「人質」5−4
投稿者: shippou_kohaku 投稿日時: 2004/09/26 11:40 投稿番号: [239913 / 280993]
ジャーナリストに使命感がつきもの、という風に言われることについては、
使命感ではなく自分が知りたい、見たいから行くのであって
結果的に「社会のため」に結びつくけれど「知りたい」事が大きいそうで、
記者会見で「自分の信念を持って」と言ったけれど
「聞いた人はみんな、信念を取り違えている。
僕の信念とは、自分の信ずる道を進むというだけの意味で、
ただ本当に見たいという気持ちを実現するために言っているのに
ジャーナリストとは?みたいな話に持っていかれる事が多い」そうです。
ジャーナリストは「火事場泥棒」みたいな所が宿命だけど、
「そういう気持ちをうまく処理しないとやっていけない仕事だと思う。
(自分は)多分すぐに忘れてしまう、考えないようにしているのかもしれない。
僕のルールとして、撮る時に相手が気づいて
撮影を嫌がるようなら絶対に撮らない」と決めていて
「撮るべきものと撮るべきではないものを、自分の中でルール化して分けている」
「これは撮らなきゃ、という場面でないと撮らない」そうです。
アイヌの方の「熊まつり」を例にとってお二人で、
現代社会には「熊まつり」がなくなっている、
メディアにとっての「熊まつり」もなくなっている、としています。
※「熊まつり」について
人間は他の動物の肉や植物を食べる。
アイヌ人は熊を食べて、その熊を供養する。
ジャーナリストも人の不幸を飯のタネにしている部分がある、としています。
「紛争地域で死んだ兵士を撮っていて、身内から写真をいくらで売るんだ?
と言われた時には1日中考え込んでしまい、カメラを握れなかった」
という事もあったそうです。
パキスタンの小児専門の難民病院では、ファインダー越しの子どもと目が合って
「もしこれが自分だったら嫌だろうな、と思った時にすごく悲しくなった」
「彼らのまっすぐな瞳に自分は負けて、涙でピントが合わせられなくなった」
「あの頃はまだ紙面にも出てないし、ただの興味でやったことだったから
自分の中で葛藤がすごく大きかった」
「これを人々に伝えられるのか、それとも自分で見て楽しむのか」
ということで、日々葛藤していたそうです。
初めての写真が掲載された時には「少しほっとした部分があった」そうで、
「直接的に彼らの写真を掲載したわけではないけれど、
人に自分の写真をアピールしたのが初めてだったので
とりあえず葛藤からは逃れられたような気がした」そうです。
「伝えられた・見てくれる人がいたんだ、という喜びと
撮らせてもらったことへの感謝の気持ち、
自分がこれまで悩みながらもやってきたことが、
形になった安堵感・達成感があった」そうです。
吉岡氏は、報道カメラマンには二通りいて、力技でパワフルに撮る人もいれば
繊細にアーティスティックに撮る人もいる、
優しさで攻める人、力ずくで攻める人がいるとしています。
イラクでは、欧米メディアの報道は米軍にくっついていないと無理なので
どうしても米軍側からしか取材できないが
イラク側から撮れるのは日本人くらいのものだったそうで、
「そもそもの原因は自衛隊派遣。人質事件の声明には
まだ対話の余地があった気がする。日本人に完全に失望したのではなく
少しは希望を持っていたんじゃないかという気がする。」
「撤退要求自体、まだ余地がある証拠だったと思う。」
【まだ許せるんじゃないか?まだ大丈夫なんだよ、という】
「イラク人の気持ちがあの声明文に見え隠れしているように思えてならない。
もしもあそこで日本が引けば、元通りに戻るとまでは行かなくても、
イラクからの信頼を回復するきっかけにはなったんじゃないか」
と思っているそうです。
【今回の件で、アメリカとの関係は良くなったけれど
イラクとの関係は相当悪くなったと聞かれ】
「なりましたね。それに、『テロには屈しない』と言うけど、
『そんなにテロテロって言うなよ!彼らはテロリストじゃないんだから』
と思います。」と答えています。
ペルーでの大使館公邸人質事件の時にはテロに対して話し合えばわかる、
としていたのに、今回の事件で話せばわかる、とならなかったことも、
「その時々で考え方がコロコロ変わるから、どうしても矛盾を感じます。
一貫した姿勢が見えてこない。それで自己責任だの何だの言われても。
僕は別に反政府でも何でもないけど、政府のあいまいな態度には腹が立つ」
「国民から見えないところでどんどん状況を動かしていく。
その結果だけを国民に伝える、そういう姿勢が気に入らない」そうです。
