「フセイン政権の支配構造」酒井啓子③
投稿者: imonoyamashotengai 投稿日時: 2004/05/04 07:12 投稿番号: [105 / 5091]
<第二部>
「イラクの南北差は、スンナ・シーアという宗教的原因よりも、社会経済上の
構造的な差異、特に近代化の過程で発生した南北の経済格差によって生まれた
要素のほうが強い」(p.195)
「南部の農業的特長は、灌漑のための大規模な設備投資を必要とする点にあり、
そのため大土地所有者による搾取が激しく、貧富格差の拡大が深刻」(p.196)
したがって、イラク共産党の最大の支持基盤であった。
バアス党としては、南部及び南部出身の低所得者層の社会的経済的不満に対し
て対処せざるを得ない
<第四章>地方の貧困、都市の貧困
「87年の人口調査では、総人口の70%以上が都市部に集中」
92年の最後の統計では人口1895万人。バグダードの人口は400万人
(現在は約500万人と言われている)
地方(特に南部農民=シーア派)からの人口流入によるもの
(南部地域全県が人口流出県)
バグダードへの都市流入者の81%が農民、66%が小作農
「地域的経済的格差をめぐる対立が宗派的対立軸に転化されがち」(p.202)
潤沢な石油収入を分配し、慰撫政策を取る。
・オスマントルコ行政下で部族長は地主化していた。
・共和制革命後の58年の農地改革の失敗による流出民の発生
・フセインによるサダム・シティ建設による低所得者用住宅は大家族に限定され
たため、故郷から家族を呼び寄せるという都市流入を一層誘発。
バグダード流入者の離村「理由の第二位の「部族長の不正」は、南部地域のみ
ならず地方社会全般的に部族的、封建的慣習による社会的制約が強く、それを
嫌った住民が多い」「部族的社会的紐帯が、農村における地主・小作関係と
重なることで、部族民=小作農が二重に従属下に置かれる」(p.215)
南部からのバグダード流入者は、イラク共産党の支持基盤であり、
その後は、ダアワ党の支持基盤となる。
フセインは、対策として、
・都市での住宅提供
・地域開発・地方での雇用創出
・地方での国有農場プロジェクトによる帰農政策:完全な失敗に終わる
・公務員として採用(77年には都市流入民が公務員の46%を占める)
(国防、治安、公共行政部門への労働力吸収)
・聖地で発生した74年暴動は、「70年代半ばにナジャフ、カルバラ地域を
襲った旱魃に対する経済的な不満が起因している」「シーア派的特質よりも
灌漑農業地帯としての南部の特質を、暴動背景として強調している」(p.248
・80年ダアワ党創設者サドル氏を処刑
・82年SCIRI発足
<第五章>怒れる若者たち
「フセイン政権は、既存の政治的社会的エリート集団とそこから逸脱しそれに
対して挑戦する可能性をもつ集団の、両方を巧妙に利用し、対抗させつつ相互
に行動を抑制させ、大統領個人の権力の最大化を図った」(p.260)
「バアス党イラク支部は1955年時点で構成員の三分の一強が学生、63年に
は半分以上にまで増加するほど若年層中心の政党であった。
基本的にバアス党は青年の党として支持基盤を確立してきた」(p.262)
「67年時点ですら大学での大学生連盟選挙において共産党が多数派を獲得」
(p.271)
・イランとの戦時下において徴兵を回避するためにわざと留年するケースが多発
「ただ出兵しなくてすむためだけの」私立大学の設立が相次ぐ
・イランとの戦時下で、男性労働力を補うため女性が職場に進出
・停戦後、エジプト人労働者との小競り合い
そうした若年層の不満のはけ口がウダイの登場:
スポーツ省と民兵組織とマスコミ
「職業軍人の国軍に対するカウンターバランスを起用してきたフセインの対軍
政策と合致している。軍や党組織、または地域の部族社会でのヒエラルキーに
おいて低い地位にいるがゆえに逸脱しかねない、と同時に昇進への近道が与え
られれば容易にそれに引きつけられがちな青年層を、民兵組織の形で側近に
起用していった」(p286)
「大統領を核としたネットワークが最も効果的に機能するのは、党や国家におい
てすでに一定の特権を獲得している層に対してではなく、党や国家による支配
体制のマージナルな部分におかれた存在、すなわち昇進を保証する位階集団に
も属さず有力な部族・地縁的背景も持たない、ある意味で「寄る辺のない者た
ち」に対してであった」(p.298)
<終章>イラクであること、アラブであること
91年蜂起に対して、バアス党は「シーア派=劣等宗派」と初めて掲載
「蜂起自体がむしろ超宗派的に拡大してイラク全土に波及する恐れが\xA4
