Re: 詰め込み教育論争
投稿者: tokagenoheso 投稿日時: 2007/12/08 21:52 投稿番号: [63914 / 66577]
アホパンダにしてはそれなりに考えたつもりなのだろう。
だが、おまえは英才教育と臨界期以前の教育を区別していない。英才教育とは、臨界期までに特定分野を集中的に詰め込むことを言う。
絶対音感という感覚がある。絶対音感を身につけると、たとえばピアノの音を聞いても即座にその音階を言い当てることが出来るし、和音も聞き分けられる。また風の音、人間の声、パトカーの音なども音階として聞き分けられるそうだ。
この能力は、臨界期以前に訓練しない限りまず絶対に身に付かない。多くの音楽家にはこの能力が備わっているケースが多いが、それはその家庭環境が音楽家だったり、親が子供にそのような教育を受けさせた場合が多いからだ。むろん、その能力を身につけた子供が全て音楽家になるわけではないし、また音楽家の中にも自分には絶対音感がないと言っている人もいる。
絶対音感とは、そのような訓練を臨界期以前に行うと100人が100人身に付く物であり音楽的才能とは関係がない。しかし絶対音感が身に付いていると音楽活動には非常に有利であることはもちろんだ。
さて、アホパンダ。絶対音感は音楽家になるには非常に有利だが、一般人として生活するにはほとんど意味がない。臨界期以前の教育とはこういう物であり、絶対音感のための教育も詰め込み教育だ。音楽家になった人間にとっては、親の決断はありがたいだろうし、またそのような環境で育てば音楽家を志す動機を持ちやすいだろう。だが、音楽家にならなかった人間にとっては親の決断はありがたくも何ともない。
なぜなら、音楽大学に入学した人間をテストしてみると通常より言語能力が劣っている場合が多い、数学がだめだ、造形感覚が劣っているなどの弊害が非常に多く見受けられるからだ。ただし、必ずそうなると言うことではない。
幼児期には与えれる物を無条件で取り込む。想像以上のキャパシティーがあるが、教える方に限界があり、音楽教育に偏ってしまうとほかのデータを与える余裕がないのが主因だ。また子供自体の体力もあるし、子供は集中も長続きせず、起きている時間の全てを詰め込みに使うことも出来ない。勢い、音楽教育に集中してしまえばほかの能力が発達しない。これが英才教育の弊害だ。
音楽家になって、成功したならほかの能力の未熟もあまり問題にされず英才教育も活きるだろう。だが、元々の才能がなかったり体力的、親の経済力などの理由で音楽家になれなかった場合は非常に不利になることは解るだろう。
つまり人間として一般的に必要な基礎データをまんべんなく詰め込むことが人間として一番豊かな選択肢を与える方法なのだ。むろん、音楽家になる選択肢もある。絶対音感がなくとも音楽家で成功することは出来る。
パンダ。相手の言うことを良く理解しろ。
>臨界期までの児童には言語力などない。
体で覚えるのが早いが、一つの言語が14才まで余り脳内留まらずに確立しない。
個人差はあるが、臨界期はだいたい8歳までだと言ってある。おまえは8歳になるまで、言葉を覚えなかったのか。母国語は臨界期以前にしか身に付かない。何カ国語でも臨界期以前に覚えれば母国語として使える。あとはそれを土台にして新しい単語、表現を覚えてゆく。
あたしは日本語が母国語だが、専門外の言葉は理解出来ない場合がある。音楽用語や医学用語などは理解出来ないが、それはあたしに音楽的知識、医学知識がないからだ。臨界期以前の子供にはおよそ通常の大人の常識も、いっさいの専門知識もないから、大人になってからの言語生活を支える言葉は大人になってから覚えた物だ。しかし、臨界期以前の基本の上に積み重ねてゆけるから母国語なのだ。
臨界期以前にその基本がなければ例え母国語でも専門用語などを母国語の上に積み重ねてゆくことは出来ない。また、母国語を何かの理由で臨界期までに身につけることの出来なかった子供は、いかなる言語の習得も出来ない。インドなどで動物に育てられた子供が時々発見されるが、臨界期以後に発見された子供は絶対に言葉を覚えることが出来なかったそうだ。
臨界期までの詰め込みとはこういう事を言う。それを怠ったが為に、まともな日本語を話せない大人の日本人は多くいるよ。むろん言語を使用して人間は物を考えるから(ビジュアルシンキングもあるが部分的な物)、臨界期以前にまともな言語教育を受けなかった人間は、まともな思考が出来ないまま、つまり新しい知識を積み重ねることが出来ないまま大人になり、意志の疎通を欠き、人間関係が作れず、キレる。