使命感ではなく自分が知りたい、見たいから行くのであって
結果的に「社会のため」に結びつくけれど「知りたい」事が大きいそうで、
記者会見で「自分の信念を持って」と言ったけれど
「聞いた人はみんな、信念を取り違えている。
僕の信念とは、自分の信ずる道を進むというだけの意味で、
ただ本当に見たいという気持ちを実現するために言っているのに
ジャーナリストとは?みたいな話に持っていかれる事が多い」そうです。
ジャーナリストは「火事場泥棒」みたいな所が宿命だけど、
「そういう気持ちをうまく処理しないとやっていけない仕事だと思う。
(自分は)多分すぐに忘れてしまう、考えないようにしているのかもしれない。
僕のルールとして、撮る時に相手が気づいて
撮影を嫌がるようなら絶対に撮らない」と決めていて
「撮るべきものと撮るべきではないものを、自分の中でルール化して分けている」
「これは撮らなきゃ、という場面でないと撮らない」そうです。
アイヌの方の「熊まつり」を例にとってお二人で、
現代社会には「熊まつり」がなくなっている、
メディアにとっての「熊まつり」もなくなっている、としています。
※「熊まつり」について
人間は他の動物の肉や植物を食べる。
アイヌ人は熊を食べて、その熊を供養する。
ジャーナリストも人の不幸を飯のタネにしている部分がある、としています。
「紛争地域で死んだ兵士を撮っていて、身内から写真をいくらで売るんだ?
と言われた時には1日中考え込んでしまい、カメラを握れなかった」
という事もあったそうです。
パキスタンの小児専門の難民病院では、ファインダー越しの子どもと目が合って
「もしこれが自分だったら嫌だろうな、と思った時にすごく悲しくなった」
「彼らのまっすぐな瞳に自分は負けて、涙でピントが合わせられなくなった」
「あの頃はまだ紙面にも出てないし、ただの興味でやったことだったから
自分の中で葛藤がすごく大きかった」
「これを人々に伝えられるのか、それとも自分で見て楽しむのか」
ということで、日々葛藤していたそうです。
初めての写真が掲載された時には「少しほっとした部分があった」そうで、
「直接的に彼らの写真を掲載したわけではないけれど、
人に自分の写真をアピールしたのが初めてだったので
とりあえず葛藤からは逃れられたような気がした」そうです。
「伝えられた・見てくれる人がいたんだ、という喜びと
撮らせてもらったことへの感謝の気持ち、
自分がこれまで悩みながらもやってきたことが、
形になった安堵感・達成感があった」そうです。
吉岡氏は、報道カメラマンには二通りいて、力技でパワフルに撮る人もいれば
繊細にアーティスティックに撮る人もいる、
優しさで攻める人、力ずくで攻める人がいるとしています。
イラクでは、欧米メディアの報道は米軍にくっついていないと無理なので
どうしても米軍側からしか取材できないが
イラク側から撮れるのは日本人くらいのものだったそうで、
「そもそもの原因は自衛隊派遣。人質事件の声明には
まだ対話の余地があった気がする。日本人に完全に失望したのではなく
少しは希望を持っていたんじゃないかという気がする。」
「撤退要求自体、まだ余地がある証拠だったと思う。」
【まだ許せるんじゃないか?まだ大丈夫なんだよ、という】
「イラク人の気持ちがあの声明文に見え隠れしているように思えてならない。
もしもあそこで日本が引けば、元通りに戻るとまでは行かなくても、
イラクからの信頼を回復するきっかけにはなったんじゃないか」
と思っているそうです。
【今回の件で、アメリカとの関係は良くなったけれど
イラクとの関係は相当悪くなったと聞かれ】
「なりましたね。それに、『テロには屈しない』と言うけど、
『そんなにテロテロって言うなよ!彼らはテロリストじゃないんだから』
と思います。」と答えています。
ペルーでの大使館公邸人質事件の時にはテロに対して話し合えばわかる、
としていたのに、今回の事件で話せばわかる、とならなかったことも、
「その時々で考え方がコロコロ変わるから、どうしても矛盾を感じます。
一貫した姿勢が見えてこない。それで自己責任だの何だの言われても。
僕は別に反政府でも何でもないけど、政府のあいまいな態度には腹が立つ」
「国民から見えないところでどんどん状況を動かしていく。
その結果だけを国民に伝える、そういう姿勢が気に入らない」そうです。
これは メッセージ 239911 (shippou_kohaku さん)への返信です.
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