「イラクの南北差は、スンナ・シーアという宗教的原因よりも、社会経済上の
構造的な差異、特に近代化の過程で発生した南北の経済格差によって生まれた
要素のほうが強い」(p.195)
「南部の農業的特長は、灌漑のための大規模な設備投資を必要とする点にあり、
そのため大土地所有者による搾取が激しく、貧富格差の拡大が深刻」(p.196)
したがって、イラク共産党の最大の支持基盤であった。
バアス党としては、南部及び南部出身の低所得者層の社会的経済的不満に対し
て対処せざるを得ない
<第四章>地方の貧困、都市の貧困
「87年の人口調査では、総人口の70%以上が都市部に集中」
92年の最後の統計では人口1895万人。バグダードの人口は400万人
(現在は約500万人と言われている)
地方(特に南部農民=シーア派)からの人口流入によるもの
(南部地域全県が人口流出県)
バグダードへの都市流入者の81%が農民、66%が小作農
「地域的経済的格差をめぐる対立が宗派的対立軸に転化されがち」(p.202)
潤沢な石油収入を分配し、慰撫政策を取る。
・オスマントルコ行政下で部族長は地主化していた。
・共和制革命後の58年の農地改革の失敗による流出民の発生
・フセインによるサダム・シティ建設による低所得者用住宅は大家族に限定され
たため、故郷から家族を呼び寄せるという都市流入を一層誘発。
バグダード流入者の離村「理由の第二位の「部族長の不正」は、南部地域のみ
ならず地方社会全般的に部族的、封建的慣習による社会的制約が強く、それを
嫌った住民が多い」「部族的社会的紐帯が、農村における地主・小作関係と
重なることで、部族民=小作農が二重に従属下に置かれる」(p.215)
南部からのバグダード流入者は、イラク共産党の支持基盤であり、
その後は、ダアワ党の支持基盤となる。
フセインは、対策として、
・都市での住宅提供
・地域開発・地方での雇用創出
・地方での国有農場プロジェクトによる帰農政策:完全な失敗に終わる
・公務員として採用(77年には都市流入民が公務員の46%を占める)
(国防、治安、公共行政部門への労働力吸収)
・聖地で発生した74年暴動は、「70年代半ばにナジャフ、カルバラ地域を
襲った旱魃に対する経済的な不満が起因している」「シーア派的特質よりも
灌漑農業地帯としての南部の特質を、暴動背景として強調している」(p.248
・80年ダアワ党創設者サドル氏を処刑
・82年SCIRI発足
<第五章>怒れる若者たち
「フセイン政権は、既存の政治的社会的エリート集団とそこから逸脱しそれに
対して挑戦する可能性をもつ集団の、両方を巧妙に利用し、対抗させつつ相互
に行動を抑制させ、大統領個人の権力の最大化を図った」(p.260)
「バアス党イラク支部は1955年時点で構成員の三分の一強が学生、63年に
は半分以上にまで増加するほど若年層中心の政党であった。
基本的にバアス党は青年の党として支持基盤を確立してきた」(p.262)
「67年時点ですら大学での大学生連盟選挙において共産党が多数派を獲得」
(p.271)
・イランとの戦時下において徴兵を回避するためにわざと留年するケースが多発
「ただ出兵しなくてすむためだけの」私立大学の設立が相次ぐ
・イランとの戦時下で、男性労働力を補うため女性が職場に進出
・停戦後、エジプト人労働者との小競り合い
そうした若年層の不満のはけ口がウダイの登場:
スポーツ省と民兵組織とマスコミ
「職業軍人の国軍に対するカウンターバランスを起用してきたフセインの対軍
政策と合致している。軍や党組織、または地域の部族社会でのヒエラルキーに
おいて低い地位にいるがゆえに逸脱しかねない、と同時に昇進への近道が与え
られれば容易にそれに引きつけられがちな青年層を、民兵組織の形で側近に
起用していった」(p286)
「大統領を核としたネットワークが最も効果的に機能するのは、党や国家におい
てすでに一定の特権を獲得している層に対してではなく、党や国家による支配
体制のマージナルな部分におかれた存在、すなわち昇進を保証する位階集団に
も属さず有力な部族・地縁的背景も持たない、ある意味で「寄る辺のない者た
ち」に対してであった」(p.298)
<終章>イラクであること、アラブであること
91年蜂起に対して、バアス党は「シーア派=劣等宗派」と初めて掲載
「蜂起自体がむしろ超宗派的に拡大してイラク全土に波及する恐れが\xA4
これは メッセージ 104 (imonoyamashotengai さん)への返信です.
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