>>南京が陥落した際に
投稿者: qa19582000 投稿日時: 2004/08/13 22:26 投稿番号: [7921 / 66577]
現在の南京事件の研究はそんな初歩的なレベルではないのですよ。どんどん研究が進んでいますから、自分で調べていってもおもしろいかもしれませんよ。
『しかし、彼らの目撃した最初の数日の状況だけで十分世間をぞっとさせるものであった。ニューヨーク・タイムズのダーディンは、「まるではるか昔の野蛮な時代のできごとのように思われる」と形容して言った。それでは、すべての過程を目撃した外国人はいたのだろうか? いた。 』
◎スティールやダーディンらの想像的な記事のもとになったのは誰の何かとか、そういう流れが解明されたり、検討されたりしているのです。(彼らは実際に南京市内で虐殺を目撃したのですか)
『日本軍の残虐行為期間の始めから終わりまで南京に留まった外国人には、アメリカ聖公会牧師のマギー(J. G. Magee )、金陵大学歴史学部教授ベイツ(M. S. Bates )、金陵大学社会部教授スマイス(L. C. Smythe )、ドイツ・ジーメンス洋行の支配人ラーべ(John H. D. Rabe )等である。』
◎残留外国人22人だったかな?のうち、15人のいわゆる国際委員会外国人たちは、狭い安全区の中を車を使ったり歩いたり、中国人を使ったりして、日本軍の非道を摘発しようと血なまこになって活動し、記録し日本側に抗議していたのですよ。その記録がいわゆる安全地帯の記録などです。
それらも一件づつすべて検討されています。事件や彼らの一人ずつの日々の行動などすべて検討されています。また彼ら一人一人と国民政府との関係などが解明されています。私が中立的かなと評価していたスマイス博士なども国民政府との関係がわかってきています。そういう上で議論がされているのです。
『これらの文献と彼らが上海にいる家族や友人たちに宛てて日本軍の残虐行為を書いた手紙を、1938年3月にイギリスのマンチェスター・ガーディアン特派員のティンパーリー(H. J. Timperley )が編集して本にし、『戦争とはなにか−−日本軍の中国での暴行』(1)として、ニューヨークとロンドンで出版した。
中国でも同年の7月に『外国人の目撃した日本軍の暴行』というタイトルで中国の翻訳本を発行し、日本語訳本も同年に中国で出版された。』
◎ティンパーリーの本や記事のもとになったものは具体的に何かとか、また彼と国民政府の宣伝部局との関係、英文・中国文・フランス語の出版の流れやそれらの本の中の相違、国民政府の特定の組織部局や人名で解明されているのです。(念のためですが、ティンパーリーが実際に南京市内の虐殺を見たのですか)
『類似の資料は非常にたくさんある。こうした資料はすべて西側記者、伝教師、学者、商人が正義と人道的な立場に立っでおこなったニュース、記録、手紙、抗議と報告である』
◎安全区の記録を含め、上記のそれらのほとんどが、それらの中の事件の一件一件が検討され、分類されテーターペース化されたりているのですよ。逆の日本軍部隊の活動もですよ。
●そして、これらの、一次資料からはいわゆる南京大虐殺は成り立たなくなっています。 残っているのは、便衣兵や捕虜の処遇の問題なのです。
『しかし、彼らの目撃した最初の数日の状況だけで十分世間をぞっとさせるものであった。ニューヨーク・タイムズのダーディンは、「まるではるか昔の野蛮な時代のできごとのように思われる」と形容して言った。それでは、すべての過程を目撃した外国人はいたのだろうか? いた。 』
◎スティールやダーディンらの想像的な記事のもとになったのは誰の何かとか、そういう流れが解明されたり、検討されたりしているのです。(彼らは実際に南京市内で虐殺を目撃したのですか)
『日本軍の残虐行為期間の始めから終わりまで南京に留まった外国人には、アメリカ聖公会牧師のマギー(J. G. Magee )、金陵大学歴史学部教授ベイツ(M. S. Bates )、金陵大学社会部教授スマイス(L. C. Smythe )、ドイツ・ジーメンス洋行の支配人ラーべ(John H. D. Rabe )等である。』
◎残留外国人22人だったかな?のうち、15人のいわゆる国際委員会外国人たちは、狭い安全区の中を車を使ったり歩いたり、中国人を使ったりして、日本軍の非道を摘発しようと血なまこになって活動し、記録し日本側に抗議していたのですよ。その記録がいわゆる安全地帯の記録などです。
それらも一件づつすべて検討されています。事件や彼らの一人ずつの日々の行動などすべて検討されています。また彼ら一人一人と国民政府との関係などが解明されています。私が中立的かなと評価していたスマイス博士なども国民政府との関係がわかってきています。そういう上で議論がされているのです。
『これらの文献と彼らが上海にいる家族や友人たちに宛てて日本軍の残虐行為を書いた手紙を、1938年3月にイギリスのマンチェスター・ガーディアン特派員のティンパーリー(H. J. Timperley )が編集して本にし、『戦争とはなにか−−日本軍の中国での暴行』(1)として、ニューヨークとロンドンで出版した。
中国でも同年の7月に『外国人の目撃した日本軍の暴行』というタイトルで中国の翻訳本を発行し、日本語訳本も同年に中国で出版された。』
◎ティンパーリーの本や記事のもとになったものは具体的に何かとか、また彼と国民政府の宣伝部局との関係、英文・中国文・フランス語の出版の流れやそれらの本の中の相違、国民政府の特定の組織部局や人名で解明されているのです。(念のためですが、ティンパーリーが実際に南京市内の虐殺を見たのですか)
『類似の資料は非常にたくさんある。こうした資料はすべて西側記者、伝教師、学者、商人が正義と人道的な立場に立っでおこなったニュース、記録、手紙、抗議と報告である』
◎安全区の記録を含め、上記のそれらのほとんどが、それらの中の事件の一件一件が検討され、分類されテーターペース化されたりているのですよ。逆の日本軍部隊の活動もですよ。
●そして、これらの、一次資料からはいわゆる南京大虐殺は成り立たなくなっています。 残っているのは、便衣兵や捕虜の処遇の問題なのです。
これは メッセージ 7907 (wmbyq010 さん)への返信です.
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