ファルージャ報告 殺戮対象は0歳から45
投稿者: kataribeno98 投稿日時: 2004/04/16 20:49 投稿番号: [13 / 5091]
・・・・(ファルージャからの目撃報告
続き)
米軍の狙撃兵たちは、ただ大虐殺を進めているだけではない。
救急車と救助活動も麻痺させている。
ファルージャ最大の病院が爆破されたあと残った次に大きな病院は
米軍が制圧する地域にあり、狙撃兵たちによって診療所から遮断されて
いる。救急車は、銃弾による損傷を受けて、これまでに4回、修理された。
路上には遺体が転がったまま。遺体を取り戻しに道に出ると狙撃されるの
で、誰も遺体を取り戻すことができない。
私たちは、手に着いた血を洗い、救急車に乗った。別の病院に閉じ込
められた人々がいた。これらの人々はバグダッドに行く必要があった。
サイレンをならし、ライトを点滅させながら、私たちは救急車の床に
座って、パスポートとIDカードを窓から外に向けて見せていた。
私たちは救急車に人々を詰め込んだ。一人は胸の傷をテープで貼り
合わせ、もう一人は担架に乗せて。足がひどく痙攣していたので、
彼を運んでステップを昇るとき、私は足を押さえていなくてはなら
なかった。
診療所よりも病院の方がこうした怪我人を治療するのに有利だが、
病院には適切な手当をするに十分な物資が何もなかった。怪我人を
バグダッドに運ぶ唯一の方法は、私たちが乗ってきたバスで連れ出す
ことだが、そのためには、診療所に怪我人を連れて行かなくてはなら
なかった。私たちは、撃たれたときのために、救急車の床にすし詰め
になって乗った。私と同年代の女性医師ニスリーンは、私たちが救急
車から降りたとき、涙をこらえきれなかった。
医者が走り出してきて、私に言った
「女性を一人連れてきてくれないだろうか? 彼女は妊娠しており、
早産しかけている」。
アッザムが運転した。アフメドが彼と私の間に座って道を指示した。
私は外国人として、私自身とパスポートが外から見えるように、窓側に
座った。私の手のところで何かが飛び散った。救急車に銃弾が当たった
と同時だった。プラスチックの部品が剥がれ、窓を抜けて飛んでいった。
私たちは車を止め、サイレンを止めた。青いライトはそのままにしておい
て、待った。目は、建物の角にいる米軍海兵隊の軍服を着た男たちの影に
向けていた。何発かが発砲された。私たちは、できるだけ低く身を伏せた。
小さな赤い光が窓と私の頭をすり抜けていくのが見えた。救急車に
当たった銃弾もあった。私は歌い出した。誰かが自分に向かって発砲して
いるとき、他に何ができるだろう?
大きな音を立ててタイヤが破裂し、車がガクンと揺れた。
心底、頭に来ていた。私たちは、何の医療処置もなく、電気もないところ
で子供を産もうとしている女性のところに行こうとしていたのだ。
封鎖された街の中で、はっきり救急車であることを表示しながら。
海兵隊は、それに向かって発砲しているのだ。一体、何のために?
