イラクで日本人拘束

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1920年蜂起:シーア派とスンナ派の共闘②

投稿者: imonoyamashotengai 投稿日時: 2004/04/18 04:15 投稿番号: [88232 / 280993]
  この反乱はイラク民族主義の神話の基礎の一部をなすこととなったが、蜂起に
参加した大半の人々はそんなことなど考えていなかったものかもしれない。

  かなりの数のスンニ派とシーア派が前例がないほどに協力し、強力な橋渡しに
貢献していた。しかし、その後の結果は、このようなイメージが示唆するよりも
調和を欠いている。

  イラクでの反乱は、英国支配に対する一般的な抵抗運動として始まったが、
それはユーフラテス川中流域の反乱として終結した。
  このように反乱は、宗教的な反対や社会・経済的な不安定さ、そして武力が
組み合わさった、その地域特有な状況の産物であった。
  シーア派は軍事的には敗北したが、彼らの勢力は衰えたわけではなかった。
彼らは自らの犠牲の上に作り上げられた政治的な機会から他の者たちが利益を
あげるのをじっと見守らなければならなかった。

  ロンドンでは、蜂起と弾圧の代償として、イラクにおいてより受容可能な政府
の形態の模索が強化された。
  直接支配の主張が反乱に寄与し、大英帝国に明らかに高いツケを払わせたと
みなされた。
  年老いたアシュラーフを、英国の監督下で任命される閣僚評議会議長に就任
3州全てから選ばれた著名な21名のイラク人による政府が作られた。
スンニ派のアラブ人が多数を占め、最重要ポストを握っていたが、閣僚評議会は
数名のシーア派やキリスト教徒、ユダヤ人共同体の指導者1名をも含んでいた。
短期間の間に、市議会のようなオスマーン帝国の行政機構が復活され、英国官吏
にイラク人官吏が交代しはじめた。しかし、彼らはいかなる場合においても英国
人顧問に補佐されており、同様に全ての新たな省庁には英国人アドバイザーが
配置された。

  シーア派から誰も政府の高官に輩出されない。スンニ派独占のオスマーン時代
の古い秩序が明らかに再構築された。
  シーア派はオスマーン帝国の行政から排除されており、結果的にシーア派の中には行政経験のある者がほとんどいなかった。
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