イラクで日本人拘束

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「イラク建国「不可能な国家」の原点」①

投稿者: imonoyamashotengai 投稿日時: 2004/05/04 04:14 投稿番号: [163082 / 280993]
  「イラク建国「不可能な国家」の原点」安部重夫(中公新書)840円+税

  「アラビアのロレンス」と共に、イギリスの諜報活動、政府統治顧問を担い、
「砂漠の女王」と呼ばれたガートルード・ベル女史を中心に、イラク建国に至る
話が展開する。

1919年パリ講和会議にベルもロレンスも出席し、アラブ人への約束を果たす
為に尽力するが、列強代表の横車の前で蹉跌を余儀なくされる。

1921年3月カイロ会議。植民地相チャーチルは、、ロレンス、東方秘書官ベ
ルを召集した。ベルはチャーチルにファイサルをイラク国王に提案する。ベルは
キルクーク油田の権益も考慮に入れ、地図に国境線を書き込んでいく。ロレンス
はクルディスタンは異質だと反対した。「この青二才!」ベルは怒鳴った。
この瞬間、新国家イラクの国境線は決定した。

  第一次大戦下、反英武装蜂起をイスラムの聖戦の名の下に組織しようとした
「ドイツのローレンス」たるヴァッスムスとニーダーマイヤーの活動もかなり
詳しく叙述されてる。
  しかし、アフガニスタンではイギリスの財政支援に競り負け、ペルシャ(現イ
ラン)南西部では一定の反英武装闘争を組織したことが描かれている。

  1920年のイラクでの反英武装蜂起に対して、ベルは、
「アラブ人にとって英軍は解放軍ではなく、しょせん新しい支配者が到来したに
  すぎない。面従腹背、おりあらば「どちらかの勝ち馬に乗ろう」という構えで
  ある」と称する。

「「父性」を欠いてはアラブは支配できない」

「彼女は見逃さなかった。ファイサルの政府の中核は、多くがメソポタミア出身
  のアラブ人から構成されている。彼らはもともとトルコの軍人で、近代式訓練
  を受け、欧化したアラブ人である。だが、軍の敗走とともに、ファイサルのも
  とに身を寄せたのだ」
「ベルはいち早く予見していた。将来、メソポタミアに誕生するアラブ政体は、
  彼ら軍人がきっと核になる」

  ベルは、語る、
「当地の唯一の活路は、はじめから(住民の)政治的願望を認めてやることです
  。われわれの鋳型にアラブ人を押し込めようとして、自縄自縛に陥らないよう
  にすることなのです」

  <死者の都>
「オアシス都市ナジャフはネクロポリス(死者の都)である。
  郊外は見渡す限り墓また墓なのだ。墓地は二十平方キロ以上あって、イスラー
  ム圏全土から運ばれた遺骸が安らっている。裕福なシーア派信徒は、死して後
  、この地に遺体を運んで葬ってもらうのが念願なのだ」
「ホメイニー革命後の米国歴代政権が試みたような、この双生児(ペルシャとメ
  ソポタミア)の分断策はやはり無理があるのだ。イラクに点在するシーア派の
  聖廟都市こそ、この国を「不可能な国家」にしてきた異空間であることが分か
  っていない。生と死を交換する砂漠の「気泡」ーナジャフのようなネクロポリ
  スは、近代国家を不可能にする「パンドラの箱」ではないか」
「ナジャフは一種の濾過装置と言っていい。国家が発芽する直前に、その共同幻
  想をハウザに転移してしまう。これは単なる国家観念の「未発達」ではない。
  聖廟都市という「禁制」が部族と国家のあいだに介在して国家として完結でき
  ず、ハウザを通してイランなど「外部」に開孔してしまう構図が見えてくる」
「ユーフラテス西岸地帯は、遊牧民を定住民に変える濾過装置の役を果たす」
「定住と漂流の「攪拌」」

  シーア派の最大イベントたるアーシュラーの祭礼が異様な狂熱を帯びるように
なったのは十九世紀後半からだという。
「これは、失われゆくベドウィンの荒ぶる魂の代償だったのだろう。ナジャフの
  アーシューラーは、遊牧から定住へ移行するシーア派社会そのものの劇化」
「ただ、それが国家という共同幻想の形成には、どこまでも障害となったことは
  否めない」
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