asashi.comにこんな記事
投稿者: kairou_of_delie 投稿日時: 2004/05/25 19:58 投稿番号: [187442 / 280993]
意外!
http://www.be.asahi.com/20040515/W12/0025.html
自由には必ず責任伴う
山形浩生(評論家)
ぼくはイラク邦人誘拐事件で、人質たちの自己責任の否定論に驚いた。その主張にも、主張する人々にも。いずれ当人たちの首を絞めかねないヤバい議論なんだもの。
まず基本。当然の話だけど、ほぼあらゆる活動には公私の役割分担がある。自分でできる部分は自分でやり、それを越える部分は社会全体でプールしたリソースで対応。それが多くの場面での社会の仕組みだ。公私の境界については諸説ある。でも個人が負担する責任があることは絶対否定できないんだよ。国民の多くはそれを知っている。ぼくたちパンピーは、現に自分のヘマの責任はおおむね自分でとってるもの。それを無視した自己無責任論は、どんな高尚な理論に基づこうと説得力はそもそもまるでない。
そして社会のプールは有限だから、真に有用な活動のために温存しよう。自己努力をさぼってプールを浪費したがる個人は拒絶するか、プールの目減り分の一部負担を要求するのが正しい社会運営だ。国や政府は大きな社会とその管理人なんだよ。だから国民や政府が、人質たちが責任を果たしたか気にするのは当然だ。今回の場合、責任ってのは十分な情報収集と装備と安全態勢確保、できれば保険でしょう。ところが人質の皆さん、何一つやってなかった。事後のプールの補填(ほてん)も小銭程度。社会制度の乱用もいいとこだ。邦人保護は政府の義務だろうって? うん、だから政府は救出努力をしたでしょ。でもなぜそれで自己責任の議論がダメなの?
かれらの活動が立派だから非難するな、という人もいる。でも調べた限り、高遠氏のボランティア歴はかなりお粗末だし、イラクでの活動もシンナー遊びの若者支援。今井氏の目的は劣化ウラン被害ネタの絵本づくり。でもそんなのイラクでなくても十分取材可能だ。残りの3人も、ジャーナリズムとNGOの特権幻想にあぐらをかいた功名狙いにしか思えない。どれもイラクへの直接的なメリット皆無。これに敬意を示せだの大目に見ろだの主張するのは、あまりに苦しい。
そしてもっと大きな問題。自己責任否定論者は、それがその責任の裏返しの自由を否定しかねない議論だとわかってるの? この期に及んでイラクに出かけていったトホホな元人間の盾の人がいる。自己無責任論を主張するなら、あの人物を邦人保護の観点から国が責任をもって拘束しろ、という議論は十分に成り立つのだ。ぼくはそのほうがずっと怖い。
そしてNGOだから大目に、と主張する人々は、それが他のすべてのNGO活動をおとしめ、国民の支持を失わせる主張だと理解しているだろうか? 自分たちの活動の意義や安全性への十分な配慮を今アピールすれば、やっぱ本物はちがうな、と多くの国民が感心したはずなのに。なのに自己責任否定論者の多くが、他の場面では自由の重要性を主張し、NGO活動の重要性を訴えている。あぜん。ねえ、もしそう主張するなら、その自己無責任論ってまずいよ。ほんとはあなたたちこそ率先して自己責任の明確化に動くべきなんだよ。だって自由や権利には必ず責任がついてまわるんだから。
http://www.be.asahi.com/20040515/W12/0025.html
自由には必ず責任伴う
山形浩生(評論家)
ぼくはイラク邦人誘拐事件で、人質たちの自己責任の否定論に驚いた。その主張にも、主張する人々にも。いずれ当人たちの首を絞めかねないヤバい議論なんだもの。
まず基本。当然の話だけど、ほぼあらゆる活動には公私の役割分担がある。自分でできる部分は自分でやり、それを越える部分は社会全体でプールしたリソースで対応。それが多くの場面での社会の仕組みだ。公私の境界については諸説ある。でも個人が負担する責任があることは絶対否定できないんだよ。国民の多くはそれを知っている。ぼくたちパンピーは、現に自分のヘマの責任はおおむね自分でとってるもの。それを無視した自己無責任論は、どんな高尚な理論に基づこうと説得力はそもそもまるでない。
そして社会のプールは有限だから、真に有用な活動のために温存しよう。自己努力をさぼってプールを浪費したがる個人は拒絶するか、プールの目減り分の一部負担を要求するのが正しい社会運営だ。国や政府は大きな社会とその管理人なんだよ。だから国民や政府が、人質たちが責任を果たしたか気にするのは当然だ。今回の場合、責任ってのは十分な情報収集と装備と安全態勢確保、できれば保険でしょう。ところが人質の皆さん、何一つやってなかった。事後のプールの補填(ほてん)も小銭程度。社会制度の乱用もいいとこだ。邦人保護は政府の義務だろうって? うん、だから政府は救出努力をしたでしょ。でもなぜそれで自己責任の議論がダメなの?
かれらの活動が立派だから非難するな、という人もいる。でも調べた限り、高遠氏のボランティア歴はかなりお粗末だし、イラクでの活動もシンナー遊びの若者支援。今井氏の目的は劣化ウラン被害ネタの絵本づくり。でもそんなのイラクでなくても十分取材可能だ。残りの3人も、ジャーナリズムとNGOの特権幻想にあぐらをかいた功名狙いにしか思えない。どれもイラクへの直接的なメリット皆無。これに敬意を示せだの大目に見ろだの主張するのは、あまりに苦しい。
そしてもっと大きな問題。自己責任否定論者は、それがその責任の裏返しの自由を否定しかねない議論だとわかってるの? この期に及んでイラクに出かけていったトホホな元人間の盾の人がいる。自己無責任論を主張するなら、あの人物を邦人保護の観点から国が責任をもって拘束しろ、という議論は十分に成り立つのだ。ぼくはそのほうがずっと怖い。
そしてNGOだから大目に、と主張する人々は、それが他のすべてのNGO活動をおとしめ、国民の支持を失わせる主張だと理解しているだろうか? 自分たちの活動の意義や安全性への十分な配慮を今アピールすれば、やっぱ本物はちがうな、と多くの国民が感心したはずなのに。なのに自己責任否定論者の多くが、他の場面では自由の重要性を主張し、NGO活動の重要性を訴えている。あぜん。ねえ、もしそう主張するなら、その自己無責任論ってまずいよ。ほんとはあなたたちこそ率先して自己責任の明確化に動くべきなんだよ。だって自由や権利には必ず責任がついてまわるんだから。
これは メッセージ 1 (topics_editor さん)への返信です.
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