ー 続く
だが、おまえは英才教育と臨界期以前の教育を区別していない。英才教育とは、臨界期までに特定分野を集中的に詰め込むことを言う。
絶対音感という感覚がある。絶対音感を身につけると、たとえばピアノの音を聞いても即座にその音階を言い当てることが出来るし、和音も聞き分けられる。また風の音、人間の声、パトカーの音なども音階として聞き分けられるそうだ。
この能力は、臨界期以前に訓練しない限りまず絶対に身に付かない。多くの音楽家にはこの能力が備わっているケースが多いが、それはその家庭環境が音楽家だったり、親が子供にそのような教育を受けさせた場合が多いからだ。むろん、その能力を身につけた子供が全て音楽家になるわけではないし、また音楽家の中にも自分には絶対音感がないと言っている人もいる。
絶対音感とは、そのような訓練を臨界期以前に行うと100人が100人身に付く物であり音楽的才能とは関係がない。しかし絶対音感が身に付いていると音楽活動には非常に有利であることはもちろんだ。
さて、アホパンダ。絶対音感は音楽家になるには非常に有利だが、一般人として生活するにはほとんど意味がない。臨界期以前の教育とはこういう物であり、絶対音感のための教育も詰め込み教育だ。音楽家になった人間にとっては、親の決断はありがたいだろうし、またそのような環境で育てば音楽家を志す動機を持ちやすいだろう。だが、音楽家にならなかった人間にとっては親の決断はありがたくも何ともない。
なぜなら、音楽大学に入学した人間をテストしてみると通常より言語能力が劣っている場合が多い、数学がだめだ、造形感覚が劣っているなどの弊害が非常に多く見受けられるからだ。ただし、必ずそうなると言うことではない。
幼児期には与えれる物を無条件で取り込む。想像以上のキャパシティーがあるが、教える方に限界があり、音楽教育に偏ってしまうとほかのデータを与える余裕がないのが主因だ。また子供自体の体力もあるし、子供は集中も長続きせず、起きている時間の全てを詰め込みに使うことも出来ない。勢い、音楽教育に集中してしまえばほかの能力が発達しない。これが英才教育の弊害だ。
音楽家になって、成功したならほかの能力の未熟もあまり問題にされず英才教育も活きるだろう。だが、元々の才能がなかったり体力的、親の経済力などの理由で音楽家になれなかった場合は非常に不利になることは解るだろう。
つまり人間として一般的に必要な基礎データをまんべんなく詰め込むことが人間として一番豊かな選択肢を与える方法なのだ。むろん、音楽家になる選択肢もある。絶対音感がなくとも音楽家で成功することは出来る。
パンダ。相手の言うことを良く理解しろ。
>臨界期までの児童には言語力などない。
体で覚えるのが早いが、一つの言語が14才まで余り脳内留まらずに確立しない。
個人差はあるが、臨界期はだいたい8歳までだと言ってある。おまえは8歳になるまで、言葉を覚えなかったのか。母国語は臨界期以前にしか身に付かない。何カ国語でも臨界期以前に覚えれば母国語として使える。あとはそれを土台にして新しい単語、表現を覚えてゆく。
あたしは日本語が母国語だが、専門外の言葉は理解出来ない場合がある。音楽用語や医学用語などは理解出来ないが、それはあたしに音楽的知識、医学知識がないからだ。臨界期以前の子供にはおよそ通常の大人の常識も、いっさいの専門知識もないから、大人になってからの言語生活を支える言葉は大人になってから覚えた物だ。しかし、臨界期以前の基本の上に積み重ねてゆけるから母国語なのだ。
臨界期以前にその基本がなければ例え母国語でも専門用語などを母国語の上に積み重ねてゆくことは出来ない。また、母国語を何かの理由で臨界期までに身につけることの出来なかった子供は、いかなる言語の習得も出来ない。インドなどで動物に育てられた子供が時々発見されるが、臨界期以後に発見された子供は絶対に言葉を覚えることが出来なかったそうだ。
臨界期までの詰め込みとはこういう事を言う。それを怠ったが為に、まともな日本語を話せない大人の日本人は多くいるよ。むろん言語を使用して人間は物を考えるから(ビジュアルシンキングもあるが部分的な物)、臨界期以前にまともな言語教育を受けなかった人間は、まともな思考が出来ないまま、つまり新しい知識を積み重ねることが出来ないまま大人になり、意志の疎通を欠き、人間関係が作れず、キレる。
ー 続く
これは メッセージ 63909 (panda168jp さん)への返信です.
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