがこの書簡の一部を掲載しました。
投票日前日、二紙は発行禁止を宣告されます。
シャールグの社長は当局に謝罪しました。
発行禁止から十五日後、シャールグは復活しました。
処分後、同じ名前で復刊した新聞はシャールグが初めてでした。
「投票率の低さは、人々が希望を失っていることの現われでしょうね」
と若い女性ジャーナリストが言っていました。
もはや、政治を通して改革を実現することはできない。
そうした失望感が増す中、改革派新聞は戦略の転換を迫られています。
編集長は、
「確かに我々改革派新聞は現在退却中です。しかしただの退却じゃない。
これは再び前進する為の退却なんです」
シャールグは、改革闘争の場を、政治から社会・文化欄へと移しました。
「社会部記者は少しずつ社会のタブーを破っています」と若い女性記者。
「国連が売春婦の福祉のための拠出金をイランに割り当てるかどうかを取材して
います」
「去年は、イランの麻薬中毒問題を取り上げました」
2003年のイラン地震では、真っ先に駆けつけ、写真部主任のコウサリの迫力
溢れる写真は世界に配信され、コウサリとシャールグの名は国際的に知られる
ところとなりました。
これは メッセージ 89 (imonoyamashotengai さん)への返信です.
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