私は膝のところに立ち、彼を転がして担架に乗せたとき、
デーブの手が彼の胸の空洞に触れた。背中を小さく突き抜けた弾丸は、
心臓を破裂させ胸から飛び出させていた。
彼の手には武器などなかった。私たちがそこに行って、ようやく、
息子たちが出てきて、泣き叫んだ。彼は武器を持っていなかった、と
息子たちは叫んだ。彼は非武装だった。ただ、門のところに出たとき、
海兵隊が彼を撃った、と。それから、誰一人外に出る勇気はなかった。
誰も、彼の遺体を取り戻すことはできなかった。殺されたこの男性は武器を持っておらず、
55歳で、背中から撃たれていた。
私たちが、銃火の中を安全に人々をエスコートするのではないかと
期待して、人々が家からあふれ出てきた。子どもも、女性も、男性も、
全員行くことができるのか、それとも女性と子どもだけなのか、心配そ
うに私たちに尋ねた。私たちは、海兵隊に訊いた。若い海兵隊員が、
戦闘年齢の男性は立ち去ることを禁ずると述べた。戦闘年齢? 一体い
くつのことか知りたかった。海兵隊員は、少し考えたあと、45歳より下
は全員、と言った。下限はなかった。
米軍の狙撃兵たちは、ただ大虐殺を進めているだけではない。
救急車と救助活動も麻痺させている。
ファルージャ最大の病院が爆破されたあと残った次に大きな病院は
米軍が制圧する地域にあり、狙撃兵たちによって診療所から遮断されて
いる。救急車は、銃弾による損傷を受けて、これまでに4回、修理された。
路上には遺体が転がったまま。遺体を取り戻しに道に出ると狙撃されるの
で、誰も遺体を取り戻すことができない。
私たちは、手に着いた血を洗い、救急車に乗った。別の病院に閉じ込
められた人々がいた。これらの人々はバグダッドに行く必要があった。
サイレンをならし、ライトを点滅させながら、私たちは救急車の床に
座って、パスポートとIDカードを窓から外に向けて見せていた。
私たちは救急車に人々を詰め込んだ。一人は胸の傷をテープで貼り
合わせ、もう一人は担架に乗せて。足がひどく痙攣していたので、
彼を運んでステップを昇るとき、私は足を押さえていなくてはなら
なかった。
診療所よりも病院の方がこうした怪我人を治療するのに有利だが、
病院には適切な手当をするに十分な物資が何もなかった。怪我人を
バグダッドに運ぶ唯一の方法は、私たちが乗ってきたバスで連れ出す
ことだが、そのためには、診療所に怪我人を連れて行かなくてはなら
なかった。私たちは、撃たれたときのために、救急車の床にすし詰め
になって乗った。私と同年代の女性医師ニスリーンは、私たちが救急
車から降りたとき、涙をこらえきれなかった。
医者が走り出してきて、私に言った
「女性を一人連れてきてくれないだろうか? 彼女は妊娠しており、
早産しかけている」。
アッザムが運転した。アフメドが彼と私の間に座って道を指示した。
私は外国人として、私自身とパスポートが外から見えるように、窓側に
座った。私の手のところで何かが飛び散った。救急車に銃弾が当たった
と同時だった。プラスチックの部品が剥がれ、窓を抜けて飛んでいった。
私たちは車を止め、サイレンを止めた。青いライトはそのままにしておい
て、待った。目は、建物の角にいる米軍海兵隊の軍服を着た男たちの影に
向けていた。何発かが発砲された。私たちは、できるだけ低く身を伏せた。
小さな赤い光が窓と私の頭をすり抜けていくのが見えた。救急車に
当たった銃弾もあった。私は歌い出した。誰かが自分に向かって発砲して
いるとき、他に何ができるだろう?
大きな音を立ててタイヤが破裂し、車がガクンと揺れた。
心底、頭に来ていた。私たちは、何の医療処置もなく、電気もないところ
で子供を産もうとしている女性のところに行こうとしていたのだ。
封鎖された街の中で、はっきり救急車であることを表示しながら。
海兵隊は、それに向かって発砲しているのだ。一体、何のために?
私は膝のところに立ち、彼を転がして担架に乗せたとき、
デーブの手が彼の胸の空洞に触れた。背中を小さく突き抜けた弾丸は、
心臓を破裂させ胸から飛び出させていた。
彼の手には武器などなかった。私たちがそこに行って、ようやく、
息子たちが出てきて、泣き叫んだ。彼は武器を持っていなかった、と
息子たちは叫んだ。彼は非武装だった。ただ、門のところに出たとき、
海兵隊が彼を撃った、と。それから、誰一人外に出る勇気はなかった。
誰も、彼の遺体を取り戻すことはできなかった。殺されたこの男性は武器を持っておらず、
55歳で、背中から撃たれていた。
私たちが、銃火の中を安全に人々をエスコートするのではないかと
期待して、人々が家からあふれ出てきた。子どもも、女性も、男性も、
全員行くことができるのか、それとも女性と子どもだけなのか、心配そ
うに私たちに尋ねた。私たちは、海兵隊に訊いた。若い海兵隊員が、
戦闘年齢の男性は立ち去ることを禁ずると述べた。戦闘年齢? 一体い
くつのことか知りたかった。海兵隊員は、少し考えたあと、45歳より下
は全員、と言った。下限はなかった。
これは メッセージ 12 (kataribeno98 さん)への返信です.
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