>謝罪しないのが世界の常識
投稿者: barutantomozou 投稿日時: 2004/04/25 03:24 投稿番号: [132183 / 280993]
この場合の世界は欧米型社会を示すことが多い。
日本と違い他民族との衝突の多い大陸では謝罪するということは、すなわち自分に非があると認めることを意味する。
したがって後の交渉を有利に持っていくため自分に非があると証明されるまで自分に非があることを認めようとしない。
またそうしても、その後の自分との生活に対する相手との関わりが行動半径の広さから生活に支障をきたすようなことがないため、そのような交渉術が成立する。
これに対し、日本は国境を海岸線という自然の境界線で区切られているため、他国からの人的移動がしにくい環境であった(現代のことではありませんよ
念のため)
裏返すと他国への移動もしにくい環境にあったということだ。
これは必然的に限られた地域の中で限られた対人関係を築かねばならないということを意味する。
このことより、他人との衝突があった場合、その時点のことよりその後の社会生活における損得勘定が優先される意識形成がされることとなった。そのためまず謝罪しお互いの非を認め合うことから、その後の交渉に入るというのが一般的な交渉術となった。
ここで世界の常識といわれる謝罪しないという行動パターンとまず謝罪するというパターンとでどちらが人間的かということを考えてほしい。
現在の世界情勢が以下に資本主義の方向に向かっていたとしても、私は日本型パターンのほうが揉め事は少なくてすむと思っている。その点で世界の非常識といわれても誇りに思ってよい日本の美徳だと考えるのだが。
これは メッセージ 130631 (houkoujidaibutu さん)への返信です.
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